潜影族の少年と勇者っぽい青年
ここは森の中の一本道。俺は道の脇にある岩に座って、通行人が来るのを待っていた。金を騙し取るために。
今日もいい天気だ。温かい日差しが顔に当たり、涼しい風が吹くので暑くもならない。
「ふぁ~」とあくびが出る。このまま昼寝をしてしまいたい。今すぐ金が必要なわけでもないし、ここらで一眠りしようか。
そう思った時、道の向こうから足音が聞こえてきた。
急いで岩から降り、木の後ろに隠れる。
通行人は一人の若い男だった。背中に大きな籠を担いでいる。向こうの城下町で何か品物を買い込んだか、逆に売ってきたかのどちらかだろう。もし売ったのなら、たんまり売上金を持っていそうだ。
俺は地面に浮かぶ木の影に丸い出入口を開き、そこに飛び込んだ。ゲートは普通の影にしか見えないが、全身がその中へと沈んでいく。
これが俺達、潜影族の能力だ。「俺達」といっても、もう俺以外の潜影族が生きているかは分からないが。
まあ、それはともかく、俺はこのように影に潜る能力を持っている。影の向こうには、上下左右、すべてが真っ黒な空間が広がっていて、潜影族はこれを「裏世界」と呼んでいる。
俺は地上から裏世界に入った。頭上を見ると、真っ白い穴が開いている。どこもかしこも黒い空間の中で、そこだけが白い。これはさっき通ったゲートだ。ゲートは地上からだと普通の影にしか見えないが、裏世界からだと白い穴に見える。ちなみに穴は平面で、形は自由に変えられる。
俺は頭上のゲートを閉じると、男がいる地点をイメージし、新しいゲートを男の影に開いた。丸いゲートが男の歩行に合わせて移動していく。
俺は泳いでゲートの真下に向かった。裏世界では水中のように泳いで移動できる。といっても、水中と違って息はできるし、水の抵抗は感じないので、落下が遅い空中を飛行するような感覚だ。
ゲートの真下に到着すると、地上に向けて声を出した。なるべく低く、しわがれた声を出す。その方が威厳があり、恐ろしげだからだ。
「そこのお前、止まれ」
「うわぁ」
男の驚く声が聞こえた。無理もない。突然、地面から声が聞こえてくるのだから。男が立ち止まったことで、ゲートの動きも止まる。
俺は続けて言った。
「儂はこの道で盗賊に殺された者の幽霊だ。呪われたくなければ、金を置いていけ」
男は怯えて言う。
「ひ、ひぃ。分かった。言う通りにする。いくら出せばいい」
「お気持ちでどうぞ」
「じゃ、じゃあ、100ガラン(「ガラン」は通貨単位)でどうだ? これ以上は勘弁してくれ」
ほう、100ガランか。それだけあれば一週間は生活できる。この男、意外と金持ちだな。
「よかろう。では、100ガラン置いて早くこの場を立ち去れ。いいか、後ろを振り向かず、一目散に走り去るのだ。さもなくば、お前に永遠に解けない呪いをかけるからな」
「分かった。呪いはやめてくれ」
地上でジャラジャラと音がした。財布の中を探っているようだ。
「ここに置くからな」
男はそう言って走り去っていった。男の動きに合わせて、ゲートも移動していく。
俺はゲートを閉じた。そして、近場の木の影に新しいゲートを繋げ、そこから地上へと出た。
疲労を感じて大きな溜息をつく。裏世界に入ると、大幅に体力を消耗するのだ。
怠い体を動かし、道の中央へと歩く。そこにはきらりと光る銀貨が一枚落ちていた。キスをしたくなるほど美しい。これ一枚で100ガランもの価値がある。
俺はほくほくした気持ちで安い皮袋に銀貨を入れた。一度の仕事でこれだけの金が手に入るとは。今日は運が良い。金は充分手に入れたし、そろそろ帰ろう。
そう思っていると、また向こうから誰かの足音が聞こえてきた。思わず木の後ろに隠れる。別に隠れる必要はないのだが、いつもの癖でそうしてしまった。
一人の男がこちらに近づいてくる。その姿を見て、俺は息を呑んだ。
