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藤原頼長

悪左府(あくさふ)と呼ばれようと、何と呼ばれようと、私は私の信念を貫く!

これが私の信念、私の生き方なのだからな!


これが、摂関家に生まれし者の、宿命、運命なのだからな。


我が名は、藤原(ふじわら)頼長(よりなが)


そこらへんのおバカな一般人と一緒にするな。生まれついてのエリートなのだ。


もしも、武家が政権を取らず、摂関政治がその後も続いていたとしたら、どうなったと思う?


何?それならば、蒙古が攻めてきた時に、お前たちならばどう対処したかって?


武家などに政権を取られてなるものか。摂関家は永遠なのだ。


幼少の頃は、文字通りのじゃじゃ馬で、馬に乗って山野を駆け巡っていたが、不覚にも、落馬をしてしまい、危うく命を落とすところであった。あれはさすがにヤバかったな。


それからは、心を入れ替え、学問に励んだ。


摂関家の当主になるための英才教育を施されたのだ。


本来は、兄上がそれを継ぐはずだったのが、どういうわけか、私が継ぐことになった。


兄上としては、それが面白くなかったのだろう。


兄弟の対立は、もはや修復不可能なところまできた。


父の寵愛(ちょうあい)、兄との確執、若くして朝廷の要職を歴任しながらも、どこか満たされない思いがあったのか、あるいはそれが、心の闇へとつながっていったのか。


いや、念のために忠告しておく。


宮中には魔物が棲みついている。権力の階段を登っていくとともに、人の心は変わる。




ここからは、作者の見解。




頼長の父、忠実は、ますます頼長を寵愛し、行動を共にするようになる。


それでもなお、関係修復のためにあれやこれやと、やってみたものの、父と兄は、かたくなな態度のまま、結局修復できないままとなっていた。


その頃から、悪左府(あくさふ)という異名の通りの、様々な騒動を起こす頼長。


藤原家成の邸宅を破壊するという事件を起こしたあたりから、徐々に距離を置かれるようになっていく。


近衛天皇を呪詛(じゅそ)し、死に至らしめたという嫌疑をかけられ、鳥羽上皇の信任を失い、蟄居(ちっきょ)に追いやられる。


そんな中、鳥羽上皇が崩御し、崇徳上皇側と後白河天皇側に二分する。頼長らは、崇徳上皇側についた。


保元の乱が、ついに始まった。


平清盛、源義朝らの手勢の攻撃を受ける。


さしもの悪左府こと、藤原頼長も、敗走する中で、頸部に矢が命中して重傷を負い、助命も叶わず、まもなく絶命したという。


源重貞の放った矢が、頼長の頸部に命中した。


摂関家の凋落は、明らかだった。


「頸の傷では、もはやどうにもならぬか・・・。

これが、盛者必衰のことわりを表すということなのか・・・、ゲホッ!

・・・だが、覚えておけ・・・。いずれ平家もまた、摂関家と同じ道を歩む・・・。

それまでは・・・、地獄の底で、地獄の亡者たちとともに、待っていることにしよう・・・。清盛よ・・・。」


保元の乱は、後白河側の勝利に終わる。


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