潜影族、敗れたり ②
俺は激しい怒りを感じ、アルを怒鳴りつけた。
「なんだと! 潜影族を馬鹿にするな!」
「馬鹿にしたんじゃない。事実を言ったまでだ。潜影族の基本戦術はすべて通用しなかった。どうするんだ?」
「そ、それは……」
たしかに、アルの言う通りだった。俺は初めて負けたのだ。しかも、アルに助けてもらえなかったら、今頃死んでいただろう。
もう敵を倒す方法は無いのだろうか。昨日戦ったガルムレザータは厄介だったが、最後はパレラの力を借りて勝利できた。考えてみれば、俺一人の力じゃない。
今回の敵は、俺一人の力で仕留めたかった。潜影族の名誉にかけて。
畑にどっかりと座り、腕を組んで考える。
ガルムレザータと違い、ウーニャは防御力が低そうだ。猿だから硬い鱗や皮を纏ってはいない。弱点があるとすればそこだろう。
だから、一撃でも攻撃を当てられれば勝負は決まる。しかし、動きが速すぎてそれができない。
影からの不意打ちは効かず、かといってまともに戦っても勝ち目はない。そして、裏世界に沈めることもまたできない。
ぐぬぬ……万策尽きたか? いや諦めるな。ここで諦めれば潜影族の名が廃る。相手は所詮Eランクモンスターだ。今の自分にとっては強敵だが、ランクは下から二番目。こんなところで躓いているようでは、死んでいった潜影族に申し訳が立たない。
うーん……。といっても、今のままじゃ無理だな。何かを変えなきゃいけない。アルに剣術でも学ぶか? いや、それじゃあ時間が掛かりすぎる。依頼は三日以内に達成しないと失敗になるんだから。
となると、他に変えられるところは武器くらいしかない。でも、そんなことをしても意味があるだろうか。剣を槍に変えたって攻撃速度は変わらないし、値段が高い武器に変えても、切れ味や頑丈さが上がるだけだろう。そうなると重さが増えて、むしろ速度は下がりそうな気がする。
武具屋のオヤジさんに相談してみようかな。『めちゃくちゃ速く攻撃できる武器ってありますか?』って。そしたらこう答えるだろう。『おっ、ボウズ。それなら弓なんかどうだ』って……。
「弓だ!」
俺は大声でそう言って立ち上がった。ありがとう、頭の中のオヤジさん。おかげで答えを掴めたよ。
アルは怪訝そうな顔で言った。
「なんだいきなり。弓?」
「そう、弓だ。弓矢なら剣よりも速く攻撃が届く。さすがのウーニャも矢を受け流すのは無理だろう」
「まあ、そうかもしれないが、あの俊敏なウーニャにどうやって矢を当てるんだ。弓の達人でも難しいと思うぞ」
「ふんっ、アルにしては珍しく察しが悪いな。まともに攻撃なんてしなくていい。俺は潜影族だぞ? 影から不意打ちすればいいだけだ。敵は止まってるし、距離も近い。初心者の俺でも矢を当てられる」
「なるほどな。で、その弓はどうやって手に入れるんだ?」
「もちろん、武具屋に行って買う。昨日の報酬で」
「金は足りるのか?」
「……え、たしかオヤジさん、弓は40ガランって言ってなかったか? それくらい持ってるだろ」
「昨日の報酬は70ガランだったが、飯代で29ガラン、馬車で3ガラン使ったから、差し引いて残りは38ガランだ」
「38ガラン!? もうそんなに使っちまったのか!」
「しかも弓の場合、矢は別売りだ。両方に金がかかる。40ガランあっても足りない」
「クソッ、じゃあ他の依頼を受けて、金を貯めるしかないか」
「だが、一応臨時収入があるぞ」
「臨時収入? 金の当てがあるのか?」
「ああ。ゼラも知ってる」
「俺も知ってる? なんだよ、それ」
「気づかないか?」
「もったいぶらずに早く言え!」
「最初の依頼の報酬だ」
「最初の……ああ、幽霊の依頼か! そうか、たしかに五日後に報酬をくれるって言ってたな」
「その通り。今日がその五日後だ」
「へへん、俺の悪事がこんなところで役立つとは」
「変な言い方をするな。で、その報酬が15ガランだから、今の所持金と合わせていくらになる?」
「えっと、所持金が38ガランだから……61ガランだ!」
「53ガランだ。全然違うぞ」
「うるせー。金の計算なんてあんまりやらないんだ。仕方ないだろ」
「だったら、これからできるようにならないとな。じゃないと金を使う時にも貯める時にも困る」
「へいへい、分かったよ」
「よし、じゃあ一旦パレンシアに引き上げよう」
というわけで、俺達はカッダ畑を離れ、ニャロメさんに事情を説明することにした。
他の村人と立ち話をしているニャロメさんを見つけ、アルが声をかける。
「ニャロメさん、ちょっとお話が」
「おっ、どうです。ウーニャは倒せましたか?」
「それが逃げられましてね。今日のところは引き上げます」
「ああ、そうですか。冒険者でも簡単にはいきませんか」
