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承久の乱

承久の乱は、後鳥羽上皇が朝廷の威信を回復するために、鎌倉幕府に仕掛けた乱であるが、あっさりと幕府軍に敗れ、これにより、朝廷の権威はさらに失墜し、公家と武家の立場は逆転、公家が武家の言いなりになっていく。


逆に、鎌倉幕府の権威は全国に広まり、全国の武士が鎌倉幕府に従うことになる。


後鳥羽「なんと恐ろしい!武家とはかくも恐ろしきものなのか!やはり武家などに政権を任せるべきではなかった!」


平家という共通の敵がいるうちは、共に戦っていた者たちが、やがて幕府内での主導権争いに終始し、その中で多くの御家人たちが滅ぼされることになる。そんな中で力をつけたのが、執権の北条氏だった。


鎌倉幕府の頃にはまだ将軍宣下は行われておらず、将軍は除目によって補任されていたという。


頼朝の死後、2代頼家、3代実朝と、相次いで殺害される。そしてその後、4代将軍として迎えられたのは、まだ4歳の藤原頼経だった。いわば名前だけの、体面を保つためだけの、お飾りの将軍だ。


後鳥羽「これでは北条の幕府だ、執権の北条が、実質は将軍のようなもの。

かくなるうえは、北条の幕府を倒し、もう一度、天皇と貴族の世を取り戻す!」


分かりやすくいえば、そういう話になる。


鎌倉幕府ができて、ようやく武家の世をつくろうと励んできたのに、上皇側が勝利したら、また武家は貴族らの下働きに逆戻りではないか、という危機感が広がっていた。


各地の武家たちは、幕府側につくか上皇側につくか、迷っていたが、やがて多くの者たちは幕府側に味方し、戦力の優劣は明らかとなった。


北条政子「これも、頼朝様が武家の世をつくるために尽力してくださったお陰です。」



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