冒険者ギルド
目的地に着き、馬車を降りる。アルによると、この町はパレンシアという名前らしい。小さな町だが、冒険者向けの商店で賑わっている。
俺たちは町の中心に聳える冒険者ギルドへと向かった。ギルドの施設は、石のレンガでできた城のような外観だった。見たのはこれが初めてだ。城といっても、王様が住む本物の城に比べれば遥かに小さいが、まあ、立派な外観と言えるだろう。普通、庶民の住居は一階までしかないが、この建物は三階まである。広さは庶民の住居の十倍はありそうだった。
アルによると、この建物はあくまで支部であって、本部はもっと大きいらしい。
アルに続いてギルドの中に入る。まず目に映ったのは巨大な掲示板だった。壁の一面全体が掲示板になっており、そこに依頼内容が書かれているであろう紙が何枚も貼られている。
部屋には二十人くらいの冒険者がいた。掲示板を見ながら何やら相談したり、談笑したりしている。備え付けのテーブルに地図を広げ、作戦会議をしているパーティーもいた。剣を持った剣士や、杖を持った魔術師など、職種は様々だ。
アルは部屋の左手奥にある受付カウンターに向かった。カウンターには三人の受付係が並んで座っている。一人は男、二人は女だ。
アルはウエストバッグから紙を取り出し、女の受付係に渡した。黒髪で眼鏡をかけている。クールで知的な感じの美女だ。
「依頼を達成しました。確認してください」
「お疲れ様です。ふむ……」
受付係が依頼書に目を通す。読み終わると、眉をひそめて言った。
「本当に幽霊なんていたんですか?」
「いや、幻覚を見せるモンスターの仕業でした。もう退治したので、しばらくは大丈夫です」
もちろん、これは嘘だ。バレなければいいが。
受付係が尋ねる。
「なるほど。では、そのモンスターの死体を見せてください」
「いやいや、あんな汚いもの持ち運びたくありませんよ。モンスターの駆除依頼じゃないんで、こっちは運ぶ準備もしてませんでしたし。死体が無くても信じてもらえませんか?」
「……で、そのモンスターの名前は?」
「分かりません。珍しいモンスターだったもので」
「……」
受付係が鋭い目でアルを睨む。俺はハラハラした気持ちで横から眺めていた。少しの沈黙の後、受付係が口を開く。
「……まあ、いいでしょう。依頼者には解決したと報告しておきます。ただし、報酬をすぐにお渡しするわけにはいきません。五日間様子を見ます。その間にまた同様の被害報告が出れば、依頼は失敗したとみなし、報酬はお渡しできません。もし何もなければ、依頼達成とみなし、報酬をお渡ししましょう。それでよろしいですか?」
「ええ、そうしてください」
「かしこまりました。では五日後にまた依頼書を見せてください。お疲れ様でした」
俺は安心して胸をなで下ろした。よかった、嘘がバレなくて。
アルが澄ました顔で言う。
「それから、もう一つやってほしいことがあるんですが」
「なんでしょう?」
「こいつの会員登録です」
アルはそう言って俺の肩に手を置いた。
「かしこまりました」
受付係は後ろの棚の中から一枚の用紙を出し、カウンターに置いた。
「こちらの用紙に必要事項をお書きください」
俺の目の前にペンが置かれる。だが、俺には何もできなかった。
「なあ、アル。代わりに書いてくれ」
「ん? なんでだ?」
「……言っても馬鹿にしないか?」
「なんだ? もしかして字が書けないとか?」
「…………」
「いや、黙るなよ。別に馬鹿になんてしないさ。だいたい読み書きできない人なんていくらでもいるし」
「……そうなの?」
「ああ、庶民にはいらない能力だからな」
「それを早く言えよ! 俺ずっと恥ずかしいことだと思ってたんだからな」
「そんなこと知らねーよ。まあいい。オレが代わりに書いてやろう」
「代筆の場合、代筆者の名前も書いてくださいね」と、受付係が付け加える。
俺は名前や出身地などの必要事項を伝え、アルに代筆してもらった。書き終わると、受付係は用紙を裏返して言った。
「では、お顔を念写させていただきます」
