潜影族、敗れたり ①
朝。目が覚めると、体のあちこちが痛かった。特に腕が痛い。原因はもちろん昨日の鍛錬だ。筋肉痛がひどい分、鍛えられてもいるのだろうか。そう思うと痛みも嬉しかった。
ただ、超ダルい。このまま一日中眠っていたいところだが、休むことは許されない。今日も生活費を稼がねば。
あくびをしながら自室を出て、アルの部屋に向かう。出てきたアルはまったく疲れているように見えなかった。
「腕が痛くないか?」と訊くと「全然」との返事。しかも、いつものように素振りまで済ませているという。まったく、どうなってるんだ勇者の体は。
二人で宿を出て、いつもの飯屋で朝食を取る。そこからは馬車乗り場に行き、目的地に向かった。
ウーニャが出没するのはガセウスらしい。ガセウスはファンビーヴァが巣を作っていた村だ。依頼書には、ウーニャが山を降りてきて、村の作物を食べるので困っている、と書いてある。
ガセウスに到着し、馬車を降りる。以前、ファンビーヴァの巣まで案内してくれた村人がいたので、また話を訊くことにした。たしか、ニャロメという名前だったはず。
「すみません」と、アルが声をかける。
「ああ、これはこれは」と、ニャロメさんが頭を下げて言った。「ファンビーヴァの件ではお世話になりました。ウーニャ退治もお二人がやってくださるんですか?」
「ええ、ギルドで依頼を受けました」
「それは良かった。お二人なら安心です」
「ご期待に添えるよう頑張ります。ところで、依頼書にはウーニャが作物を食べに来ると書いてありましたが、なんの作物ですか?」
「カッダですよ。今が収穫時期なんですがね、何度追い払っても一匹のウーニャが食べにくるんです。カッダは山に自生しないんで、村に来ないと食えないんですよ。ほんとに、どこで味を覚えちまったんだか。このままだと売り物のカッダが全部食い荒らされちまう」
俺は横から口を挟んだ。
「なあ、カッダってなんだ?」
ニャロメさんが説明する。
「カッダってのは野菜だよ。赤くて細長い根野菜だ。ちょっと辛い」
「ふーん」
あんまり美味しくなさそうだ。敵はなかなかグルメらしい。
アルが本題に戻す。
「あの、ウーニャがカッダを食べに来る時間帯はいつですか?」
「それがいつも違うんですよ。ただ、夜には来ません。昨日は昼間に来たし、一昨日は朝方に来ました」
「毎日来るんですね」
「そうなんです。完全にオイラたちを舐めてるみたいで、鍬持って追いかけ回すんですが、怖がるどころか挑発してきますよ。あの様子じゃ、今日も来るでしょうね」
「では、俺たちはここでウーニャを待ち伏せしましょう。山に行っても見つけるのが大変でしょうし」
「ええ、そっちの方がいいと思います。アイツ、山に行くと木から木に飛び移って余計手出しできなくなりますから。オイラがウーニャがよく来る場所に案内しましょう。こっちです」
ニャロメさんに案内してもらい、俺たちはカッダ畑に移動した。敵は畑のカッダを掘り出すだけじゃなく、倉庫の扉を壊して、中のカッダを食べることもあるらしい。厄介なヤツだ。てか、好きすぎるだろカッダ。俺にとってのグナメナみたいなもんか。
ガッタ畑の向こうには山が見えた。ニャロメさんによると、いつもあの山からこの村にやって来るらしい。
俺とアルは畑近くの納屋に身を潜め、敵を待つことにした。ニャロメさんは「では頼みましたよ」と言って、自分の仕事に戻っていった。
さて、敵はいったいいつ来るのだろう。それまでは休んでいられる。
俺は山を眺めながら、ごろんと横になった。今日は良い天気だ。青い空、白い雲。
「平和だねぇ」
思わずそう呟く。風が草の匂いを運んできた。景色も匂いも気持ちがいい。
昨日の疲れが残っているせいか、起床したばかりだというのに眠気が襲ってきた。瞼が重くなる。うつらうつらとしているうちに、いつの間にか意識が途切れた。
「ゼラ、起きろ」
名前を呼ばれ、体を揺さぶられる。ハッとして目が覚めた。呼んでいるのはアルだ。
