親玉のトカゲ ①
翌日。俺とアルはすぐにギルドへ向かった。金が無いので朝食は抜きだ。
今日からついにEランクの依頼を受けられる。達成すればワンランク昇格。そうなれば報酬は上がり、貧乏生活から脱却できる。なんとしてでもこの試練、乗り切らねば。
今の俺には槍という頼もしい武器がある。これを影から突き刺せば、どんなモンスターでも安全に仕留められるだろう。
俺は自信満々でギルドの扉を開けた。さっそく掲示板の近くに行こうとするが、受付の方から声をかけられた。
「スヴァルトゥル様、ちょっと」
なんだろうか。声がする方を見ると、受付係のルネスさんが立ち、手招きをしている。
なんか怖い。まさか、俺が街道の幽霊だとバレたのか?
ドキドキしながらカウンターに近づく。
「なんすか?」
恐る恐る尋ねると、ルネスさんが言った。
「昨日は大変申し訳ありませんでした」
「え、なんのこと?」
「私がパレラの卵を喜んだ際、怒っていらしたでしょう」
俺はほっとして言った。
「あ、ああ。なんだ、そんなことね。いいっていいって。依頼を選んだのは俺なんだし」
「いえ、あの時はスヴァルトゥル様の気持ちも考えず、不躾な振る舞いをしてしまいました。お詫びと言ってはなんですが、昨日パレラの卵で作ったケーキがあります。召し上がっていかれませんか?」
「マジで!? 俺今日朝飯抜きなんだよ。食べる食べる」
「では、今すぐ持って参ります。少々お待ちを」
ルネスさんはカウンターを離れ、階段をのぼっていった。しばらくすると、綺麗な赤い箱を持って降りてきた。カウンターに置き、蓋を開ける。中には扇形のケーキが二切れ入っていた。
ルネスさんがフォークを俺とアルに手渡して言う。
「この地域ではパルと呼ばれるケーキです。ウリングレイ様もどうぞ」
「ありがとうございます」とアル。
「いただきまーす」
黄色い生地の上に、茶色い焼き目が付いている。クリームなどのトッピングは無い。シンプルだが、美味しそうな見た目だ。フォークで小さく切り、口に運ぶ。
「こ、これは……」
なんだこの美味さは。グナメナもコチャックのケーキも、これには敵わない。反則的な美味さだ。
アルもさぞ感動しているだろう。そう思って隣を見ると、アルは無表情でもさもさ食べていた。いつもの食事と変わらないリアクションだ。鈍感な奴め。
てか、アルなんてどうでもいいや。とにかくこのパルを大事に味わわおう。
黙々とパルを食べていると、ルネスさんが言った。
「どうです?」
俺はハッとして答えた。
「めちゃくちゃ美味い。これが食えるなら、たしかにあれだけ喜ぶな」
「フフッ、そう言われると少々お恥ずかしいですが、まあそれくらい美味しいんですよ。私だけではなく、ギルドの職員はみんなこのパルが大好物で、昨日はついはしゃいでしまいました。みんな、スヴァルトゥル様に感謝していましたよ」
隣に並んでいた二人の受付係も言う。
「そうですよ。ご馳走様でした」
「私もご馳走になりました。ありがとうございました」
俺は照れながら答えた。
「えへへ、そんな」
こう言われると満更でもない。いや、むしろめちゃくちゃ嬉しい。嬉しいし美味しいしで最高だ。
俺はパルを平らげて言った。
「ご馳走様。朝食抜きだったから助かったよ。おかげで昇格できそうだ。ありがとう」
「ああ、そういえばEランクの依頼を受けられるようになったんでしたね。私もここで応援しております。頑張ってください」
「うん、頑張る!」
アルもお礼を言う。
「ご馳走様でした。美味しかったです」
「ウリングレイ様も頑張ってくださいね」
「ありがとうございます」
そんなこんなで腹ごしらえが済み、俺達は掲示板の前に移動した。アルが言う。
「今日は一番左端の依頼じゃないぞ。その隣だ」
「分かってるって」
掲示板の上部には『F』から『S』までの記号が書かれている。俺は『E』の区域の前に立った。ランク記号の読み取りは完璧だ。
アルが言う。
「もうだいぶ言葉も覚えたから、そろそろ依頼書も読めるんじゃないか?」
「そうかな……」
