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第十五章―それぞれの思惑―#5


 ジェスレム視点です。一話に収めるつもりでしたが、長くなったため、二話に分けます。

 ジェスレムの性根が良いとは言えないので、嫌な気持ちになるかもしれません。ですが、これからの展開に必要な話なので、読んでくださるとありがたいです。



※※※



 レーウェンエルダ皇国第四皇子────ジェスレム=ケス・オ・レーウェンエルダは苛立っていた。


 ジェスレムは、容貌だけを見るならば、柔らかい金髪に緑柱石(エメラルド)のような緑の双眸を持つ美青年といって差し支えない。


 だが、我慢するということを知らないその性格ゆえ、感情がすぐ表情に出て────他人に対して負の感情を抱くことの多いジェスレムは、周囲には醜悪な印象を抱かれている。


 皇子らしからぬ醜い表情を浮かべ、乱暴な足取りで自室へと跳び込むと、さらに苛立たせる光景が目に入った。


「まあ、ジェスレム様、どちらに行ってらしたの?わたくしを置いて行かれては困りますわ」


 そう言って、近づいて来たのは、ジェスレムの親衛騎士───ファミラ=アス・ネ・イルノラドだ。


 自分の責務を理解していないのか、これから夜会にでも行くのかと思うような派手なドレス姿だ。


 ファミラは、ジェスレムの寝室の一角に設えられたテーブルセットで、主の許しも得ずにお茶をしていたようだった。


 円いテーブルには、色鮮やかなケーキが幾つも並び、その横に、ガドマ共和国で作られたという希少品のティーカップが、揃いのソーサーと共に置かれていた。


 ファミラは、その希少品を許可なく持ち出させて、それでお茶を飲んでいたらしい。


()()()、ジェスレム様にお茶をお持ちしてちょうだい」


 ファミラは、まるで自分こそが主人であるかのように、ジェスレムの侍女に命じる。


 ジェスレムのファミラを見る目が、苛立ちで冷たくなったことにファミラはまったく気づかないようで、弾んだ声音で続ける。


「それで、どちらに行っていたんですの?」

「……どうして、おまえにそんなことを言わなければならないんだ?」

「いやですわ、ジェスレム様。わたくしはジェスレム様の親衛騎士ですのよ?教えていただくのは、当然でしょう?」


 ファミラはジェスレムの冷たい声音にも怯まず───というよりは、意に介さずに陽気に返す。


 本来なら、皇族に───自分の主に対する態度ではないはずだが、ファミラは自分なら許されると、本気で信じているようだった。そう、あの夜会のときから────



 あの夜会で、自分の妹がルガレドと婚約したことを知ったファミラは、自分もジェスレムと婚約すると思い込んでいるのだ。


 それから、ファミラはこうして、ジェスレムの妃にでもなったかのように振舞うようになった────ジェスレムに対しても。


 逆に───ジェスレムは、あの夜会のときから、ファミラを疎ましく感じるようになってしまった。それまでは、美しくて気高い才女が自分の親衛騎士となった───と、満足できていたのに。


 原因は解っている。自分の不肖の異母兄ルガレドと、その親衛騎士であるファミラの妹のせいだ。


 才覚がないために貴重な左眼を失った上、傷を負って醜くなった異母兄ルガレド────母であるジェミナが言うがまま、ジェスレムはルガレドのことをそう評していた。


 普通に考えれば、7歳にしかならない子供が、複数の暗殺者に襲われて敵うはずもない。


 しかし、ジェスレムも、暗殺者を差し向けた張本人であるジェミナも───ルガレドが左眼を失ったのも、額から頬にかけて醜い傷を負ったのも、本人に暗殺者を退ける才覚がなかったからだと、本気で考えていた。


 その才覚のない出来損ないの恥ずべき兄が、やはり出来損ないの我儘で傲慢な公爵令嬢を親衛騎士に選んで、婚約までした。


 すべてジェミナの采配であるにも関わらず、ジェスレムはそれさえもルガレドの失態であるかのように考え、嘲笑っていた。


 それなのに────


 夜会当日、ジェスレムの前に現れたのは────ジェスレムが思い描いていたような、“皇子と公爵令嬢とは名ばかりの惨めでみすぼらしく卑しい存在”ではなかった。


 きちんと髪を整え、見るからに名のある職人があつらえたのだと判る夜会服を着こなしたルガレドは、まさに皇子然としていて、醜い刃傷でさえも威厳の一部のように感じられた。