「ええ、他のモンスターに比べて頭が良くて、手こずってます。それにすばしっこい。一度、パレンシアに戻って武器の準備をしてこようと思いまして」
「なるほど。準備にはどれだけかかりそうですか?」
「今日だけで充分です。明日また来ます」
「それは頼もしい。明日こそは頼みましたよ」
「ええ、必ず仕留めます。それでは」
立ち去る前に、俺も挨拶をしておく。
「じゃあね、ニャロメさん」
「じゃあね。明日も待ってるよ」
そう言ってニャロメさんと別れた。なんかアルに比べて子供扱いされてるような気がするが、まあいい。
そんなことよりも、ニャロメさんがアルに言った言葉が気になった。
『明日こそは頼みましたよ』
これはアルに対してではなく、実質、俺への言葉だ。もの凄いプレッシャーを感じる。村の人達からすれば、ウーニャの盗み食いは一刻も早く止めてほしいのだろう。彼らの生活がかかっているのだ。
アルはその言葉に対して『ええ、必ず仕留めます』なんて涼しい顔で答えていた。今思うと腹が立つ。仕留めるのは俺だ。無責任なことを言いやがって。もし倒せなかったらどうするつもりだ。その時は責任をもってアルに倒してもらおう。アルがウーニャをどう相手取るか、見ものだな。
そんなことを考えつつ、俺はアルとパレンシアに歩いて帰った。
昼過ぎに到着。まずは報酬を貰いにギルドへ向かった。中に入り、アルがルネスさんに依頼書を渡す。当然、依頼書は幽霊の方だ。
「期日がきたので、この依頼の報酬をいただきたいのですが」
ルネスさんは依頼書に目を通すと、隣の受付係に尋ねた。
「幽霊の依頼なんて報告されてないよね?」
「え? うん、私は知らないけど」
「俺もー」と、そのまた隣の受付係も言う。
ルネスさんがこちらに向き直って言った。
「同様の被害報告は無いようなので、依頼は達成したと見なします。お疲れ様でした。報酬の15ガランをお渡しします」
報酬がカウンターに置かれる。それにしてもテキトーな確認作業だった。まあ、金が貰えるならそれでいいんだけど。
俺達はギルドを出て、次は武具屋に向かった。
店に入ってすぐに、俺はオヤジさんに尋ねた。
「オヤジさん、一番安い弓をちょうだい」
「おお、ボウズ、弓を使いたいのか。前に槍を買ったばかりだろう。あれ、どうしたんだ?」
「えっ……」
思わぬ質問をされてたじろぐ。自分で酸に突っ込んで溶かしましたなんて言えない。恥ずかし過ぎる。
俺は当たり障りのない言い方で答えた。
「ファンビーヴァの酸で溶けて、使えなくなっちゃった」
一応、嘘は言っていない。オヤジさんは俺が望む形で言葉を受け取ってくれた。
「そうか。そりゃ仕方ねーなー。アイツの酸は強力だから、普通の槍じゃ溶けちまう。で、倒せたのか?」
「うん、倒したよ。もうEランクに昇格したからね」
「やるじゃねーか。その調子だと、Dランク昇格はあっという間だろうな。がはははは」
オヤジさんが豪快に笑う。俺も釣られて笑った後、本題に入った。
「それでさぁ、今戦ってる相手がものすごく強くて、どうしても弓が必要なんだよね。でもお金が無いから、一番安い40ガランの弓にしたいんだ」
「おっ、よく値段を知ってるな。前に言ったっけか」
「うん。でも矢は知らない。いくら?」
「矢は一番安いので一本1ガランだ」
それなら今の所持金でも買える。俺はほっとして言った。
「じゃあ、それください」
「矢は何本欲しい?」
「えっと……とりあえず三本」
「まいどあり。今持ってくるから待ってな」
オヤジさんは店の奥に入っていった。
アルが俺に尋ねる。
「弓の使い方は知ってるのか?」
「全然知らない。これからアルに教えてもらう」
「……おいおい。ゼラはオレがなんでも知ってると思ってるのか?」
「え、まさか、弓の使い方知らないのか?」
「知ってるんだなそれが」
「知ってんのかよ。紛らわしいこと言うな」
「オレを過信するなって言いたいんだよ。ま、今回は教えてやれるが」
「文字みたいにちゃちゃっと教えてくれよなー」
「武器術はそんなに簡単じゃない」
二人で話していると、オヤジさんが戻ってきた。右手に弓を持ち、左手には謎の藁束を持っている。腰には矢筒を取り付けていた。中には矢が三本ある。
「待たせたな。もってけい」
俺はオヤジさんから弓を受け取った。長さは1メートルほど。意外とデカい。
「あと、これもやろう」
オヤジさんが矢筒を腰から外し、俺の腰に取り付けてくれた。
「いや、矢筒まで買う金なんて無いよ」
「タダだよタダ。あとコレもな」
そう言って藁束もくれた。1メートルくらいの藁の束が、縄で縛って固定してある。
「コレ、いったいなんなの?」
「練習用の的だ。これなら矢が刺さっても簡単に抜けて使い回せる。金が無いなら矢は大事に使わないとな」
