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第十三章―愚か者たちの戯言―#4


元侍女ダムナ編―後編―となります



※※※



 ルガレドの邸は8年前に訪れたときと変わることなく、ダムナの記憶通りに、皇城の片隅にひっそりと佇んでいた。


 ダムナは中に入ろうと、玄関ポーチに足をかけた。その瞬間、目の前に光が迸り、ダムナは強い力で弾き飛ばされた。


「!?」


 一体何が起こったのか解らず、ダムナが尻もちをついたまま呆然としていると、不意に玄関扉が開いて、一人の男が現れた。


 ルガレド皇子ではない────と思う。ルガレド皇子はまだ二十代と聞いている。目の前の男は、壮年の大柄な男で、しかも、皇宮のお仕着せとはちがうものの執事服を着ていた。


「この邸に何用か」


 男は、感情を感じさせない表情と声音で、ダムナに問いかけた。ダムナは一瞬男の雰囲気に怯んだが、怒りを思い出して立ち上がった。


「わたしは、ルガレド皇子の侍女です!ルガレド皇子に話があります!」

「…侍女?ああ、お前がダムナとかいう女か。お前は、とっくに解雇されたはずだが?」

「なっ、そんな言い方ないでしょう…!大体、勝手に解雇するなんてあんまりじゃないですか!」


 通常、執事は侍女にとって上司に当たる。


 しかし、洗濯婦だったダムナは、侍女としての教育は何も受けていなかったため、そんな基本的なことも知らなかった。


「仕事をしない侍女を、解雇することの────どこが身勝手だと?」


 男の声が低くなり、その纏う空気が冷たさを増したことを────自分の怒りに気をとられていたダムナは気づくことができなかった。


「仕事はちゃんとしてました!ルガレド皇子が気づかなかっただけです!」

「…旦那様が気づかずに、どうやって────何の仕事をしていたと?」


 問われてから、ダムナは侍女の仕事内容を知らないことに思い当たって、慌てる。侍女の仕事をしているところなど見たこともないし、侍女の仕事内容など教えてもらったこともない。


「そ、それは、えっと…、あ!ルガレド皇子が外に出ているうちに、ちゃんと邸の掃除をしていました!」


「旦那様が出かけるとは────何処に?」

「え?そ、それは…、街に遊びに出かけるときとか…」


 ダムナに、皇子が────皇族が普段どんなことをしているか、どんな生活をしているのかなど、知るわけがない。


 ダムナは、王侯貴族なら遊んで暮らしているのではないかという────妄想とも言えないただのイメージから、そう答えた。


「坊ちゃまが────街に遊びに出かける、だと…?」


 震える声で返されたその言葉に引かれるように、無意識に男の顔に視線をやったダムナは、ひっ、と短く悲鳴を上げた。


 男の顔に表情は表れていない。だが、その凍てついた眼が────ダムナの軽率な怒りなど遥かに凌駕する────男の内底から湧き上がる本物の怒りを如実に表していた。


 ダムナは、男の怒りを買ってしまったことを、ようやく理解した。


「街で遊んでいた?なあ…、それは────お前の方だろう、ダムナ?」


 男が、玄関ポーチから踏み出し、こちらに一歩近づく。


「お前が…、坊ちゃまから掠め取ったお金で────レストランで高い酒を飲みながら、高級料理に舌鼓を打っているとき…、坊ちゃまはどうされていたと思う…?────下級使用人用の食堂で…、冷えた不味い飯を食されていたんだそうだ…」


 さらに、一歩、男が近づく。


「お前が…、不釣り合いな装身具をつけ、似合いもしない豪華な服を着て、貴族御用達の店でみっともない態度を晒していたときには、坊ちゃまは何をされていたと思う…?────ご自分で邸を掃除されて…、服を洗濯されていたんだそうだ…」


 さらに、また一歩、男はこちらに向かって踏み出す。ダムナは、根が生えてしまったかのように、その場から動けない。


「お前が…、寝心地のいい柔らかなベッドで────あのヒモと睦み合っていたときには、坊ちゃまはどうされていたと思う…?────埃っぽいベッドに、洗濯もしていない黄ばんだシーツをかけたまま…、就寝されていたんだそうだ────」


 男が目の前に来ても、ダムナは恐怖で身体が動かず、逃げ出すことはできなかった。悲鳴すら出ず、言葉にならない掠れた声だけが、口から漏れ出る。


「ぁ…、ぁ…」


 自分がやらなくても誰かがやると思ってたなどという言い訳は、自分にすら通らない。ダムナは、ルガレドに他の侍女がつかないこともメイドすらいないことも、確かに知っていたのだから。


 それなのに────自分が仕事をしないことで、ルガレドがどんな生活を送る破目になるかなんて、考えようともしなかった。


「侍女としてきちんと仕事をして、そのせいで皇妃一派に虐げられ耐えきれなかったというのなら、逃げても同情できよう。だが…、お前はどうだ?

