41 参加者の変更
ロビンの執務室を出たソフィアは、後ろを付いてくるレモンに声をかけた。
「シフォンはもう戻ってきたの?」
「うん、昨日の夜に戻ってきたって連絡があったよ。なんでもレオ殿下が到着するまで待っていたらしい。こっちじゃ話せないことがあったみたいだね」
「こっちじゃ話せない? それは私に聞かせられないってことかしら」
「どうだろ? 違うと思うけど。きっと現地での細かい行動とかじゃない? 状況を見ながらじゃないと決められないとか?」
「ああ、なるほど。ねえ、できるだけ早くシフォンに会いたいの。もしもお義兄さまご一家が湖に同行したり、ブリジッドが来なかったりしたらどうなるのか教えてほしいのよ」
「ああ、そのこと? 大丈夫だよ。あいつらは無関係だ。でも王太子ご一家が揃っているところでソフィア様が湖に落ちたら、護衛騎士達がすぐに助けようとするでしょ? そっちが邪魔だよね。ソフィア様には恙なく沈んでもらわないといけないもん」
「恙なく……まあそうよね。どちらにしても予定とは違うでしょ? どうするのが正解?」
「とにかく人魚に会うこと。前回は暴漢に襲われたでしょう? それはあの女を恨んだひょろひょろ男が仕組んだことで、湖に落ちるための単なるイベントさ。イベントなんて何でもいいんだ。要はソフィア様が落ちることだもん」
「不自然じゃなくて、しかも流産するほどのダメージかぁ。難しいわね」
レモンが肩を竦めた。
「心配ないよ。なるようになる」
今度はソフィアが溜息を吐いた。
「なるようになれば良いけれど、ならなかったら大変なことになるから心配してるの」
「だからなるようになるってば。それよりどうするの? 母さんに会う? 聞くだけなら私が行くよ?」
レモンが両手をパタパタさせて羽ばたきの真似をした。
「会いたいけれど、明後日までに仕事を終わらせないといけないから、レモンに頼もうかな。それ以降は当分休まなきゃでしょ? できるところまでは終わらせたいの」
「じゃあ私にお遣いに行けって命令して。ちゃんと門から出ないと怪しまれるし、小鳥だから荷物を持っていたら飛べない」
「わかった。だったらオレンジピールチョコレートとあなたの好きなお菓子をたくさん買ってきてちょうだい。それと行きがけにシフォンの好きなものを買って届けて」
「母さんの好きなもの? うん、わかった」
聞きたいが聞くと後悔するかもと思いながらも、好奇心が勝ってしまう。
「ねえ、シフォンの好きな物って何?」
「ワインだよ。ちょっと渋めの赤ワイン」
「ああ……そうなの。では赤ワインを届けてね」
レモンが嬉しそうに頷く。
いつもシフォンが飲んでいるのは赤ワインだったのかとソフィアは思った。
てっきり何かの生き血だと思っていたソフィアは、知らない間に偏見を持っていた自分を恥じた。
私室でお金を渡し、レモンを行かせた後で執務室に戻る。
午前中に終わらせた書類は無くなっていたが、新しいものが積まれていた。
「さあ始めましょうか」
ソフィアの号令で部屋の空気が引き締まった。
カリカリというペンが紙を削る音だけが響く。
ソフィアは心が落ち着くこの音が大好きだった。
「休憩しませんか?」
声をかけてきたのはソフィアの側近の一人だ。
その手には入れたばかりの紅茶ポットとカップがある。
「ええ休憩しましょう。みんなにもそう言ってね」
ソファーに移動したソフィアは、首に手を当ててゆっくりと揉んだ。
妊婦設定になっているのでコルセットはしていないからまだ楽な方だろう。
フッと髪が揺れ、窓が開いたことに気づく。
夏の深緑を思わせる匂いから、微かに枯草が混じるそれに変わっていることに気づいたソフィアは、時間だけは確実に進んでいるのだと改めて思った。
「みんなはこの国の出身なの?」
カップを運ぶ手を止めて、文官たちが返事をしていく。
その返事を聞きながら、ソフィアは弱気になっている自分に驚いた。
なぜそんなことを聞いてしまったのだろう……自分が『人魚の涙』を手に入れて、シフォンが『魔消し薬』を作れば『大悪魔』は消滅するというのに。
「私には荷が重いわ」
ソフィアの独り言は誰の耳にも届かない。
一方ロビンは、兄の執務室を訪れていた。
「ピクニックかぁ。いいなぁ、それ。ランチならほんの二時間くらいだから、なんとかなるかもしれん。ナタリーもきっと喜ぶよ。明後日だね? 昼前には出るのかな?」
「うん、そのつもり。厨房に準備を頼もうと思っているから、できるだけ早めに返事をくれない?」
「わかった。すぐに確認するよ」
「ブリジッドは来ないかもしれない」
「そうなのか? 一番先に行くと言いそうなタイプだが」
「ドロウ侯爵が来るとか言ってたよ」
「ああ、それなら聞いているが、確か夕方だぞ? レオがいなくて寂しいだろうから夕食を一緒にとりたいと言ってきたんだ」
「じゃあ大丈夫じゃん。なんだろ……めんどくさいなぁ」
ロビンが不貞腐れたような顔をする。
「まああの子も寂しいのだろう。小さい頃はあんなじゃ無かったのになぁ」
「そうだよね。素直で可愛い子だった」
「学園を卒業する頃から変わってしまったよな。お前と婚約する前くらいじゃないか?」
「そう? 僕の印象ではもう少し早いような気がするけれど、確かにあの頃だよね。なんていうか行動が自暴自棄? そんな感じ」
「お前たちは上手くいっていたのだろう?」
「どうかな。僕としては『まあしょうがないよね、幼馴染だし』って感じだったけれど」
「たぶんお前の反応が想像とは違っていたんだろう。ブリジッドはお前のことが大好きだったからな」
「え?」
「えって……気づいてなかったのか? あの子はずっとお前一筋だったぞ? ドロウ侯爵の財力はどうしても必要だったから、私たち三人の誰かと婚約することは決まっていたけれど、むしろこちらが選んだというより、ブリジッドがお前を選んだ婚約だった。まあご本人様のプライドの高さでひっくり返ったけれどね」
「そうだったのか……ブリジッドは僕のことを……ぜんぜん気づかなかった」
「私としてはお前の嫁がソフィアで良かったと思うよ。本当ならレオとソフィアを結婚させて、国政補助を一手に引き受けてもらう予定だった。ロビンとブリジッドは早々に臣籍降下させて、辺境領でのんびり暮らしていくはずだったのだ」
「そうだったのか」
「まあ結果論だが、これで良かった。今の辺境地域は危険だからね。レオが手を挙げてくれたからなんとかなっているが、お前が行っていたとしたら大変だっただろう。レオは陣頭指揮をとれるが、お前は後方支援って感じだもんなぁ」
「うん、自慢じゃないけれど絶対に僕じゃ無理だね。左から攻撃されたら盾にもなれない」
アランとロビンは笑い合った。
執務室を出たロビンは、ソフィアのところには寄らずにそのまま自分の執務室へと戻り、優先順位ごとに並べられた書類の山に手を伸ばした。
王宮に静かな時間が流れる。
西の空が茜色に変わる頃、王太子一家のピクニック参加という返事がロビンに届いた。