風に靡く美しい銀髪に、男でも見惚れるほど整った凜々しい顔立ち。すらりと高い背丈に、服の上からでも分かる逞しい筋骨。高級そうな純白の衣服に、銀色に輝く鋼の軽鎧。腰に剣を差していところを見ると、どうやら剣士のようだった。
俺の頭に「勇者」という言葉が浮かんだ。子供の頃、死んだ両親に聞かせてもらった勇者の伝説。魔王を打ち倒すカッコいい勇者に、幼い自分は強い憧れを抱いたものだ。
勇者の姿を見たことはないし、そもそも実在した人物なのかすら知らない。だが、もしいるとすれば、こんな姿をしていたのではないだろうか。
そう思わずにはいられないほど、その青年はすさまじいオーラを放っていた。明らかに普通の剣士ではない。もしかして貴族だろうか。この庶民には出せない上品な雰囲気、きっとそうに違いない。
となると、さぞかしたんまり金を持っていることだろう。貴族なら金貨を持っていてもおかしくない。金貨一枚で1000ガランもの価値がある。銀貨の十倍だ。もし手に入れば、当分の間贅沢な暮らしができるだろう。
「いひひひ」と思わず笑みがこぼれる。既に一仕事終えて疲れているが、この際関係ない。なんとしてでもこの勇者様から大金を貰わねば。
俺はさっそく裏世界へと潜った。勇者の影にゲートを開き、真下に移動して声を出す。
「おい、そこの者、止まれ」
「……」
勇者の足音が止まる。だが、驚く声は聞こえなかった。さすが勇者様、これくらいのことでは動じないらしい。こういう相手は今までにもいた。この場合、脅しが効かない可能性が高いので、作戦を変更する。同情を誘うのだ。
「儂はこの道で盗賊に殺された者の幽霊です。今も怨念に縛られ、この世を彷徨っております。哀れと思うのであれば、何か恵んでくだされ」
勇者がイケメンボイスで言う。
「……それはお労しい。いったい何が欲しいのです? 私で良ければ力になりましょう」
俺はなんだか腹立たしくなってきた。声までカッコいいとは、コイツはどれだけ恵まれてるんだ。ああ欲しいさ、お前の肉体。もしお前になれれば、人生はさぞイージーになるんだろうな。そんで俺みたいな雑魚どもが嫉妬してきても、剣でぶった切ってやればいいんだ。クソが。
俺は苛立ちを抑え、できるだけ弱々しい声で言った。
「儂の目的は盗賊どもを捕まえ、衛兵に引き渡すことです。そのためには金がいります。どうかいくらか恵んでくだされ」
「……いいでしょう」
「ありがとうございます。では、金を地面に置いていってくだされ」
「いや、たとえ幽霊が相手でも、地面に置いて渡すなどという無礼な真似はしたくありません。直接手渡すので出てきてください」
「……」
なんだコイツめんどくせーな。こんな奴は初めてだ。黙ってさっさと置いてきゃいーのに。
俺は悩んだ。いかにも年をとった感じの声で話していたから、14歳の自分が姿を現すと向こうは怪しむだろう。どう見ても幽霊っぽくない見た目だし。うーん……。
どうしたものか考えていると、勇者の声が聞こえてきた。
「どうしました? 幽霊の姿を見ても私は驚きませんよ。だから心配せずに出てきてください。そうすれば、1000ガランお渡しします」
1000ガラン! 出たぁッッ! やはりコイツは金貨を持っているのだ。これは絶対に手に入れなくては。
俺は興奮を抑えながら言った。
「分かりました。そんな大金をいただけるのでしたら、こちらも姿を現さなければ失礼ですな」
俺は後先を考えず、ゲートをくぐって勇者の影から地上に出た。背後に立って言う。
「現れましたぞ。では、1000ガランを」
「ライムキース」
「え?」
勇者は振り向かずに何か呟いた。次の瞬間、どこからか黄色く光る鎖が現れ、俺の体に巻き付いた。身動きがとれなくなって倒れる。勇者が呟いたのは魔法の呪文だったのだ。騙された!