旦那様の前に一度も姿を見せることすらせず────それなのに…、給金だけは受け取って、自分だけは豪勢な暮らしをして────やらなければいけないことはやらないくせに…、不服だけはこうして言いに来る。

本当に────クズとしか言いようがない」


 男に冷たい声でそう吐き捨てられて、ダムナの身体がガタガタと恐怖で震える。


 その怒りの深さから、目の前の男がルガレド皇子を大事に思っていることが嫌でも解る。


 ダムナは、ルガレド皇子を大事に思っている者がこの世にいるとは、この瞬間まで思ってもみなかった。


 後ろ盾もなく、皇妃に嫌われているという皇子など、誰も相手にするわけがないと思い込んでいたのだ。


 だから────だから…、ダムナがどんなことをしても許されると思っていた。例えルガレドが皇子だとしても、周りすべてが彼を軽んじているのだから、咎められることなどない────と。


(ああ、わたしは…、わたしは、どうして────こんなことをしてしまったんだろう…)


 そんな思いが、今更ながら込み上げてきた。


 ダムナのやったことは────盗みと同じだ。それも、相手は皇族。


 これは犯罪だと、普通に考えれば判ることなのに────何で、自分のやっていることが正当なことだと思ってしまったのか…。


 どうして────解雇されたことに腹を立て、文句を言おうなどと思ってしまったのか…。


 もう良くなりようがない自分の行く末に、ダムナは、がっくりと、その場に座り込んだ────




 あの後、執事服の男に兵士に引き渡されたダムナは、侍女服を脱がされ襤褸布のようなワンピースを着せられて、地下牢に入れられていた。


 罪状は、皇宮の正式な使用人でないのに、侍女服を着て皇城に入り込んでいた────というもの。


 冷静になれば、捕らえられて当然に思えた。ここは、皇王が住まう場所なのだ。


 一昔前なら、平民で後ろ盾のないダムナでは縛り首でもおかしくない罪状だったが────現在は保釈金さえ払えば釈放されるとのことだった。


 だが、保釈金を払ってくれる当てなどないダムナには、ただ絶望しかない。


 泣く気力すらなく、地下牢の()えた匂いを断ち切るように、ダムナは顔を膝に埋めた。


 どれくらいそうしていたか────不意に、地下牢の扉が開かれた。


「出ろ。お前の保釈金が支払われた。もう帰っていいぞ」


 看守の言葉が信じられないまま、のろのろと重い足取りで牢屋を出る。そこには、ザイドがいた。


 まさか────彼が保釈金を払ってくれたのだろうか?


 ダムナと付き合っているのは金目当てでしかなく、無職で借金まで作ってしまったザイドが、まさかダムナを助けてくれるとは思いも寄らず────ダムナは、絶望していた分だけ喜びも大きく、ザイドに駆け寄った。


 だけど、ザイドの態度はダムナの思い描いたものとは違った。表情を落として、何も喋らずに、ダムナの腕を掴んで強引に歩かせる。


「ザ、ザイド?」


 ザイドは、返事をしない。


 ダムナがもがいても、どんなに話しかけても────腕を放すことなく、家に帰るまで黙り込んだままだった。


 玄関の扉を開いて中に入ると、ザイドは掴んでいた手を放し、いきなりダムナの頬を力を込めて打った。


 無職で何もしていないザイドの力は冒険者などよりは余程弱かったが、ダムナの口の中が切れるくらいには強く、口の端から血が流れるのを感じる。


「このバカが…!おかげで借金が増えちまったじゃねぇか!」



「おいおい…、その女、売るんだろ?勝手に傷つけるなよ」


 ザイドの罵声が知らない野太い声に遮られ────眼に入った光景に、ダムナは、ザイドに暴力を振るわれた恐怖も、頬と口の中の痛みも忘れる。


 エントランスの奥に、スキンヘッドの厳つい顔をした大柄な男が立っていた。後ろには、手下らしき男が3人ほど控えている。見るからにカタギではないと判った。


「あ、す、すいません、つい…。────それで、この女、いくらで売れますかね?」


 ザイドは、ダムナに向けるいつもの強気な態度とは打って変わって、弱気な表情を浮かべ猫撫で声で訊く。その態度は、はっきり言って情けなかった。


「良くて、金貨5枚というところだな」

「そ、そんな、もっと高くなりませんか?」

「器量も体型も良くないし、もう(とう)が立ってる。それに、人好きのするような愛嬌もない。これでは、ギリギリまで客を取らせたとしても、金貨5枚稼げるかどうかってところだな」


 ザイドとスキンヘッドの男の会話から、ザイドが借金の肩に自分を娼館に売るつもりなのだと悟って、ダムナは愕然とする。


 地下牢から出て絶望からも抜け出せたような気になっていたが────抜け出すどころか、より深く転がり落ちていっているような錯覚に陥った。


「この家を売り払った金額が、金貨28枚。この女の金額が、金貨5枚。借金返済には────到底、届かないな…」


 スキンヘッドの男の声音が低くなり、すうっと雰囲気が冷たいものに変わる。


「ザイド────お前は、ドラテニワの鉱山送りだ。精々働いて、きっちり返すんだな」

「そ、そんな…」


 ドラテニワの鉱山は、聖結晶(アダマンタイト)が採れる数少ない鉱山だが────過酷なことで有名だ。


 あそこに送られるくらいなら死んだ方がマシと言われているくらいで、自分から進んで行く者は滅多にいない。そのため借金奴隷や犯罪奴隷の償いの場として相応しく、大抵の犯罪者はそこに送られる。


 スキンヘッドの男の手下二人に取り押さえられたザイドは、みっともなく泣き叫びながら必死に暴れていたが、ダムナは、抵抗する気も起こらなかった。


 欺瞞を打ち砕かれた挙句、愛する男にも裏切られて────ダムナには、もう本当に何も残っていない。


 これから先待っているのは────何も手にすることができずに、ただ搾取されるだけの毎日だと、誰に言われることがなくとも解っていた。


「この5年、おこぼれに与ってきたんだろう。存分に────償え」


 ダムナは、スキンヘッドの男がザイドにそう囁いたことに気づかなかった。


 そして───借金の返済額である金貨94枚というのが、自分がルガレド皇子から掠め取った金額であることにも、気づくことはなかった────



嫌な人の思考をトレースするのって辛い…。

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