 そして我儘で傲慢な公爵令嬢であるという、ファミラの妹。

 こちらも、ファミラの話とも自分の想像とも、まるっきり違っていた。


 身に纏うドレスはジェスレムの感性からすれば地味に思えたし、ジェミナやファミラに比べ化粧もそれほど施されてはいないのに────その少女は美しいと言わざるを得なかった。


 それだけではない。少女は、我儘で何の教育も受けていないという話だったのに────名を呼ばれ進み出る際の楚々とした動きも、その後の流れるように行われたカーテシーも、付け焼刃だとは思えない美麗なものだった。


 “洗練されている”とはこういうことなのだと、ジェスレムは悟った。


 今まで優雅だと思っていた母の所作も、直前のファミラのカーテシーも、途端にガサツなものにしか思えなくなった。


 極めつけは────あのファーストダンスだ。


 ジェミナに名指しされ、慌てるしかないと思っていた二人は動じることなく────それどころか、ルガレドは自分の意思で愛しい婚約者をダンスに誘っているかのように少女に手を差し伸べ、少女ははにかんで応えた。


『はい、喜んで───レド様』


 少女は仄かに頬を赤く染め、嬉しそうに眼を細めて、ルガレドを真っ直ぐに見つめていた。応えた声音も嬉しそうで、無理をしているようには見えなかった。


 その様子を目にして、ジェスレムが感じたことは────『何故、こんな男に』という疑問とも嫉妬ともつかぬ思いだった。


 少女のその表情は、出来損ないで才覚のない兄よりも、いずれこの国を担う優秀で気高いこの自分に向けられるべきではないか────と。


 だが、少女は────その視線でさえ、ジェスレムに向けることはなかった。退出するその瞬間まで、一度として。


 あの少女がルガレドなどにあのような表情をするのは、きっとジェスレムを知らないからだ。ジェスレムが少女に一度でも接してやれば────あの表情は、ジェスレムに向けるようになるはずだと確信があった。


 だから────夜会が終わってすぐに、母にルガレドの親衛騎士を取り上げて、ジェスレムの親衛騎士にするよう訴えたが、母の答えは否だった。


『何、バカなことを言ってるの。あの野獣の子ならともかく────何故、血統正しいおまえが、あんな出来損ないで教養もない娘を親衛騎士にしなければならないの』


 あの少女の所作を見たにも関わらず、母は、あの少女が何の教育も受けておらず、教養がないとまだ信じているみたいだった。


 言い返そうとしたジェスレムを、ジェミナは冷たい眼で見遣る。


 その眼は何も映していないかのように昏く、到底、息子に向けるものではなかった。


 この眼は、母が他人を切り捨てるときにするものだった。先程の夜会で、ダブグレル伯爵に向けていた眼だ。


『ジェスレム────わたくしは、疲れているのよ。聞き分けがない子は嫌いなの』


 そう言われては、引き下がるしかなかった。こういうときの母は、実の息子であるジェスレムさえも切り捨てるであろうことを────ジェスレムは本能的に察していた。


 その後、日を置いて何度か訴えてみたものの、母は叶えてくれない。そのうち、話すら聞いてくれなくなった。


 それなら────と、今度は祖父であるベイラリオ侯爵に訴えた。しかし、祖父の答えも否だった。


『何故、ファミラ嬢のままではいかんのだ?ファミラ嬢を取り立ててやり、出来損ないの娘を処分するのに一役買って────せっかくイルノラド公爵に恩を売ったのに、それを台無しにすることはあるまい』


『イルノラド公爵など、お祖父様にとっては小物に等しいでしょう?そんなこと、気にする必要はないのではないですか?』


 そう諭したが、祖父は首を横に振るばかりだった。


 意見が通らないことに腹を立てたジェスレムは、祖父に挨拶もせずに、乱暴に扉を開け応接間を飛び出した。


 それが、つい先程のことだった。


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