「ど、どうした?」
「しっ、静かに」
アルが俺の声を制した。理由は察しが付く。畑を見ると、案の定、敵の姿があった。
茶色い毛並みの猿がうろついている。背丈は俺と同じで160センチくらいあった。
一見すると、ちょっと大きいだけの猿だが、モンスターと呼ばれているからには、高い戦闘力を持っているはずだ。油断ならない。
敵は辺りを見回すと、埋まっているガッタを引っこ抜いた。それをむしゃむしゃ食べる。白昼堂々、無銭飲食とは。うらやましい。
俺は小声で頼んだ。
「アル、剣を貸してくれ」
「ああ」
アルが剣を差し出す。それを受け取り、敵に視線を戻した。敵はのんきにガッタを抜いては食べ、抜いては食べを繰り返していた。これから俺に狩られるとも知らずに。
敵の足下には影ができている。そこにゲートを開き、裏世界に沈めて閉じ込めれば簡単に仕留められる。ファンビーヴァの時と同じ戦法だ。
俺は狙いを定め、敵の真下にゲートを開いた。
次の瞬間、目を疑うことが起きた。敵がその場から消えたのだ。裏世界に落ちたのではない。ゲートの外に手をついて飛び跳ね、驚くべき速度で後ろへ回避したのだ。
その後、敵は不思議そうに足下を見たが、何事も無かったかのようにカッダを掘り起こす作業に戻った。
俺はその様子を呆然と眺めていた。いったいどういうことだろう。俺の能力が見破られたとでもいうのか。しかも、あの一瞬で。そんなことがあり得るだろうか……。
不安になってアルに尋ねる。
「アル、今アイツの下にゲートを作ったんだけど、すぐに避けられた。なんでだ? どうしてこっちの手の内がバレてる。アイツ、まさか潜影族と戦ったことがあるのか?」
「それはさすがにないだろう。が、一つ言えるのは、ウーニャはとても賢いということだ。そして警戒心が強い。おそらく足下の違和感を瞬時に察知して、とっさの判断で後ろに回避したんだろう。すさまじい瞬発力だな」
「クソッ、さすがはEランクモンスターか」
今まで相手にしてきたモンスターたちは、どれも強敵だったが頭は良くなかった。その分、こっちの戦略が通用しやすかったが、今回はそう簡単にはいかないらしい。モンスターではなく、人間を相手にしているようなものだ。いや、正確には人間離れした身体能力を持った人間だ。厄介極まりない。
裏世界に閉じ込める戦法が使えないのであれば、残る手段は一つ。こちらが裏世界に潜り、敵の影から剣を突き刺す。これしか無い。
俺は自分の影に潜った。敵の影をイメージし、ゲートを開く。当然、敵の体が沈まないよう真下は避ける。ゲートの近くまで泳いで移動し、剣を構えた。
これを突き刺せば終わる。いくら頭が良くても、地面から剣が出てくるとは思わないだろう。
俺は剣の持ち手をぐっと胸元まで下げ、渾身の力を込めて刃を突き上げた。
剣がゲートの外へと出る。その瞬間、なぜか急に剣が重くなった。あまりの重さに剣を手放す。剣は押し返されるように裏世界に沈んだ。
いったい何が起きたのか。剣を持ち、刃を見るが、血は付いていない。突き上げた時、肉を貫いた感触も無かった。
となると、悔しいが刺さってはいないのだろう。しかし、ガルムレザータの時と違って、皮が硬いということはないだろうし、仮にそうだとしても、剣が重くなるなんて意味不明だ。何かの魔法でもかけられたか。アイツは頭がいいから、人間のように魔法が使えても……。いや、それはさすがにないか。モンスターに呪文が唱えられるわけがない。
俺は何が起きたのか確認するため、元いた納屋の近くにゲートを開いた。そこから地上に戻る。畑を見ると、敵はまた何事も無かったかのように食事を続けていた。一部始終を眺めていたアルにさっきの状況を尋ねる。
「なあ、俺の攻撃はどうだった? 当たったのか?」
「ああ、一応、当たってはいたぞ」
「じゃあなんで刺さってないんだ。いったい何が起きたんだ?」
「オレも驚いた。地面から剣が突き出した瞬間、アイツはすぐさま身を翻して、空中で半回転した後、剣先を指で摘まんで逆立ちになったんだ」
