4 もう一つの隠し財産
二人が去ったのを確認したソフィアは店を出て約束の場所に戻ると、約束の時間までにはまだ三十分もあるというのに、メイドはすでに待っていた。
「あっ! お嬢様」
「待たせちゃったかしら? ごめんなさいね」
「いえ、とんでもございません。あの……ありがとうございました。お陰様で母をお医者様に診せることもできましたし、お薬を買うこともできました。それに、柔らかい白パンをたくさん買ってやることもできました」
「それは良かったわ。では帰りましょうか」
メイドは頷くとソフィアの荷物を持とうと手を伸ばしてきた。
「ありがとう、でも自分で持ちたいの。王宮に入ってしまうと、そういうことも無くなるでしょう? 今のうちに普通の暮らしを楽しみたいのよ」
家に戻るとロビーに義母が立っていた。
「遅かったわね。お父様がお呼びよ」
「ただいま戻りました。着替えてからお伺いいたします。執務室でしょうか?」
それには返事をせず、フンッと鼻を鳴らして去っていった。
後ろでオドオドするメイドに声をかけ、仕事に戻るよう伝えて自室に向かう。
新品の文房具を机に置いてから、クローゼットの棚に魔道具が入ったカバンを置いた。
「お呼びでしょうか」
父親の執務室へ入ると、イライラとした顔つきのまま父親が顔を上げた。
「遅かったな、どこへ行っていた」
「文具店に必要な物を買いに行っておりました」
「そんなものはメイドに行かせればいいだろう」
「自分で使いやすいものを選びたかったものですから」
「フンッ! まあ良い。これにサインをしろ」
父親が投げてよこした書類を立ったまま読む。
「全ての財産の放棄でございますか?」
「ああ、そうだ。お前に残す必要などないだろう? それに王族の離縁などありえんのだからお前には何も必要あるまい」
確かに王族の離縁は認められていない。
しかしそれは表向きのことで、今まで何人の妃たちが幽閉されたり毒杯を賜ったりしたのだろうか。
まあ今のソフィアにとっては関係ないことだ。
「お父様、私の持参金はいかほどでしょうか」
父親が濁った眼でソフィアを見た。
「持参金だと?」
以前のソフィアなら黙って頷くところだが、今のソフィアは違う。
「ええ。王家へ嫁ぐ持参金ですもの、それ相応の金額を準備しなければスターク伯爵家の名折れとなりましょう」
まさに苦虫を嚙み潰した顔と言うのはこういう顔をいうのだろう。
「ではお前の名義になっているあのクズ炭鉱を売って作ろう。あの女がお前に残した唯一の財産だからなあ。文句はあるまい?」
「ええ、十分ですわ」
頷いたソフィアは父親の求めるサインをしてさっさと部屋を出た。
「バカな男だわ。あの土地は金の卵を産むのよ」
前回の時も父親は同じ炭鉱を処分して支度金を準備している。
財務大臣から催促されて、渋々納めたのでソフィアは恥ずかしい思いをしたものだ。
「前回は結婚した後だったからどうしようも無かったけれど、今回は先手を打てるわ」
炭鉱を『善意』で購入したのはハリスン伯爵家だ。
購入後一年もしないうちに廃止寸前の坑道から、ダイヤモンドの原石がゴロゴロと出てきたのだった。
「すぐに動かなければまたハリスン家に搔っ攫われてしまうわ」
自室に戻ったソフィアは必死で当時のことを思いだそうとした。
あの炭鉱は生産量も落ち込んでしまい、魅力のない土地だという認識が広まっていた。
その噂のせいで売るのにも苦労した父親はかなり買い叩かれていたはずだ。
「今ならもっと安く手に入るはず」
ソフィアは急いで母の実家の家令をしていたダレンという初老の男性に手紙を送った。
幼い頃から可愛がってくれたダレンは、母の残してくれた秘密の遺産の件でも上手く立ち回ってくれた人だ。
そしてその二日後、王都に出てきたダレンと落ち合ったソフィアは、自分の資産を使って例の炭鉱を購入するよう依頼した。
「お嬢様の資産をお嬢様が購入するのですか?」
事情を話すとひどく立腹していたが、売り急いでいるから今なら安く買い叩けるはずだと言うと、任せてほしいと胸を叩いてくれた。
名義はすでにソフィアになっているので、購入契約の書類にはダミーの名前を使えば父親には絶対にバレない。
偽の書類は廃棄して、代金の授受をすればそれで終わりだ。
「ああ、でも所有者住所の変更はしておいてね。新しい住所は……おばあ様のご実家にしておいてちょうだい。あそこには誰も住んでいないでしょう? 建物はまだあるの?」
「はい。建物は残っていますし、定期的に清掃もしておりますよ。ついでにあそこの名義変更も一緒にしてしまいましょう。ソフィア様に相続するようご遺言を預かっていますので」
「助かるわ。いつか使うことになるかもしれないしね」
ソフィアの言葉に不思議そうな顔をしたダレンだったが、それ以上は何も聞かなかった。
婚姻式まであと二日。
ソフィアは大量の避妊薬を購入し、考えられる全ての準備を終えた。
それに掛かった日数はまさに十日間だった。