51 ロビンの告白
「いつまでこんなことをしなきゃならないのよ!」
ブリジッドがそう叫んで胸に吸いつく赤子を薙ぎ払おうとしたことがある。
それ以降、授乳時は必ず女性騎士達が両方からブリジッドの腕を掴んでいる。
拘束されるような恰好で赤子に乳を吸われているブリジッドは、憎々しげに乳を吸う子を睨んでいた。
「初乳も済みましたので、今後は搾乳して与えましょう。その後は乳母の乳を吸わせます」
「ではもう終わりね?」
「直接授乳は必要ないと仰るならそうですね。しかし一日数回は搾乳をします。もししないと辛いのはご自分ですよ? 張り過ぎるとものすごく痛いですし、中で固まりでもしたら大変なことになりますよ?」
「あんた私を脅しているの?」
「いいえ? 真実を申し上げているだけです」
「ロビンを……ロビンを呼んでちょうだい! 今すぐによ!」
頷いた女性騎士が部屋を出た。
「それでは私たちはこれで」
まだ名もついていない赤子を抱いた看護人は、いつものようにソフィア妃の私室へと向かった。
赤子を育てる気のないブリジッドに代わり、ソフィアが申し出て面倒をみているのだ。
「ああ、帰ってきたわ。たっぷり飲んだかしら?」
ほっとした顔で看護人が答える。
「もう本当に元気よく吸いつかれますわ。力強い吸いっぷりですし、量も生後二週とは思えないほど多いです。明日からは搾乳を与えます。妃殿下もなさってみますか?」
「いいの? 私にもできる?」
「はい、すぐに慣れますよ」
にっこりと笑ったソフィアが看護人に聞く。
「乳母は決まったのかしら?」
「はい、子爵家ではございますが、ブリジッド妃より二週間ほど早くご出産なさった方が来てくださることになったと聞いております。王妃陛下のご紹介ですので安心ですわ」
「そう、それなら良かったわ。その方はいつから?」
「その方のお子が二か月を過ぎてからと聞いております」
「まだ先ね。あなたも大変でしょうけれど、よろしくお願いします」
腹が満たされスウスウと寝息を立てる赤子を見ながら、この子が悪魔の血を引いているのだと思うと、不憫でならなかった。
ぷっくりとした頬に指先を当てながら、まるで天使のようだと思う。
二週も経てば目を開くだろうと言われていたのに、未だにその瞳の色は確認できていない。
「焦っても仕方が無いわ。私はとにかくこの子を慈しむだけよ」
ブリジッドの出産の日以降、ロビンはソフィアの前に姿を見せていない。
人魚の薬は側近に頼んで飲ませているので安心だが、体調を伺う手紙を出しても『問題ない』という走り書きのようなメモしか帰ってこないのだ。
「無理にでも会いに行くべきかしら」
すやすやと眠る赤子の顔を見ながらソフィアはどうすべきか悩んでいた。
そしてその夜、再開できたレオとの通信で、ソフィアは現状を伝えた。
「ロビンが顔を出さないの」
「体調がわるいのか?」
「わからないのよ。本人は大丈夫って」
「様子を見た方が良いな。赤子は?」
「まだ目を開けてないけれど元気よ」
「そうか。ロビンの……残念だ」
「まさかとは思ったけれど……」
「大丈夫か? ソフィア」
「ええ、覚悟はしていたから」
「側にいられなくて辛いよ」
「私もよ。会いたいわ」
「名は決まったのか?」
「まだみたい。彼女はロビンにつけさせる気よ」
「当然だろう。父親だ」
「レオ……」
「天国でも子はできるのだろうか」
「天国って……」
「君が天寿を全うするまで、待っているよ」
「レオ……あなたに会いた……」
今夜はここまでのようだ。
窓に切り取られた夜空を見ながら、天国の話をしたレオに思いを馳せる。
それほどまでに死が身近にあるのだろうか。
怪我はしていないか、病気になどかかっていないか、そう考えると目が冴えるばかりだ。
「そうね、レオ。天国で夫婦になりましょうね」
ベビーベッドですやすやと眠る赤子の頬に唇を寄せた。
「早く名前が貰えると良いわね」
そして翌日、午前中の仕事を片づけたソフィアはロビンを昼食に誘った。
忙しいからと渋ったロビンだったが、バスケットにサンドイッチを詰め込んでやってきたソフィアを見て降参したようだ。
「ちゃんと食べているの? 瘦せたのではない?」
「食欲が無いんだよ」
「あのお薬は飲んでいるの?」
「うん、あれだけは欠かさずに飲んでいるよ。側近が君の命令だって言ってた」
「あれは本当に効くから。他のお薬は飲んでないのかしら?」
「ちゃんと飲んでるよ。こっちは医者の命令らしい。もしかすると薬をたくさん飲むから腹が減らないのかな」
「ふふふ、でもチョコレートなら食べられるのね?」
サンドイッチを手に、横目でオレンジピールチョコを見ていたロビンを揶揄うソフィア。
「ねえソフィア。話したいことがあるんだ」
「ええ、何でも聞くわ。サンドイッチを二つ食べたらね」
フッと息を吐いてコールドチキンサンドを口に運んだロビンの目は、今にも泣きそうだ。
「こっちのはベーコンとタマゴよ。好きでしょう?」
「うん……どうしても二つじゃなきゃだめ?」
「そんなに食べられなくなっているの?」
「胸が……胸が苦しいんだ。君に会えないから……会う資格がないから」
食べかけのサンドイッチを皿に戻したロビンが嗚咽を漏らした。
ソフィアは夫というより同志に近い存在となったロビンをみつめながら、この人も苦しんでいるのだと思った。