「何! アイツには未来予知の能力でもあるってのか?」
「いや、そういうわけじゃない。おそらく、剣が毛先に触れた瞬間に回避行動を取ったんだろう。風を受けて翻る木の葉のように、ゼラの剣を受け流したというわけだ。まさに神業だな。もしウーニャに剣術を仕込んだら、天下無双の使い手になるに違いない。モンスターにしておくのが惜しい」
「のんきに敵を褒めてる場合か。クソッ、こうなったら剣だけじゃなくて、俺も地上に出るしかないな。見てろよ猿野郎」
俺はまた裏世界に潜った。これで三度目。もうそろそろ魔力が切れる。早くケリを付けなくては。
敵の位置にゲートを開く。側まで移動し、剣を構えた。今度は俺が影から出て、敵を切りつけなくてはならない。安全ではないが、こうすれば敵が動いても対応できる。一度目の攻撃が避けられても、瞬時に二度目をしかけてやればいい。敵が空中に飛べば身動きができないので、そこをグサッと刺す。シミュレーションは完璧。
俺は深呼吸をすると、意を決して地上に飛び出した。敵の背中が見える。そこに構えていた剣を振り下ろした。
次の瞬間、敵の姿が消えた。飛び跳ねたと思い頭上を見るが、そこにも敵はいなかった。
「オホホホホ」
後ろから奇妙な鳴き声が聞こえてきた。まるで貴婦人の笑い声のようだ。お上品だなクソ猿。
振り返ると、敵が頭の上で両手を叩いて鳴いていた。これがニャロメさんが言っていた挑発だろう。舐めやがって。
俺は敵に接近し、がむしゃらに切りつけた。何度も何度も剣を振るが、敵は軽々と飛び跳ねて避ける。掠りもしない。速すぎて空中で切りつけることもできなかった。
「この猿野郎が! 人間様を舐めやがって!」
「オホホホホホ」
横に縦にと切り込むが、まるで当たる気がしない。感心していたアルの気持ちが少し分かった。
腕に限界が来て、一旦攻撃を止める。息が苦しい。剣を構え、敵と睨み合った。敵は黄色い不気味な目をしている。
しばらく対峙していると、先に敵が動いた。指先から長く鋭い爪が伸びる。戦闘モードだ、と思ったのも束の間、凄まじい速度で俺の周囲を飛び回った。
必死で剣を振るうが、まったく当たらない。残像しか捕らえられなかった。
そうこうしているうちに、敵がフェイントを仕掛けてきた。前方から攻撃してきたと思えば、即座に姿を消して後ろから攻撃してくる。俺は騙されてフェイントを剣でガードしようとし、敵の姿が消えた瞬間に急いで後ろに剣を振る。俺の攻撃は虚しく空振りし、敵は横へと飛び去る。
これが前後左右から繰り返された。一瞬でも隙を見せれば終わる。こちらは防戦一方だ。分が悪い。一度撤退しよう。
俺はゲートを開くため、地面に意識を移した。そして、それが隙となった。
敵の姿が消える。どうせまた背後からの攻撃だろうと思い、振り向きざまに剣を振るった。しかし、敵はおらず、敵の影だけが地面に浮かんでいた。
上か!
頭上に目を向けたが、もう遅かった。敵の鋭い爪が俺の顔面に振り下ろされる。ガードが間に合わない。
それは一瞬の出来事だったが、妙に時間が遅く感じられた。ゆっくりと敵の爪が近づいてくる。
終わった。
俺は自分の死を覚悟した。だが、なぜか爪が顔から離れていった。
助かった……のか?
そう思うと、敵の動きはだんだんと速くなり、気づけば高速で吹っ飛んでいった。まるで俺の体から弾き飛ばされたかのようだ。
俺の周りを光の結界が囲んでいる。見覚えがある。これはアルの防御魔法だ。
敵は相当驚いたようで、一目散に山へと逃げていった。
「た、助かったぁ……」
ほっとしてその場にへたり込む。すると、納屋の方から足音が聞こえてきた。アルがこっちに歩いてくる。
俺は隣で立ち止まったアルにお礼を言った。
「ありがとうアル。助かったよ」
「……」
アルは無表情で俺を見下ろし、叱りつけるような口調でこう言った。
「潜影族、敗れたり」
《②に続く》




