親玉のトカゲ ③
「……なあ、その頭、アルが持っていくつもりか?」
「ん、そのつもりだ。今日も一番頑張ったのはゼラだからな。オレにもこれくらいの仕事はさせてくれ」
「いや、いいよ。俺が運ぶ」
「どうして」
「さっきの戦いで槍を刺せなかったのは、俺の力が弱いせいだ。だから、今のうちに鍛えておきたいんだ。その頭を持っていけば、少しは鍛錬になるだろ?」
アルが大きく頷いて言った。
「うんうん、いい心がけだ。じゃあ、頭はゼラに任せるとしよう。渡すぞ」
俺はアルから頭を受け取った。ずしんと重さがかかる。岩を持っているかのようだ。アルは涼しい顔をして持っていたが、まさかこんなに重いとは。
俺のことはお構いなしで、アルはすたすたと先へ進んでいいった。
「ま、待てよ」
頭を抱えてなんとか歩くが、アルとの距離は徐々に開いていく。
「何やってる」と、アルが振り向いて言った。「そんな調子じゃ、ほんとに日が暮れるぞ」
「だって……重いんだもん」
腕がもう痺れている。辛抱堪らず、持ち方を工夫することにした。前に抱えるのではなく、肩の上に乗せて担ぐように持つ。これでだいぶ楽になった。歩くスピードを速め、なんとかアルに追いつく。だが、これもすぐに限界が来た。頭が落下しないように支えている腕が辛くなる。右肩に乗せているので、右腕が特にキツい。
結局数十歩で限界を迎え、頭を一旦地面に置いた。その後、今度は左肩に担いで運ぶことにしたが、これもすぐに限界がきて、また頭を置いてしまった。
走ってもいないのにもう息が切れている。前方のアルが立ち止まって言った。
「なんだ、もう限界か?」
「そんなこと……ハァ……言ったって……ハァ」
話すのも辛い。アルは毎日こんな鍛錬をしているのだろうか。凄すぎる。
「仕方ないな。しばらくはオレが運ぼう」
アルは俺の所まで戻ってきて、地面に置かれた頭を軽々と持ち上げた。それを右肩に担ぎ、重さなど無いかのようにすたすたと歩きだす。俺は両手で頭を支えていたが、アルは右腕一本だ。
アルの隣を歩きながら思う。やはりアルは凄い。だが、アルにできるということは、俺にもできるということではないだろうか。俺はアルのように毎日鍛錬をしていないから、ある意味できなくて当然なのだ。
同じことは筋力以外にも言える。剣術や魔法も、なんとなくアルにしかできない芸当だと思っていたが、俺も教えてもらえばできるようになるかもしれない。
文字だって読めるようになったんだ。どうしてそれらの戦闘術が習得できないと言えるだろう。
俺は自分の可能性が広がっていくのを感じた。俺も、アルのように強くなれるかもしれない。これから先、冒険者ランクが上がっていけば、アルとは別れる運命だと思っていた。しかし、その運命は俺が強くなれば変えることができる。
そう思うと、俄然やる気がでてきた。
「アル、交代しよう」
「もういいのか?」
「うん、持たせてくれ」
俺の気持ちを察したのか、アルはふっと小さく笑って、頭を俺の肩に乗せた。……お、重い。
腕が既に疲れているので、すぐに限界が来た。さっきの半分の距離で立ち止まる。
「オレが持とう」
アルがまた軽々と頭を持ち上げる。そのまま歩き続け、ようやく森を抜けた。そこでまた交代を頼んで、俺が頭を持つ。
町に入るまで持ってやる。そう意気込んでいたが、町まであと50メートルの地点で根を上げた。町がものすごく遠く見える。
仕方なくアルに代わってもらう。そのまま町に入って思った。以前、ラグーンからパレンシアまでの道のりを歩いた時は2時間もかかった。それを今回はこんな重りを持ちながら歩かなければならないのだ。……地獄だ。
せっかくEランクの依頼を達成したというのに、その喜びは泡のように消えた。
憂鬱さを感じながら町を出ると、アルが恐れていたセリフを言った。
「そろそろ交代してもいいか?」
「……いや、もう少し持ってくれ」
まだ休んでいたい。5分ほど歩いた時、またアルが言った。
「なあ、そろそろ」
「いや、まだだ」
まだ休んでいたい。5分ほど歩いた時、またアルが言った。
「なあ」
「いや、まだだ」
「いい加減にしろ!」アルが立ち止まって言う。「もう充分休んだだろ! 持て!」
「うぅ……泣きそう」
「なんでだよ! これくらいで泣くな。辛ければ辛いほど体は鍛えられる。だから頑張れ」
「これ以上やったら腕から血が出る」