そう言って俺の顔をじっと見つめ、手を用紙にかざす。すると、手から緑色の光が発せられ、用紙に俺の顔が浮かび上がった。画家顔負けの肖像画で、色もちゃんと付いている。
俺は感心して言った。
「はぇー、鏡みたいにそっくりだ。なんだこれ」
アルが答える。
「念写魔法だ。いつ見てもすごいな」
「ありがとうございます」と、受付係が無愛想に言う。全然嬉しそうじゃない。言われ慣れているのだろうか。それとも彼女の性格だろうか。
会員登録はこれで終わり、俺たちは受付から掲示板の前に移動した。アルが説明してくれる。
「ここに張られているのは依頼書だ。依頼の内容と報酬が書かれてる。担当したい依頼があれば、その依頼書を受付に持っていって手続きをすればいい。依頼書は依頼を達成した後も必要だから、無くさないように注意すること。ここまでで何か質問はあるか?」
「ない」
「よし、じゃあ先に進むぞ。ここにある依頼はすべて受けられるわけじゃない。それぞれにランクがある。ランクはFからA、それから最上級のSだ。全部で七つだな。Fランクの依頼が一番簡単で、E、D、Cの順に難しくなっていく。Fランクの依頼書は掲示板の左端に張られて、右側に行くほどランクの高い依頼書になる。ここまでは大丈夫か?」
覚えることがたくさんあって大変だ。俺は頭を抑えて言った。
「うーん、なんとか」
「あと少しだから頑張れ。で、ランクは依頼だけじゃなく、オレたち冒険者にも付けられている。最初はFから始まって、最高ランクはS。冒険者が受けられるのは、自分のランク以下か、もしくは一つ上のランクの依頼だけだ。例えば、Fランク冒険者は、FとEランクの依頼しか受けられない。ただし、Eランクの依頼を受けるには、Fランクの依頼を三回達成する必要がある。そうすればEランクの依頼に挑戦できるようになり、それを達成すれば、晴れてEランク冒険者に昇格できるというわけだ。あとは同じことを次のランクでも繰り返していく感じだな。ここまでで何か質問は?」
「んん……ない」
「ほんとか? じゃあテストだ。ゼラの冒険者ランクは今いくつだ?」
「S!」
「違う、堂々と外すな。会員登録したばっかりなんだからFに決まってるだろ」
「冗談だって。Sは一番上のランクだろ? そんで一番下はF。昇格したければ自分と同じランクの依頼を三回こなして、上のランクの依頼を達成すればいい」
「その通り。よくできました。では最後に、依頼の失敗について説明する。依頼は三日以内に達成できないと、自動的に失敗扱いになるから注意が必要だ。報酬は受け取れず、依頼は他の冒険者に回される。ちなみに、受付で申請すれば棄権することも可能だ。依頼の達成が難しいと思ったら、棄権して他の冒険者に任せるといい」
「ふーん、なるほどねぇ」
「説明は以上だ。何か質問はあるか?」
「はい」と俺は手を上げて言った。「さっきの幽霊の依頼は何ランクなんだ?」
「Fだ」
「ふーん、まあそんなとこだろうな。……ん、待てよ? てことは、アルの冒険者ランクは?」
「Fだ」
「F!? またまたぁ、俺がランクを盗むと思ってってランクなんて盗めるわけねーだろ馬鹿野郎! どういうことだ!」
「そっちこそどうしたんだ。自分で自分のボケにツッコんだりして」
「お前その見た目でFランクなのかよ! どう見てもSか、S寄りのAだろ! この見かけ倒しの擬人化がっ!」
「オレだって会員登録したばかりなんだ」
「いつしたんだ?」
「昨日」
「……ああ、なんだそういうことか。どれだけ強くても、最初はFランクだもんな。ごめんごめん、質問が悪かった。実際のランクじゃなくて、実力が知りたいんだ。アルの強さは何ランクに匹敵するんだ?」
「そんなことは知らん。オレがこなした依頼はさっきの奴だけだからな。上のランクはまだ受けたことがない。オレの実力が何ランクまで通用するかは、やってみてのお楽しみだな」
何がお楽しみだ、と俺は内心で毒づいた。こっちからすれば死活問題だ。アルが本当に勇者と呼ぶに相応しい男なのか、それともクソ雑魚勇者モドキなのか。もし後者なら、俺は命がけで依頼をこなさなければならなくなる。武術も魔法も習得していないのに!
