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鎌倉幕府成立

時は1192年。ついに鎌倉幕府が開かれ、武家が初めて、武家の都で政治を行うこととなった。


「やあやあ、めでたいめでたい。これにてひとまず、我ら源氏の一門の天下となった。」


後白河法皇が崩御し、源氏の行く手を阻もうとする者はいなくなった。しかし、まだ公家たちは政権奪還の機会をうかがっており、いつでも実行に移せるよう、監視をしていた。


この先、江戸の幕末まで武家の政権が続くなどとは誰も思っていなかった。むしろ、公家が力を取り戻し、政権を武家から奪還する、まだそのような空気があった。


まずは、鎌倉幕府の組織、制度を整え、確固たるものにするところから始めなければならない。


本当は、京の都に幕府を開きたかったのだが、あえて京の都から遠く離れた鎌倉に幕府を開いた。


三方を険しい山に囲まれている鎌倉は、城壁に囲まれているような天然の城ともいえた。敵には攻めにくく、味方には守りやすい、まさに好都合な地形といえた。


鎌倉を京の都にも負けない都にすること、それが、頼朝の目指していた国造り。新しい、武家政権の時代が、ここに始まった。


武家と公家は、どのように誕生したのか。その由来は諸説ありだが。


もともと、貴族の中で軍事専門の軍事貴族と、宮廷での儀式や文治を執り行う宮廷貴族とに、役割が分かれていた。


もとをただせば、武力で天皇に奉仕する者たちである軍事貴族のことを、武家と呼ぶようになり、儀式と文治をもって天皇に奉仕する役割を担っていた宮廷貴族のことを、公家と呼ぶようになったのが由来だ。あくまでも、私個人の見解だが。


軍事貴族であった武家が力を持ち、ついには鎌倉幕府という、軍事貴族の武家が政治を執り行う組織ができた。

軍事専門であった武家が、儀式や文治をも兼ねるようになる、という流れの中で、鎌倉幕府はできた。


最初は本当に、いい国を造ろうと思っていたことだろう。


1185=いいハコ、いつしか北条得宗家にとっての、いいハコ、になっていくとは、この時はまだ思いもしなかったことだろう。






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