勇者が振り向き、俺を見下ろして言う。
「どう見ても生きた人間だな。ま、最初からこんなことだろうと思ってたが」
勇者はしゃがみ、俺の顔を覗き込んだ。
「おい、お前、どうやってオレの背後に現れた。魔法か?」
青い瞳に射すくめられ、俺は正直に答えた。
「……魔法じゃない。あんたの影から出たんだ。俺は潜影族だからな」
「潜影族!?」勇者が驚いた顔をして言う。「十年ほど前に絶滅したと聞いたが、お前はその生き残りか?」
「そうだ。頼む、助けてくれ」
「なんでお前だけ生き残った?」
「知らねーよ。朝起きたら、みんな死んでたんだ。父さんも母さんも、集落にいた全員が死んでた。生き残ったのは俺だけだ」
「……その時、君はいくつだった」
「六歳だ」
「そうか。それで、生活費を稼ぐために通行人を騙していたわけだな」
「悪いか? そうしないと生きていけなかったんだ。あんたみたいな貴族には分からないだろうけどな」
「オレは貴族じゃない。ま、今はそんなことどうでもいい。オレがここに来たのは、ギルドに依頼が出されてたからだ。君に関するね」
「ギルド?」
「冒険者ギルドだ。そこに、通行人を脅す幽霊をなんとかしてくれって依頼があった。大方、幻覚を見せるモンスターか魔術師の仕業だと思ってたんだが、まさかその正体が潜影族だとはな」
「で、俺をどうするんだ? 衛兵に引き渡すのか?」
「いや、やめておこう。普通の悪党ならそうするところだが、君は特別だ。なにせ六歳で家族を全員失ってるんだからね。そりゃあ、まともな生き方なんてしたくてもできないだろう。見逃してあげるよ」
「あ、ありがとう。さすが勇者様」
「ふっ、勇者って。変なお世辞を言う奴だな。ただ、君をそのまま見逃すわけにはいかない。条件がある。オレとパーティーを組め」
「パーティー? 冒険者になれってことか?」
「そうだ。オレがまともな金の稼ぎ方を教えよう。そうすれば悪事を働かなくても生活できる。どうだ?」
「えっと……」
正直、冒険者になるのは嫌だ。冒険者はおそらく世界で一番危険な仕事だろう。強いモンスターを倒すのが主な任務だと聞いたことがある。俺なんかに務まるとは思えない。
どうしようか悩んでいると、勇者が言った。
「嫌なら、衛兵に引き渡すことになるが」
俺は慌てて返事をした。選択の余地はないようだ。
「待ってくれ。冒険者になる」
「よし、じゃあ鎖を解いてやろう。ただし、逃げるなよ。もし逃げれば、二度目の交渉はない。いいな?」
「ああ、分かった」
俺が返事をした瞬間、あれほどキツく体を縛っていた鎖が一瞬で砕け散り、消滅した。
勇者がこちらに手を差し出す。俺はその手を借りて立ち上がった。勇者が言う。
「オレの名前はアルジェント・ウリングレイ。みんなからはアルって呼ばれてる。君は?」
「ゼラ。ゼラ・スヴァルトゥル。みんなからは街道の幽霊って呼ばれてる」
「ふっ、それはあだ名じゃないだろ。ゼラでいいよな。ゼラもオレのことをアルって呼んでくれ」
「分かった。アル、これからどうするんだ?」
「冒険者ギルドに行こう。そこでまず依頼の達成報告をして、それからゼラの会員登録を済ませる」
「達成報告って、俺を見逃しても達成したことになるのか?」
「分からない。だが、そうなってくれないと困る。もう幽霊が現れないようにしたんだからな」
「そんな上手くいくもんかねぇ……」
「ところで、ゼラは今いくつだ?」
「14歳」
「良かった。それなら登録できる。会員になれるのは13歳以上だからな」
