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天皇は飾りか

蘇我、藤原、平、源、北条、足利、織田、豊臣、徳川。これだけで、江戸時代までは解るという、日本の権力者の歴史。


蘇我、藤原は、自分たちの都合で天皇になる者をすげ替えてきた。自分の娘を天皇に嫁がせ、生まれた子供を次の天皇にする。


平清盛の娘、建礼(けんれい)門院(もんいん)徳子(とくこ)は、第80代天皇、高倉天皇の皇后となる。第81代天皇、安徳天皇の生母ともなる。


歴代天皇といっても、『古事記(こじき)』や『日本(にほん)書記(しょき)』に登場するような初期の天皇は、そもそも実在すらあやしいという。


飛鳥時代になると、蘇我(そがの)馬子(うまこ)が、自分に都合のいい人物を天皇にし、都合が悪くなると、すげ替える、ということを行った。


崇峻(すしゅん)天皇(てんのう)という天皇がいた。人物としてはそれほど優れておらず、また、仏教のこともよく理解していなかったが、蘇我(そがの)馬子(うまこ)の推挙により、天皇になったという。


実権を握っていたのは馬子。崇峻は、いわば飾り物の、名前だけの天皇としてまつり上げられていた。


崇峻「重要なことはことごとく馬子が決め、わしの意見は通らぬ。

これでは、どちらが天皇なのか、わからない。」


高倉天皇は、この話を書物で読んでいた。


高倉「天皇が、最高権力者とはいっても、実際に(まつりごと)を動かしているのは、蘇我や、藤原や、平である。

(みかど)などとまつり上げられても、実のところは、ただ上に乗っかっているだけの、いわば、飾り物よのう。」


書物の続きを読む。


崇峻のところに、家来たちがやってきた。


家来「このままでは、宮中は蘇我馬子のものになってしまいます。そこで我々は、馬子を倒すための、とっておきの秘策を持ってまいりました。」


当時、朝鮮半島では、日本が植民地にしていた任那(みまな)という所があり、その任那(みまな)を巡って、新羅(しらぎ)と争っていた。

日本は何度も援軍を送ったが、苦戦を強いられていた。


家来「そこで、任那(みまな)への援軍と称して、部隊をどんどん送り込むよう、(みかど)の権限で、馬子に進言するのです。」


崇峻「なるほど、それで馬子の軍勢が手薄になったところを。」


家来「我々が、馬子を暗殺するのです。」


崇峻「それはよい!おお、それならば、今朝狩りで採ったイノシシを、ここに連れてこい。」


家来「これでございますか。」


崇峻「はっはっは!見ろ、このイノシシの顔を、馬子にそっくりじゃ。

いつの日か、このイノシシの首を切るように、馬子の首を切りたいものよのう。

えいっ!」


ザシッ!


崇峻「はっはっは!イノシシの首を切った!馬子の首を切ったぞ!

このたくらみの前祝い、このイノシシを食しようぞ!」


家来「これはおめでとうございます。」


しかし、この計画は、事前に馬子に知れてしまう。


崇峻は、東国からの使いを出迎え、貢ぎ物を受け取るその瞬間に、刺客に襲われる。


崇峻「なにっ!?」


ザシッ!バシッ!


崇峻「うわあっ!」


崇峻天皇は、歴史上で唯一、正史で伝えられている範囲で唯一、暗殺された天皇である。


そう、正史で伝えられている範囲では・・・。


あれから時は流れ、任那は結局、新羅に征服され、朝鮮半島は、新羅から高麗の時代へ。


今や、平清盛が蘇我馬子の立場に。いや、蘇我馬子を超えたか?


高倉天皇は、この内容を読んで、一つため息をついた。


蘇我や藤原や平家が、その気になれば、天皇を殺して、自らが天皇と名乗る、日本国王と名乗ることもできたはず、それなのに、あえてそれをしなかったのはなぜなのか、それが不思議でならない。まさに日本史の七不思議といってもいい。


飾り物でも何でも、まつり上げて、利用した方が都合が良かったというのか。


歴代の天皇といっても、中には幼くして亡くなったり、若くして亡くなったり、さしたる実績を残さなかった、名前だけ天皇、というような人も少なくないのでは?


特に、平安時代あたりで、知らない間に入れ替わっていたりしても、不思議ではないかもしれないと推測した。もちろん、正史には書かれていない。


徳子が、安徳の母となり、跡継ぎができたことで、天皇家の血筋には、蘇我の血や藤原の血だけでなく、平家の血も入ったということになる。とはいえ、平家は桓武天皇の子孫とされ、桓武天皇の曾孫である高望王(たかもちおう)が、平姓を名乗り、(たいらの)高望(たかもち)となったところから始まっているから、もともと親戚同士のようなものだという。


徳子「私はただ、安徳がこのまま無事に成人の時を迎えられればよいのです。

安徳が成長し、やがて成人の時を迎える頃まで、平家の世が続くことを願っております。」


そうしたなか、事態は急展開する。


清盛の長男、重盛が急死すると、清盛を制止できる者は、もはやいなかった。


「大変です!後白河法王が幽閉されました!」


治承三年の政変と呼ばれる事件が起きた。


これによって、後白河院政を終わらせることを目論んだ清盛。


清盛の方針に反対する者たちを、次々と排除することに踏み切った。


これが、以仁(もちひと)(おう)の挙兵につながり、「以仁(もちひと)(おう)令旨(りょうじ)」の発布につながっていく。


さらには、南都(なんと)焼討(やきうち)によって、東大寺の大仏までが焼き討ちに逢うという事態に。


清盛は、神仏をも怖れない、仏法を破滅させ、自らが神となるのか、あらためてそのことを示した形となった。


そして、高倉天皇は退位。わずか3歳の安徳天皇が即位。わずか3歳では、まさに名前だけの天皇で、実質、後見人の清盛が天皇のようなものとなり、形ばかりの高倉院政となった。



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