おそらく険しい顔をしていただろう俺に、アルはふっと小さく笑って言った。
「ゼラが何を考えてるのか分かるよ。オレが弱いんじゃないかと思って不安なんだろう? 心配しなくても、Fランクの依頼なら問題無くこなせるさ」
「ほんとかよ」
「嘘かどうかはすぐに分かる」
「ふん、嘘がバレるからって逃げ出すなよ」
「そんなことはしない。ところで、どうする。次に受ける依頼を決めてしまおう」
「ん、ああ。つってもなあ……」
選ぶとすれば一番安全で一番報酬が高い依頼だが、俺には依頼書の文字が読めない。ここはアルに決めてもらうしかなかった。
「アルはどれがいいと思う?」
「どれでもいい。見たところ、全部達成できそうだし」
「ほんとだな? その言葉信じるぞ。じゃあ、一番高い報酬の依頼はどれだ?」
「えっと……これだな。レザータ十匹の駆除。報酬は50ガラン」
「50ガランか。悪くないな。……あ、そういえば、幽霊の報酬はいくらだったんだ?」
「15ガランだ」
「ふーん、そっちはイマイチだな」
15ガランはだいたい俺の一日分の生活費だ。あくまで貧乏な俺の生活費なので、庶民の一日分であればその二倍はかかるだろう。俺の悪事も安く見られたものだ。
まあ、それはともかく、レザータとやらの報酬は50ガランだから、なかなかの金額だ。ただ……。
「冒険者の仕事にしては物足りなくないか?」
「Fランクなんてこんなもんだ。もし冒険者の仕事だけで飯を食っていきたいなら、Eランク以上の依頼をこなさないと厳しいな」
「Eランク冒険者になれれば、庶民クラスの生活は送れるってことか?」
「ん、まあ、さすがに送れるだろうな」
「じゃあ、Eより上のランクになったら、どれくらい稼げるんだ?」
「うーん、そうだな。Eが庶民クラスだとすれば、DとCがお役人や兵隊クラス。BとAが貴族クラス。Sともなれば、王族クラスじゃないかな」
「お、王族!? それ本当か? 大袈裟じゃなくて?」
「ああ、それくらい貰えたって不思議じゃない。ただし、ほんの一握りの冒険者しかなれないけどな。当たり前だが」
「Sランクには貴族じゃなくてもなれるのか?」
「なれる。実力さえあれば身分は関係ない」
「はぇー、庶民でも王族クラスか。すげーな……」
俺の冒険者に対する印象が変わった。今までは金のために危険を冒す、命知らずな奴らだと思っていたが、血筋に関係無く王族クラスの金を得られるとなれば、たしかに命を賭けても惜しくないかもしれない。……俺、どうして今まで冒険者を目指さなかったんだろう。
俺はやる気に満ちあふれて言った。
「アル、早く昇格しような。そんで二人でSランク冒険者になろうぜ」
「どうした? 急にやる気を出したな」
「そりゃ、やる気も出るだろ。俺みたいな貧乏人でも大金持ちになれるなんて、冒険者は漢のロマンだな」
「まあ、それはそうだが、Sランクになるには相当な努力が必要になるぞ。それだけじゃない。命を危険に晒すことも多々あるだろう。ゼラにその覚悟はあるか?」
「無い! でも、俺はともかくアルならSランクになれるよ。俺はその手助けをする」
アルは呆れ顔で言った。
「……手助けって、どんな?」
「皿洗いとか、洗濯とか。俺、何でもやります!」
「それは冒険者じゃない。召使いだ。何でもって言うなら、依頼を手伝ってくれ」
「ああ。雑魚モンスターの相手くらいはするよ」
「そんな奴パーティーにいらねーよ。まあ、無理して強敵と戦う必要もないけどな。これから少しずつ強くなればいい」
「そうだな。それでまずはEランクに昇格だ。頑張ってね、アル。期待してるからね」
「なんで他人事なんだよ。頑張るのはゼラも同じだ」
「分かってるって。俺も頑張るよ、ほどほどに。それで、これからどうする? もう遅いけど」
「今日はもう休もう。夜中に依頼をこなすのは危険だしな」
「じゃ、宿屋を探すか」
「いや、今夜は野宿だ」