アルに言われ、依頼書に目を通してみる。
おお……読める。なんだか信じられない気持ちだ。今まではアルが書いた文字しか読んでこなかったが、今、自分は知らない誰かの文字を読んでいる。これが文字を読むという感覚か。知らない人間との意思の伝達。なんだか不思議な感覚だ。
俺は依頼書の文字を読み進めた。『報酬』という文字はもう習ったので読める。その横の『70』という数字も、昨日習ったばかりなので読めた。だが、数字の横にある言葉は習っていない。だいたい予想はつくが、一応尋ねる。
「なあ、70の隣にある言葉は『ガラン』だよな?」
「そうだ」
「やっぱり」
言葉自体は習っていなくても、既に習った言葉と文字が被っているので読める。この依頼の報酬は70ガランか。なかなかいい。
俺は報酬の値段だけを見比べた。Eランクは最低でも55ガランの報酬は貰えるようだ。
上に張られた依頼書から順に報酬をチェックしていく。すると、一際高い金額を見つけた。70ガラン以下がほとんどだというのに、その依頼書にはなんと100ガランと書かれている。
「おお、ついに銀貨が稼げるのか」
100ガランは銀貨一枚分の価値だ。他の依頼を見ると、報酬が100ガランの依頼はこれ一つだった。Eランクの報酬は55ガランから100ガランの間らしい。
ぜひとも100ガランに挑戦したいところだが、報酬が一番高いということは、当然難易度も一番高いということだ。いきなり挑むのは気が引ける。まずは小手調べに低い報酬の依頼を受けるべきだ。
さて、ではどの依頼にしようか。一番安全なのは55ガランの依頼だが、それだとFランクとあまり変わらないので寂しい。ここは思い切って70ガランの依頼に挑戦しよう。
俺は報酬が70ガランになっている依頼書を適当に一つ選び、アルに尋ねた。
「これなんかどうだ?」
アルが依頼書を見て言う。
「ほう、ガルムレザータか。いいんじゃないか」
「え、レザータ?」
俺は依頼書を再度見た。たしかに、ガルムレザータと書かれている。気づかなかった。
「なんだ、知らずに選んだのか」
「うん。報酬が70ガランならどれでもいいと思って」
「なんで70ガランなんだ?」
「危険過ぎない、ほどほどの強さだと思うんだけど」
「なるほど。たしかに報酬はモンスターの強さを表す指標になる。悪くない選び方だ」
「で、なんちゃらレザータは、俺たちが最初に倒したレザータと何か関係あるのか?」
「ある。ガルムレザータは、普通のレザータを率いるボスだ。レザータの二倍くらいデカい」
「ふーん」
「ちなみに、依頼書の裏にはガルムレザータの絵が描いてあるぞ」
「え、そうなの?」
俺は依頼書をめくって裏側を見てみた。そこにはかなり精巧なガラムレザータの絵が描かれていた。会員登録した時に見たルネスさんの念写魔法を思い出す。おそらくこれも同じような方法で描かれているのだろう。
ガルムレザータはレザータによく似て、全身が黄金の鱗で覆われている。だが、普通のレザータよりも鱗が突き出て、鋭く尖っていた。
いかにも強そうだが、おそらく弱点は普通のレザータと同じだろう。そこまで苦戦しなそうだ。
俺は視線を絵からアルに移して言った。
「相手にとって不足はなさそうだな。これにしよう。いいよな、アル」
「ああ」
俺は依頼書を掲示板から剥がし、アルに手渡そうとした。だが、アルは受け取らずに言った。
「今日は自分で手続きをしてみろ」
「えっ、できるかなぁ」
「別に完璧にできなくたっていい。とりあえずやってみろ」
「う、うん、分かった」
俺は緊張しながら受付に向かった。ルネスさんに依頼書を渡す。
「この依頼を受けたいんだけど」
「はい、かしこまりました。では、こちらに必要事項をお書きください」
用紙には依頼内容を書く欄と、パーティーメンバーの名前を書く欄があった。
メンバーの名前は無事に書けた。字は下手くそだけど。
問題は依頼内容だ。依頼書にはまだ読めない箇所がいくつかあって、正確な情報が書けない。
俺は後ろで見ているアルに助けを求めた。
「アル、ちょっとこっちに来てくれ」
