9 一人の夜
その夜、ロビンはソフィアを誘いに来なかった。
下手な言い訳をする必要もなかったので助かったが、前回の今夜がどうだったかまでは、さすがの記憶力を持つソフィアでも覚えてはいない。
もし違っていたとしても今更だし、それほどの影響はないだろう。
それよりも久しぶりに手に入れた一人きりの夜なのだとソフィアはやるべきことをやった。
薄氷を踏む思いで回収した魔道具も、自分たちの情事以外は何も映ってはいない。
夜は夫婦共寝がほとんどなので、日中の可能性が高いと踏んだのだが違ったのだろうか。
魔道具の画像消去をしながら、ソフィアはじっと考えていた。
もしもレオに前回の記憶があるなら、いっそ手を組むというのはどうだろう。
いや、もし仮にそうだとしても結婚自体に何の興味も示さないレオは、協力を渋るかもしれない。
レオはブリジッドがどうなろうと構わないと考えている節があるし、仮に嫌っていたとしても王族の離婚は認められないのだ。
「でもブリジッドが妊娠したことを公表したということは、感情は別としてもやることはちゃんとやっているってことよね?」
そう思った途端、心がチリッと傷んだ。
「私ってまだ元婚約者に情を残しているのかしら」
そういえば自分が飛び降りた後、レオはどう動いたのだろうか。
実家からの抗議など来るはずはないので、大きな問題にはならず『精神錯乱』か『単純な事故』でかたづけられた可能性が高い。
「まあ、どうでも良いわ」
それより明日からのことだ。
予定通りであれば、三か月後にはブリジッドの妊娠が発覚し、そしてそのひと月後、身重の妻を置いてレオは辺境の紛争地へと向かう。
それから二週間後に、あの忌まわしい事件が起こるのだ。
「九月十六日……」
それはソフィアが前世で経験した最も悲しく辛い日だ。
「名前もつけてやれなかったわね。あなたは男の子だったの? それとも女の子?」
その日から約一年、消えていった子供のことを考えなかった日はない。
時間が巻き戻った今でもそうだ。
きっと何度生まれ変わっても忘れることはないだろう。
「考えても仕方がないわ。それより証拠よ! 証拠を集めなくちゃ」
自分が死ぬ前の二人の様子から、当然のごとく盛りまくっているのだろうと考えていたソフィアは、当てが外れて悩んでいた。
「それにしてもロビンが甘いわ……甘すぎるわ。確かに前世でもやたら甘やかしてくる人だったけれど、今回はさらに輪をかけて酷くなってるような……どういうこと?」
もしかするとロビンにも前世の記憶があるのではないだろうかと考えたソフィアは頭を抱えてしまった。
もしそうであれば、今回の作戦は完全に詰んでいることになる。
ソフィアは机に向かって現状の整理を始めた。
「ここまでは前と同じように進んでいると考えて問題ないわ。少しくらいの行動の変化では大筋は変わらないこともわかったし。問題は、ロビンとブリジッドの関係が未だに確認できないことと、前世では無かった行動をレオがとったことよね」
しかし、レオに前世の記憶があるなら最初からブリジッドとは結婚していないだろう。
なんなら切り捨てるくらいのことはしているのではないだろうか。
「でも既定路線とでもいうように結婚した。でも行動は違っているところがある……謎だわ」
ふと前世でのロビンとの生活を考える。
結婚してあの事件があるまで、ロビンとはうまくいっていたはずだ。
少なくとも自分は王命での政略結婚という意識は霧散し、ロビンに恋愛感情を抱いていた。
「でなければ死を選ぶほど悩み苦しむわけがないわ」
ではロビンはどうだったのだろうか。
あの事件を境に自分は心を閉ざしてしまったのだが、ロビンは何度も関係の修復をしようと努力をしていた。
そして徐々に絆され、何か事情があったのだろうと思い始めていた矢先に見たあの光景。
今思い出しても胸が張り裂けそうになってしまうほどのショック。
「そうよ。愛おしそうにブリジッドが産んだ子供を抱いていたわ。右手に子供を抱いたままブリジッドを抱き寄せたのよ……そしてその髪に……」
いつの間にかソフィアは涙を流していた。
それほどまでに自分はロビンを愛していたというのだろうか。
「それとも執着? 自分で自分の感情がわからないなんて!」
その光景を見たソフィアは衝動的にバルコニーから我が身を躍らせたのだ。
そして最後に見たのが、慌てて駆け寄るロビンの顔だった。
「もう忘れましょう。冷静さを欠いてしまっては巻き戻った意味が無くなってしまうわ」
ソフィアはロビンとブリジッドの不貞を暴き、王城を出ていくことを目論んでいる。
失敗したら死ぬことになろうとも、ソフィアは必ず成し遂げると心に誓っていた。
最善は生き残って一人静かに暮らすことだ。
そのために必要なお金は炭鉱を買い戻したことで確保したし、住む場所も手に入れた。
王族の離婚は認められていないので、自分は病死したことにしてもらい、名を変えて平民として寿命を全うしたい。
「でもなぜ巻き戻ったのかしら。私に何か重要な役目があるってこと? 神がその力を使うほどの重要な……炭鉱? でもそれなら前世でもハリスン侯爵が再掘削をしたし。それとも生きてこの先に何かをするのかしら」
ソフィアは勉強はできるという自負はある。
しかし、それはただの机上の知識であり、実践を全く伴っていないただの頭でっかちだという認識もしていた。
「もしかして、あの光景を見ても冷静に傍観すればよかったの? あの時に死ぬべきではなかったってこと?」
通常時のソフィアであれば、あんなことで死を選ぶような性格ではない。
むしろ駆け下りて夫の顔を張り飛ばすくらいの気の強さは持っているという自覚はある。
あの事件からずっと心を病んでいたのかもしれないとソフィアは思った。