「ありがとう、オヤジさん」
「いいってことよ。昇格祝いだ。頑張ってモンスター倒せよ」
「うん、絶対倒す」
「ところで、どんなモンスターを倒そうとしてるんだ?」
「ウーニャ」
「ウーニャ!? あのすばしっこい猿に矢を当てようってのか?」
「そうだよ」
オヤジさんはアルを見て言った。
「おい兄ちゃん、いいのかい? ボウズが矢を当てるのに何年かかるか分からねーぜ?」
「それが、矢を当てる策があるみたいで」
「策? 罠でも仕掛けんのかい?」
「……まあ、そんなところです」
「ふーん」と、俺に視線を移して「ま、成功したら聞かせてくれや。ボウズの武勇伝」
「了解」
こうして、俺たちは43ガランを支払って弓矢を手に入れた。
それを持って店を出る。次に向かったのは読み書きの授業をしている原っぱだ。が、今日の目的はいつもの授業ではない。弓の稽古だ。
その道中で、俺はアルに尋ねた。
「なあ、さっきウーニャに罠を仕掛けるとか嘘ついてたけど、なんでだ?」
「……ゼラが潜影族であることは隠した方がいいと思ってな」
「なんで?」
「もし、潜影族が誰かに殺されたのだとすれば、ゼラも命を狙われる可能性があるからだ」
「俺が? でも、それならとっくに殺されてると思うけど。みんなが死んだ夜に」
「あくまでも可能性の話だ。だが、万が一のことを考えておいた方がいい。これからは潜影族であることは極力隠せ」
「ああ、分かった。用心深いなアルは」
「オレは冒険者だからな」
「俺もじゃい!」
話していると原っぱに着いた。丁度いい木が一本立っていたので、そこに的となる藁を立てかける。
俺は的のすぐ前に立ち、アルからレクチャーを受けた。
「今日は基本的な弓の使い方だけを教える。それでウーニャを倒せるんだろう?」
「ああ」
「よし。では左手に弓を持て。矢は右手で扱う。矢の端を弦に引っかけろ。それから――」
俺は基本的な打ち方を教えてもらった。遠くの的に矢を当てる技術は必要ない。至近距離の敵さえ射抜ければそれで充分だ。
最初は簡単なことだと思っていた。が、これがなかなか難しい。矢を放つまで弓が固定できず、ぶれてしまうのだ。そうなると矢の勢いが落ち、飛ぶ方向も右や左に大きくずれてしまう。これでは敵に矢を当てることはできても、刺すことができない。
俺は矢を打つ度にアルから注意を受けた。
「弦の引きが足りない。口元まで引き寄せろ。それから右手は頬に添えて、矢を放っても頬から離すな。矢がぶれる」
「了解」
何度も同じ指摘を受けた。自分でももどかしくなる。右手か左手、もしくは胴体のどちらかに意識が偏ってしまって、すべての所作を上手くやることができないのだ。一方の所作を上手くやろうとすればするほど、他の所作が崩れてしまう。
頭では分かっているはずなのに、なかなか上手くいかない。これはもう頭ではなく、体で覚えるしかないのだろう。
俺はアルの指導の元、日が暮れ始めるまで弓の稽古に励んだ。
アルが言う。
「あと一回で最後にしよう」
「了解」
藁の的に向かって弓を構える。的から鏃までは1メートルほどしか離れていない。まともに放てば確実に突き刺さる距離だ。
矢を引く。口元まで引き寄せ、右手の位置を固定。狙いを定め……放つ。
矢は勢いよく弓から放たれ、的に深々と突き刺さった。
「上出来だな」とアル。「やっぱりゼラは飲み込みが早い。明日が楽しみだ」
俺は少し照れながら言った。
「ふんっ、他人事みたいに言いやがって」
「悪い悪い。で、これからどうする? 残金は10ガランだ。晩飯を食べるか、それとも宿に泊まるか」
「くぅー、悩ましいが飯にしよう。腹が減りすぎて死にそうだ。二人で5ガラン分食べて、残りを明日の朝飯に使おう」
「おっ、上手いこと計算するじゃないか」
「これくらいできるわい!」
「じゃ、いつもの飯屋に行くか」
俺たちは飯屋に行き、グナメナ二皿とパンを一つ注文した。そのパンを半分に分けて二人で食べる。これで料金はちょうど5ガランだ。物足りないが我慢するしかない。明日までの辛抱だ
店の外に出ると、また原っぱに戻った。今日は弓の稽古に使った木の下で野宿だ。
地面にごろんと横になる。アルと会った最初の夜も野宿だった。あの時は恥ずかしがって、人気のない雑木林で寝たが、今となってはどうでもいい。この町の人たち、みんな優しそうだから、馬鹿になんてしないだろうし。ていうか、住人も冒険者だらけだから、野宿くらいしたことあるだろう。
星空を眺めた後に目をつむる。瞼の裏に、自分に襲いかかるウーニャの姿が浮かんだ。明日、絶対にリベンジしてやる。見てろよ猿野郎。
俺は胸の内に闘志を燃やしたが、それも襲い来る睡魔には無力で、たちまち微睡みの中に消えていった。
《③に続く》