「出るわけないだろ! さっきまでのやる気はどうしたんだ。少しずつでもいいから持て」
「こんなにEランクが辛いなんて」
「ランク関係ねーよ」
俺は仕方なく頭を受け取った。憎たらしいほど重い。こんなに大変なのに70ガランしか貰えないのは割に合わない。これならFランクの依頼を二回達成した方がいい。
頭の中で文句を垂れていると、今の自分の行動が虚しく思えてきて、1分も経たないうちに頭を地面に落とした。
「ハァ……ハァ……クソッ」
自分の弱さに腹が立ってくる。アルが振り返って言った。
「鍛錬はもっと明るい気持ちでやれ。嫌なことだと思ってやるな」
「どう考えても嫌なことだろ」
「そうか? じゃあ、どうしてゼラは自分で運びたいって言ったんだ?」
「それは……」
「ちゃんとした目的があるからだろ? 鍛錬すればその目的が果たせる。しかも、筋肉なんて使えば使うほど確実に鍛えられるんだ。依頼の達成に比べれば不確実性は遥かに低い。やればやるだけ成果が出てくれる。読み書きの授業だってそうだろ? もっと気楽にいけ」
「……それもそうだな」
やる気が少し戻ってきた。そうだ。俺が今やっていることは無意味なことなんかじゃない。自分が強くなるために必要なことだ。
俺はまた頭を持ち上げた。だが、やる気が続くのは一時的で、また1分足らずで頭を落とした。
「も、もう限界。充分鍛えられただろ。あとはアルが持ってくれ」
「安心しろ。そんな簡単に限界は来ない。しばらく休めばまた持ち上げられるようになる」
「お、鬼勇者……」
「なんだその称号は。オレは別に厳しいことを言いたいわけじゃないんだ。少しずつでいいって言っただろ? ゼラはパレンシアまでの長い道のりを思い浮かべてるから、すぐにバテるんだ。目標をもっと刻め。例えば50歩だけ持つ、とか」
「50歩くらいなら持てそう」
「そう思うだろ? できそうって気持ちが大事なんだ」
俺は新たな目標を思い浮かべ、頭を担いだ。歩数を数えながら一歩一歩進む。20歩から疲れが出始め、40歩を越えるともう頭を降ろしたくなってきた。だが、目標達成まで残り10歩だ。それくらいなら確実にいける。
俺は諦めずに歩き続け、ついに目標の50歩を歩き切った。清々しい達成感を覚える。そして、その気持ちよさが心に余裕をもたらした。また目標を達成したくなっている。50歩で歩くのを止めたが、あともう少しだけ歩けそうだった。いったいどれくらいまで歩けるんだろう。60歩か、いや、意外ともっと歩けるかも……。
息を切らせながらそんなことを考えていると、アルが褒めてくれた。
「よし、よく頑張ったな。ご褒美にしばらくはオレが持とう」
「ハァハァ、やった。じゃあ頼む」
そこからは5分ほどアルが持ってくれた。その後交代することになり、アルから新しい目標が出される。次の目標は60歩。50歩で余力があったのだから、60歩もできるはずだ。
予想通り、難なく目標を達成する。そこからまたアルが持ち、しばらく歩いてまた交代。アルが新しい目標を出し、それを俺が達成する。
その後、同じことを繰り返し、俺の目標が80歩になったところで、かなり苦しくなってきた。そこで、目標をさらに細かく刻み、次は81歩、その次は82歩と、1歩ずつ増やしていった。
92歩にまで目標を上げたところで、本当の限界が来た。これ以上目標を上げられそうにない。そこで、アルが持つ時間を増やしてくれた。その分、俺の休憩時間が増え、持てる時間が長くなる。こうして目標が上げられるようになり、100歩に到達した頃には、パレンシアの町並みが見えていた。
俺が102歩の目標を達成する途中で、パレンシアの入り口を通過。そして、なんとか102歩目を踏み切ることができた。
「終わった。やったぞ。もう何もしたくない」
頭を地面に下ろし、その場にへたり込む。体は疲れ切っていたが、ガルムレザータを倒した時よりも達成感があった。辛さより、心地よさが勝っている。不思議な感覚だ。
「よく頑張ったな」と、アル。「これでだいぶ体が鍛えられただろう。ギルドまではオレが持つ。それが終わったら昼飯だな」
「昼飯。やった……」
叫びたいくらいの気持ちだが、はしゃぐ元気はもうない。朝からケーキ一切れしか食べてないから、昼飯はさぞ美味しいだろう。あと、コチャックのケーキも食える。
そうと決まれば、こんなところで座っている場合ではない。俺は立ち上がり、服に付いた砂を払った。アルが頭を担ぎ、二人でギルドに向かう。
