59 国王と皇太子
国王の執務室ではすでに人払いがされていた。
仕事のほとんどを皇太子に譲っていた国王は、療養の甲斐もあって顔色も良くなっている。
「おはようございます、父上も母上もお顔の色が良くなられた」
「ああ、ロビン。お前もなかなか良い顔をしているじゃないか」
国王と皇太子が一人掛けのソファーに座ってテーブルの左右を挟み、二人掛けのソファーに王妃と皇太子妃が座っている。
「大きくなったわね。もうすぐ一歳の誕生日を迎えるなんて驚きだわ」
王妃が優しい顔で言った。
「はい、本当に元気に育ってくれていますわ、お義母様」
皇太子の『家族として』という言葉を尊重し、ソフィアは敢えて王妃殿下とは言わなかった。
「さあ、お前たちも座りなさい。そしてロビン、今朝の話をちゃんと分かるように説明して欲しい。ここには家族しかいないのだから、何の忖度もいらないよ」
「うん、アラン兄さん。ありがとうね」
そう言うとロビンは抱いていたレオナードをソフィアに渡して、ギュッと両手を握りしめて話始めた。
「母上、本当にごめんなさい。父上も許してください。僕は多分……もうすぐ寿命が尽きる」
声をのむ音が部屋に響いた。
「ねえアラン兄上、どうしてレオ兄上が辺境へ行ったか知ってる?」
「それは辺境領に出没する魔族と戦うために……違うのか?」
「違わないけれど、それが全てってわけじゃないんだ。今出没している魔族は露払いのようなもので、こちらの戦力を減らすための囮だよ。ひと月後には『大悪魔』がやってくるんだ」
国王がガタッと音をたてて立ち上がった。
呆然とする国王の横で王妃が目を見開いている。
「ロビン? 噓でしょう? 寿命が尽きるなんて……そんな不吉なことを言わないで。それに何なの? 大悪魔? どういうこと?」
王妃が真っ青な顔で言った。
ロビンが王妃に駆け寄る。
「母上……ごめんね。僕はずっと心配ばかりかけているよね。僕は母上が大好きだよ。ずっと甘えてばかりだった。親孝行できなくてごめんなさい」
「ロビン……ねえロビン、そんなこと言わないでちょうだい。医者は? 医者はなんと言っているの? あの者でダメなら他国で探してみましょう」
「母上、ありがとう。でも、もう無理なんだ」
王妃の体がグラッと揺れた。
それを抱きかかえたナタリーがアランに言う。
「休ませた方がいいわ。医者を呼んで診てもらいましょう。ただの貧血だとは思うけれど」
「わかった。ナタリー、すまないが君が付き添ってくれ。後で必ず全て話す」
頷いたナタリーがドアの外に控えていた侍女と騎士を呼び、王妃と共に部屋を出た。
それを見送ったアランが言う。
「さあ、ロビン。腹を割って話そうか。ソフィアも良いね?」
「はい」
まるで空気を読んだかのようにレオナードは眠り始めた。
国王がソフィアに抱かれた孫を覗き込む。
「よく眠る良い子じゃな」
ロビンがレオナードのぷくぷくとした頬を指先でつついた。
「あのね父上、この子は『魔消しの者』なんだ」
国王と皇太子が目を見開いた。
「あの伝承は……作り話ではないのか?」
それには返事をせずロビンが続けた。
「そして、ソフィアは『選ばれし者』だよ」
二人がソフィアに驚いた表情を向けた。
「レオ兄上は『レナード王の血』を捧げる者になろうとしている。でも、僕にもその血は流れているでしょ? どうせ消える命なのだから、レオ兄上ではなく僕がその役を担おうと思う」
「ロビン……」
「僕はこの子を抱いて『大悪魔』の体内に入る。この血と共にこの子が持つ力を開放するよ。でもまだ小さいから完全じゃないだろうと人魚の女王は言っていた。しかし相当弱らせることはできるはずだ。だからこそレオ兄上には生きていてもらわなくちゃ。トドメを刺してもらうためにね。それこそ僕には無理だもの」
ソフィアが口を開いた。
「私もその場に行きます。人魚の女王と大魔女が『魔消し薬』を作ると言ってくださいました。でもその薬を完成させるためには、私が必要なのだそうです」
「ソフィア?」
皇太子が泣きそうな顔でソフィアを見た。
「大丈夫です。私は死にません。ロビンと約束しましたから、絶対にあきらめたりしません」
国王は立ち上がり、ソフィアを抱きしめた。
「ソフィア、お前もこの国の民のために尽くすと言ってくれるのか。すまん……作り話だとタカをくくり、準備を怠っていた私の落ち度だ」
「いいえ、どんな準備をしていたとしても『大悪魔』を倒すための条件が揃わなければ無理なのだと聞きました。お義父様、そしてお義兄様。どうか二人の王子が命を捧げてまで守ろうとしたこの国を守ってくださいませ。二人の王子を語り継いでください……どうぞ……お願いいたします」
皇太子が泣きながら頷いた。
「約束するよ。必ず今よりも豊かな国にしてみせる。そして二人のことは王位継承者に伝わるあの物語と共に、必ず後世へと繋げよう」
「それを聞いて安心しました。ねえ? ロビン」
「うん、兄上が請け負ってくれるならこれほど心強いことはないよ。安心して旅立てる」
国王がロビンを抱きしめた。
「そこまで決意しているなら、もはや何も言うまい。明日は家族全員で晩餐をしような。ロビンとソフィアの好きなものを用意させよう」
「うん、父上。とても楽しみだよ」
「母上とナタリーへは私から話そう。お前たちはゆっくりと過ごしてくれ」
頷いたロビンがレオナードを抱き上げた。
「私にも抱かせてくれないか」
国王が手を伸ばした。
「もちろんです。抱いてやってください」
ソフィアの言葉に国王の目が真っ赤に染まる。
「こんなことならもっと一緒に過ごせばよかった。ブリジッドへの嫌悪からこの子まで遠ざけてしまうなど……私は愚かなことをしていたものだ」
「次は私にも抱かせてくれよ。それにしてもよく寝ているなぁ」
「ええ、ぐずるようなこともなくて本当にいい子ですわ」
「小さい手だな……ちゃんと爪もある。ぷくぷくして柔らかいな」
「ほっぺもぷにぷにですわ。どうぞ撫でてやってください」
国王はたまらず嗚咽を漏らした。
皇太子が交代するようにレオナードを抱くと、ロビンが国王の手を取る。
「父上、不甲斐ない私を今まで見守って下さって感謝いたします。私はこの国のためになれる将来がくるとは思っていませんでしたから、これで良かったのだと思っているのです。今まで本当にありがとうございました。父上……そして兄上も」
ロビンの目から涙が溢れだす。
国王は何も言わずギュッとロビンを抱きしめた。
皇太子は腕の中で眠るレオナードをあやすように揺らしながら、ぽたぽたと涙を流した。