「野宿! なんで!」
「決まってるだろ。金がないんだ。さっき10ガランしかないって言っただろう。馬車に4ガラン払ったからあと6ガランだ。これじゃあ安宿にも泊まれない」
「いやいやいやいや、じゃあ俺がおごるよ、一晩くらい」
「それは誰かから騙し取った金だろ。そんな金は使っちゃいけない」
「使っちゃいけないって、使わずに持ってたって仕方ないだろ? じゃあ元の持ち主に返せとでも言うのか?」
「それが一番いいが、無理なら他人のために使え。これからは自分で稼いだ金しか使うな」
「……チェ、勇者様はまじめだねぇ。分かったよ」
「よし、じゃあ俺は依頼書を受付に見せてくるから待っててくれ」
「え? 明日でいいだろ」
「いや、他の冒険者に先取りされたら困る」
「ああ、そりゃそうか」
アルは掲示板の依頼書を剥がし、受付に持っていった。手続きが終わると、俺とアルは外に出た。
もう日が沈み、外は薄暗くなっている。アルはギルドの近くで野宿をしようと言ったが、俺は他の冒険者に見られると恥ずかしいので反対した。そこで、町から少し離れた場所にある、雑木林で野宿することに決まった。ここならあまり目立たず、奥に入らなければモンスターもいない。
寒くないし、食料も無いので、焚き火をつける必要はなかった。場所さえ決めればあとは寝るだけだ。だが、アルが俺に提案した。
「せっかくだから、寝る前に文字を教えてやろう」
「……マジで?」
俺は内心嬉しかった。文字を読める奴はカッコいい。これからは依頼書を読むためにも使うし、ぜひとも習っておきたい。
「授業料はいくらだ?」
「そんなのいらねーよ」
「さすが勇者様。太っ腹だね」
「どうも」
アルはそう言い、呪文を唱えた。
「ライムカロン」
目の前の空中に、小さな光の球が現れた。眩しすぎない、優しい光を放っている。夜中でも周囲がよく見えた。
アルは木の枝を拾い、地面に文字を書いた。
「まず名前から教えよう。これが『ゼラ』だ。家名は何だったっけ?」
「スヴァルトゥル」
アルが文字を付け足す。
「ス、ヴァ、ル、トゥ、ルっと。これがゼラのフルネームだな」
「これが、俺の……」
地面に自分の名前が刻まれている。俺はそれを見て、涙が出そうになるほど感動した。どうしてこんなに感動するのか、自分でもよく分からない。たぶん、運命的な何かを感じたのだろう。
「ありがとう、アル」
俺は無意識にそう言っていた。そう言わずにはいられなかった。
「あ、ああ」
素直にお礼を言われて、アルは少し戸惑っていた。よほど俺が喜んでいると思ったのだろう。アルは嬉しそうに次の文字を書いた。
「で、これがオレの名前だ。ア、ル、ジェ」
「あ、アルの名前はいいや」
「なんでだよ! パーティーーメンバーの名前くらい覚えろ!」
その後、俺は自分とアルのフルネーム、それから『冒険者ギルド』の書き方を教えてもらった。まずはこの三つを覚えるようにとアルに課題を出され、今日の授業は終了した。
あとは寝るだけとなり、俺は草むらをベッド代わりに寝転がった。
その隣で、アルが立ったまま呪文を唱える。
「ライムケニウス」
すると、俺とアルがいる地面に光る魔方陣が浮かび上がった。だが、光はすぐに消え、魔方陣は見えなくなった。
「なんの魔法?」
「防御型の罠魔法だ。魔方陣が見えただろう? 今は見えなくなってるが、まだ魔方陣は地面に残っている。それを外部から来た者が踏めば、瞬時にそいつを弾き飛ばす結界が張られる」
「ふーん、盗人対策か。でも、この町はそんなに治安が悪くないだろ?」
「ああ。ギルドがあるからむしろ治安はいい。これは念のためだ。気にせず寝てくれ」
そう言って、アルは俺の隣に寝転んだ。同時にライムカロンの光が消える。二人とも話さなくなり、暗闇と静寂が辺りを包んだ。
俺は寝る前に、何度も自分の名前を星空に書いた。それがスムーズにできるようになってから、ようやく眠りについた。