ギルドの中に入ると、三人の受付係がこっちを見て目を見張った。無理もない。真っ黒い謎の塊が持ち込まれたのだから。
アルがカウンターに頭を置いて言う。
「依頼を達成しました。ガルムレザータの頭部です。確認してください」
「か、かしこまりました」
ルネスさんが頭部の口を開き、中を覗き込む。
「ふむ、この歯形、ガルムレザータに間違いありませんね。お疲れ様でした。それから、お二人は見事Eランクの依頼を達成されたので、Eランク冒険者に昇格です。おめでとうございます」
「ありがとうございます」と、アルがお礼を言うが、あまり嬉しそうではない。アルにとってはEランク昇格なんて当たり前のことでしかないのだろう。
だが、俺は嬉しかった。ここに来た時、アルに言われたことを思い出す。Eランクになれば、冒険者の仕事だけで飯を食っていける。ということは、俺はもう一人前の冒険者だ。誰かから「職業は?」と訊かれれば、「冒険者です」と堂々と答えられる。カッコいい……。
俺が一人でほっこりしていると、アルが報酬の70ガランを受け取った。これで飯が食える。
「早く昼飯食いに行こうぜ」と俺。
「いや、その前に次の依頼を決めておこう」
「え、なんで?」
「今日の読み書きの授業に使うからだ」
「ああ、なるほど」
俺とアルは掲示板の前に移動した。アルが訊く。
「次の依頼はどうする?」
「報酬が70ガランの依頼を達成したから、次は一段上げて80ガランの依頼にしよう」
「だったら……」アルは依頼書を眺め、そのうちの一つを選んだ。「これなんかどうだ? ウーニャの駆除」
「ウーニャ? どんなモンスターなんだ?」
「猿のモンスターだな。大きさは人よりも少し小さいくらいだ」
「うーん、猿のモンスターねぇ……。どんな戦い方をするのか想像できないけど、まあいいや。それにしよう」
アルは依頼書を剥がし、受付で手続きを済ませた。
それが終わると、ギルドを出て、いつもの飯屋に向かった。店に入り、グナメナを注文する。腹ぺこなのでいつも以上に待ち遠しかった。
ようやく料理が届くと、無我夢中でがっついた。そのせいで喉に肉を詰まらせ、危うく窒息しそうになる。アルに背中を叩いてもらって、なんとか肉の塊を吐き出した。
「卑しいぞ」とアルに呆れられる。
だが、美味いんだから仕方がない。俺は料理を完食すると、アルに頼んだ。
「なあ、今日こそコチャックのケーキを頼んでいいだろ?」
「ああ、いいぞ」
「やったあああ!」
俺はうっきうきで追加のデザートを注文した。しばらくして、魅惑のケーキがテーブルに届く。グナメナと違って、こっちは貴重だ。がっついたりしてはもったいない。ケーキを一口サイズに切り、口の中に入れる。
「んー、うまいー」
甘さが疲れた体に沁み渡る。ふと、ケーキからアルに視線を移すと、微笑を浮かべてこっちを見ていた。不思議に思って尋ねる。
「どうした? ケーキを分けてほしいのか?」
アルが小さく笑って言う。
「ふっ、違うよ。あんまり美味そうに食うから、こっちまで嬉しくなってな」
「アルも頼めば?」
「オレはいい。ゼラみたいに頑張ってないから」
「そうだな。早く俺みたいに頑張れるようになれよ」
「黙れ」
俺は言われた通りケーキを黙々と食べ、名残惜しさを感じながら完食した。料金を払って店を出る。
次は読み書きの授業だ。原っぱに行き、アルがウエストバッグから依頼書を出す。
「今日の課題はこれを完璧に読めるようになることだ。まずはオレの助け無しで読んでみろ」
アルから依頼書を受け取り、読んでみる。
「えっと、報酬は80ガランで、依頼者は――」
俺は読める範囲で依頼書の内容をアルに伝え、読めない部分があればその都度教えてもらった。
その後、一通り読めるようになると、アルは鍛錬に行き、俺は原っぱに残って内容の暗記に努めた。読めるだけではなく、書けるようにもならないといけない。依頼書の言葉を地面に書き、綴りを必死で覚える。
そうしているうちに日が暮れて、宿に帰った。部屋に入ると先にアルがいて、一緒に晩飯を食べに行った。その後、服を洗うために川辺に向かい、水魔法で服と体を洗ってもうらう。今日はたくさん汗をかいたから、水魔法風呂は気持ち良かった。
それが終わると、宿に戻ってすぐに寝た。今日は冒険者生活の中で一番疲れた日だったので、眠りに落ちるのも一番早かった。
《親玉のトカゲ 完》




