20 消えない後悔
その日以降、自室から出ることなく過ごすようになったソフィアは、顔つきまでも変わり暗い影を常に纏っている。
子供を失ったソフィアの心はズタズタだった。
あの時ブリジッドと一緒に馬車で戻ることができていたら、この子はまだここに居たのだろうか……。
自分が刺されたとき、湖に落ちたブリジッドなど放っておいてロビンが駆け寄ってくれていたら?
暴漢に気づいても動かなければ良かった。
それよりも、ブリジッドなど誘わなければよかったのだ。
ロビンが言った『赤い羽根の鳥』という言葉に誘われるように、普段は着ない赤のワンピースを選んでしまったことをいくら嘆いてもどうしようもない。
そもそもピクニックなどに行かなければ、まだこの子は私の中にいてくれたのだろうか。
もう過ぎてしまった出来事を繰り返し悔やんでは涙を溢すソフィア。
「妃殿下、第三王子殿下がお見えです」
申し訳なさそうに告げる侍女に言う。
「お断りして。誰にも会いたくないの」
「承知いたしました」
ロビンだけのせいではない、それはわかっている。
しかし、何よりも倒れたソフィアを一瞬見たにも関わらず、迷わずブリジッドを優先したロビンが許せないでいた。
びしょ濡れで泣き喚くブリジッドを抱きしめ、ロビンは迷いもなく馬車を出させたと聞く。
なぜ妻を気遣うことができない?
私がわざと突き飛ばしたとでも思ったのだろうか。
ブリジッドはそう言い張るだろうが、私よりも彼女を信じるなんて!
「お花だけでもと仰いましたので、お預かりしております」
「匂いが辛いのよ。みんなの休憩室にでも飾ってちょうだい」
黙って頷いた侍女が部屋を出ていった。
「あの子には申し訳ないわね」
第三王子に対し面会を断るのは大変な心労だろう。
でもしょうがないじゃないか。
面会を許せばきっとロビンは泣いて謝罪をするだろう。
王家の血が流れる者に、そんなことをさせては許さないわけにはいかないのだから。
だからこそ謝罪を受けるのはどうしても嫌なのだ。
「ブリジッドは来たの?」
ドアの横に控えている侍女に聞くと、まるで自分の失態のように縮こまったまま言う。
「はい、何度か来られました」
「誰と?」
「あの……第三王子殿下とご一緒でした」
「そう。元気そうだった? 怪我はなかったとは聞いたけれど」
「はい……お元気そうで……食事もたくさん召し上がるようになったと聞いております」
「では悪阻は終わったのね。きっとロビンと一緒に楽しく食べているのでしょう」
「殿下はほとんど執務室か自室でお召し上がりでございます」
「ほとんど? 気を遣わなくて良いのよ。私が知りたいのは事実だけなの」
侍女が胸の前で手を合わせながら震える声で言った。
「あの……申し訳ございません……昼食は執務室ですが、朝食は自室でございます。夕食は……あの……」
「ブリジッドと一緒ってことね? この宮で?」
「はい、第二王子妃はソフィア妃殿下の仕事を代行すると仰って……ほとんどこの宮でお過ごしでございます」
「まさか私の執務室を使っているの?」
「いえ……第三王子殿下の執務室です」
ソフィアは奥歯を嚙みしめた。
「そう、仕事をしてくれるならいいわ。でもそういうことなら昼食も一緒ってことね? ははは……まあ想定内だわ」
ずっと黙っていた若い侍女が顔を真っ赤にして声を出した。
「妃殿下、これはお伝えしてはいけないと侍女長に言われているのですが、私はもう我慢できません。私は何度か第三王子殿下の私室に朝食をお運びしました。お二人分の朝食をです」
なるほど緘口令を敷くはずだ。
今のソフィアが二人の不貞を知れば狂乱するとでも考えたのだろう。
「よく教えてくれたわ。あなたは絶対に罰したりさせません。安心してちょうだい。それと王太子ご夫妻はお戻りになった?」
「来週の予定だと聞いております」
王太子夫妻は病床の国王の名代として隣国皇太子の婚姻式に行っている。
国王に付き添う王妃から見舞いの手紙と花と菓子が届いたのは、あの事件の翌日だ。
目覚めてすぐに返事を書き、こちらこそ国王陛下を見舞えず申し訳ないと書いた。
折り合いの悪い実家からは、当然のごとく何も連絡はない。
少しずつ食事はできるようになったが、ソフィアはロビンの見舞いを断り続けていた。
「あれからどのくらい経ったのかしら?」
隣国から戻ってすぐに駆け付けた王太子夫妻には、ロビンの不手際を謝罪された。
それから何度も見舞いに来てくれるナタリー妃には感謝しかない。
しかも王太子妃であるナタリーがソフィアの仕事を引き受けてくれたのだ。
どうやらブリジッドの仕事は酷いようで、文官たちに泣きつかれたのだと言っていた。
「ブリジッドの分は本人に返したから心配ないわ。まあどうでも良いようなものだけだし」
「ありがとうございますナタリーお義姉様」
「気にしないでちょうだい。でも早く良くなってね? アランも私もとても心配しているの」
「ありがとうございます」
いつまでもナタリーを頼るわけにはいかない。
あの事件から二か月でソフィアは公務に復帰した。
相変わらず日課のように訪ねてくるロビンに会う勇気はまだ持てず、いたずらに時間だけが過ぎていった。
「妃殿下、頑張り過ぎです。風邪だとバカにしていると大変なことになりますよ」
ある朝、起こしに来た侍女が大騒ぎで王宮医を呼びに走った。
どうやら風邪をひいたらしい。
ロビンと結婚する前のソフィアにとって、嫌なことを頭から追い払う方法はひたすら勉強に集中することだった。
ここ最近も同じように過ごしていたため、自分の体調の変化にも気づかなかったのだろう。
「なんだかもう疲れたわ」
国王の仕事は王太子夫妻が立派に果たしている。
第二王子レオは、魔物から国を守るために辺境の地に留まり続けていた。
そして第三王子ロビンは、与えられた仕事を粛々とこなしつつ、王城で一番厄介な存在であるブリジッドのご機嫌伺いで忙しい。
まあこれは仕事では無いのだが。
「私は必要?」
大臣たちに言わせれば『絶対に必要だ』と言うだろう。
ソフィアが担っているのは新規事業案の検証や福祉教育という国民に直結した部門だ。
あの面倒な計算や企画書の策定や陳情の対応など、王妃陛下が不在の今となってはソフィアしか捌けない。
「ああ……仕事的には必要か……ははは」
自嘲するような笑みを浮かべつつ、窓の外を見るとロビンの腕にしなだれかかるブリジッドが見えた。
その腹は幸福ではち切れそうになっており、産み月が近いことを知らしめていた。