「どうした?」
「ここ書いて」
結局、手続きはほとんどアルにやってもらった。一部始終をルネスさんに見られているので恥ずかしい。早く一人でできるようにならねば。
そんなこんなで手続きを済ませ、ギルドを出る。
敵の生息地はラグール近くの森らしい。最初の依頼でレザータを駆除した場所のさらに奥の地点だ。
レザータの弱点は腹だった。たとえそのボスがデカかろうと、弱点は変わらないだろうから、簡単に倒せるはずだ。
馬車に乗ってラグールに向かう。そこから川沿いを歩きながら森に入った。
獣道を進んでいく。途中、川辺でくつろぐレザータを何匹も見た。今見てもなかなかの迫力がある。ボスともなればどれだけの威圧感が加わるのか……。
辺りに注意を払い、緊張しながら歩いていると、突然大きな鳴き声が聞こえた。驚いて肩が跳ね上がる。悲鳴のような甲高い声だ。
怯えながらアルに尋ねる。
「こ、これがガルムレザータの鳴き声か?」
「……いや、こんな声じゃないと思うが。とにかく、声がする方に行ってみよう」
二人で鳴き声がする方向に進んでいく。そして、ついに敵と対面した。
そこには巨大なレザータがいた。体長は4メートルほどで、レザータのちょうど二倍くらいある。
依頼書に描かれていた姿とまったく同じだ。間違いない。こいつがガルムレザータだ。
敵を見つけると同時に、鳴き声の主も分かった。敵はその巨大な口で、鹿を咥えていた。それを尻から丸呑みにしよとしている。鳴き声はこの鹿が出していたのだった。
木の幹に身を隠し、食事の様子をうかがう。飲み込むために顔を上げるので、下顎の裏側がよく見える。背中のような金色の鱗は無い。やはりレザータと同じく、硬い鱗で守られているのは表側だけだ。裏側なら攻撃が通る。
今は食事中。下顎を槍で貫いても、鹿の体が邪魔で脳まで刃が届かないだろう。仕留めるタイミングはまだ先だ。
俺はしばらく敵の食事を観察した。鹿は抵抗も虚しく、体が飲み込まれ、見えなくなっていく。最後は頭部も口の中へ消え、敵の喉がごくんと脈打った。
鹿を完全に飲み下すと、敵はその場でじっと動かなくなった。腹が膨れて苦しいのだろうか。とにかく、仕留めるには絶好のタイミングだ。
「よし」
俺は覚悟を決め、自分の影の中に潜った。敵の影にゲートを開く。ここから下顎を通して脳天を突き刺せば、一撃で勝負は決まる。
俺はゲートから顔だけを出し、攻撃対象を確認した。ちょうど真上に下顎がある。俺のことに気づいていないので、のんきにじっと休んでいる。
俺は顔を裏世界に戻し、槍を構えた。握りしめる手に力を込める。息を整え、渾身の力で槍を頭上に突き上げた。
槍の先に感触があった。だが、突き刺さったような手応えはない。抜いた槍を見ると、刃に血が付いていなかった。感触は気のせいで、ほんとは当たってないのだろうか。
俺は近くの木の影にゲートを開き、そこから地上に出た。
敵を見る。敵は同じ場所にいて、頭部の位置も特に変わっていなかった。が、俺の攻撃に驚いたのだろう。周囲をきょろきょろと見回している。
俺は木の後ろに隠れながらアルに近づき、さっきの状況を訊いた。
「なあ、俺の攻撃は当たったのか?」
「ああ、下顎に命中してたぞ。しっかりな」
「だ、だよな」
俺はもう一度敵を見た。下顎に傷は無い。
「じゃあ、なんで刺さらなかったんだ?」
「ガルムレザータは金色の鱗が無い部位も、それなりに頑丈ってことだ。半端な力じゃ貫けない」
「げぇ、それマズいじゃん」
これでは槍を買った意味が無い。アルがどうして毎日鍛錬を行っているのかが分かった。たとえ武器があろうと、頑丈なモンスターの体は、使い手が非力だと傷つけられないのだ。
当然、今から鍛錬を行っても遅いし、どうしたものか……。
相手は体全体が頑丈な鱗と皮に覆われている。攻撃できる箇所は目や口の中だけだが、そこを狙うのは普通のレザータ以上に危険だろう。どうしようどうしよう……。
俺はしばらく考えていたが、アルの方を向いて言った。
「降参です」
《②に続く》