「アルはいくつ?」
「17歳だ」
「ふーん」
見た目通りの若さだ。まあ、普通の17歳にこんな勇者オーラを放つことはできないが。
そんなこんなで、俺とアルはギルドへの道を歩きだした。歩きながら思う。俺はこれからアルと共に、ギルドの依頼をこなすことになるのだろう。そして、見たところアルは相当凄腕の剣士だ。しかも魔法まで使えるときている。
ということは、いざ依頼を受けても、ほとんどアルに任せっきりで達成できるかもしれない。俺はアルのサポートさえすればいい。危険なことは全部アルにやってもらうのだ。そうすれば、俺は労せずにがっぽり報酬の分け前を貰える。アルなら高難易度かつ高額報酬の依頼も達成できるに違いない。しかも気前も良さそうだし。報酬の配分は半々くらいにしてもらえるかもしれない。そうなれば、銀貨くらいは軽く稼げるんじゃないだろうか。いや、もしかしたら金貨だって……。
俺が長い妄想にふけっていると、アルが声をかけてきた。
「おい、なんでそんなニヤニヤしてるんだ」
「えっ、いや、その、勇者の相棒になれると思ったら嬉しくて」
「さっきから勇者勇者って。ゼラが言ってるのは魔王を倒した伝説の勇者のことだろ? だとしたらオレを買いかぶりすぎだ。オレなんて、勇者に比べたら足下にも及ばないよ」
「そんなことないって。俺には分かる。アルには勇者の風格があるから」
「ゼラに勇者の何が分かるんだよ。あと、そんなにオレが強そうに見えるなら、どうして金を騙し取ろうとしたんだ」
「勇者様ならたんまりお金を持ってそうでしょ?」
「ああ、一応言っておくが、1000ガランなんて大金持ってないからな。今のオレの全財産は10ガランだ」
「10ガラン!? またまたぁ。俺に盗まれると思って嘘ついてるんだろ? 心配しなくてもそんなことしないって」
10ガランは銅貨10枚分の価値で、俺の一日分の生活費よりも少ない。もし本当にそれしか持っていないとすれば、俺の方がアルより金持ちということになる。
「別にゼラを疑ってるわけじゃない。本当にそれしか持ってないんだ。装備を買うのにほとんど使ったからな」
「ああ、なるほど。その装備、相当高いんだな。剣だけで1000ガラン、いや2000ガランくらいするんじゃないか?」
「そんなにしない。剣が100ガラン。鎧が300ガランだ」
「またまたぁ。俺に盗まれると思って」
「それさっき聞いたよ。本当のことだ」
「……」
おいおい、まさかコイツ、たいしたことないんじゃねーのか? 金を持ってないってことは、高額報酬の依頼をこなしてないってことだ。この勇者モドキ、凄いのは見た目だけで、実際はクソ弱いんじゃ……。
俺の輝かしい期待は一気に不安へと変わった。もしアルがクソ雑魚勇者モドキだったら、これから先、どんな困難が待ち受けているのやら。
俺は憂鬱な気持ちを抱えながら、アルと共に城下町のラグールまで歩いた。そこからは馬車に乗って移動し、ギルドがある町に到着した頃には夕方になっていた。
お読みいただきありがとうございます。作中で三種類の通貨を出したので、ここでは通貨の価値について説明しておこうと思います。興味の無い方は読み飛ばしていただいて大丈夫です。また、日本円に換算したときの価値も併記します。
金貨1枚=1000ガラン=約10万円
銀貨1枚=100ガラン=約1万円
銅貨1枚=1ガラン=約100円
金貨1枚=銀貨10枚=銅貨1000枚
だいたいこんな感じです。基本的に庶民は銅貨しか持たず、金貨は貴族しか持っていません。