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第十三章―愚か者たちの戯言―#3


元侍女ダムナ編―前編―となります



※※※



 皇都の平民街の中でも、生活に余裕がある者が住まう区画に建つ一軒家。


 一軒家としてはそこまで大きくはないが、部屋数も恋人と二人で暮らすには十分で、厨房や洗い場、トイレなどの設備も整っている。


 ダムナは、この家をとても気に入っていた。


 シンクや洗い場の蛇口は勿論、コンロとパントリー、さらにはトイレの便器にも魔道具が施され───平民が暮らす家としてはかなり贅沢な仕様になっている。


 数年前まで暮らしていた古くて狭い皇宮の使用人部屋に比べたら、雲泥の差だ。




 ダムナは、皇宮に勤める使用人だ。それも────上級使用人である、皇族に仕える侍女だった。


 侍女であるがゆえの破格の給金で、こうして平民にしては贅沢に暮らしていながら────ダムナは、自分がこの国の第二皇子の侍女であることを、光栄に思うどころか恥辱に思っていた。


 ダムナの生まれ故郷は皇都郊外の小さな農村で、生家も貧しい農家だった。


 兄弟姉妹が多いダムナは、いつまでも生家にいることができず、かといって、要領も器量もそんなに良い方ではなかったために縁談もなく、皇都に出稼ぎに出るしかなかった。


 本来なら、ダムナでは皇宮の雑役婦でさえ採用されることはなかっただろうが────ジェミナ皇妃が少し気に障るだけで侍女もメイドも首にしてしまう上、皇宮の使用人への扱いが酷く、皇城には使用人が居着かずに常に人手不足な状態だったので、ダメ元で応募したら採用されたのだ。


 初めダムナは皇宮に洗濯婦として入った。職場には、ダムナと似たような事情で勤めている者ばかりだった。


 職場内はギスギスしていて居心地が悪く、ダムナの粗探しばかりして聞こえよがしに悪口ばかり言う同僚たちは好きになれなかった。


 そんな苦痛の毎日を送っていたある日────ダムナは突然、第二皇子ルガレドの侍女に任命された。


 任命された当初は、困惑も多少あったものの、誇らしい気分だった。自分をバカにする同僚を見返してやれると胸の()く思いだった。


 だが、その思惑はすぐに砕かれた────



 侍女のお仕着せが届いた日、ダムナはそれを着て、同僚の鼻を明かしてやろうと思い立った。


 ダムナは早速、侍女のお仕着せを纏って、夕食を食べに下級使用人用食堂に向かった。同僚二人を見つけ、見せつけるように、わざと二人の前を通り過ぎる。


 すると、その二人が堪えきれないというようにダムナを笑った。


「な、何がおかしいのよっ」

「これ見よがしに着ちゃって、バカよね、ホント」


 かっとなって思わず叫んだダムナに、同僚たちは嘲りの笑みを深める。


「あんた、自分が何で侍女になったのか知らないのね」

「あんたが仕えることになったルガレド皇子のこと知らないの?」


 特に親しい者がなく噂話に疎いダムナは、ルガレド皇子を取り巻く状況を知らなかった。


「どういうこと?」

「ちょっと前に、ファルリエム辺境伯家が取り潰しになったことは知っているでしょ?あれ、ルガレド皇子を生んだセアラ側妃の実家だったのよ。つまり、ルガレド皇子は後ろ盾を失ったってわけ。しかも、ルガレド皇子って皇妃様に嫌われてるから、貴族たちは関わろうとしないらしいし」


「それに、知ってる?ルガレド皇子って、顔に大きな傷があってすごく醜いんですって。これまでルガレド皇子に仕えていた使用人が嫌がって出て行っちゃったから、新しい使用人をつけようとしたみたいだけど、侍女もメイドも誰もなりたがらなくて、わたしたち洗濯婦にお鉢が回って来たってわけ」

「それでね、女官長に侍女に相応しい者がいるか訊かれたときに、わたしたち、みんなしてあんたを推薦したの。わたしたちは、皇妃様に疎まれている皇子の世話なんてしたくなかったし」


「あんた、正直、顔も良くないし、誰も嫁になんてもらってくれないだろうから、ルガレド皇子に妾にでもしてもらったらいいんじゃない?」


 二人の意地悪く響く笑い声を振り切るように、ダムナは食堂から飛び出した。



 その翌日、ダムナは女官長に、ルガレドの邸の前まで連れて行かれた。


 皇城の端に建つその邸は、さっき通り過ぎた他の妃たちの邸に比べたら、小さくてみすぼらしく感じた。


「ここが、ルガレド皇子の邸です。嫌がらず、きちんと世話をするように」


 女官長は、邸の中に入ってルガレドにダムナを引き合わせることすらせず、ダムナを残して戻ってしまった。


 ダムナは、女官長にも洗濯婦の元同僚たちにも、ふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。


(どうして、わたしがこんな目に合わなくちゃいけないの…!?)


 醜い皇子の世話なんてしたくないのに侍女にされて、そのとばっちりで皇妃に疎まれるかもしれないなんて理不尽だ。


 何が『嫌がらず、きちんと世話をするように』────だ。


(もう、会わずに帰っちゃおうか…)


 聞けば、ルガレド皇子の世話を任されるのは、ダムナ一人だという。ダムナが侍女の仕事をしなくても、ばれることはないだろう。


 ルガレド皇子が何か言ったとしても、疎まれている皇子の言うことなんて誰も聞くことはないはずだ。


 それがとてもいい考えに思えたダムナは、ルガレドの邸に入ることなく踵を返した。


 そして────その後も、ダムナは一度としてルガレドの邸に入ることはなかった。



 それから、ダムナは、部屋に籠るか人気のないところで時間をやり過ごし、時間になると食堂と浴場に行くというサイクルが日常となった。


 上級使用人用食堂に行けるようになったので、元同僚と会うこともなかった。


 初めての給金日には、まったく仕事をしていないことを咎められるかもしれないと不安になったが、結局、何も言われることはなかった。


 ダムナの給金は────金貨1枚。今までの給金の十倍以上の金額だ。


 仕事をきちんとしていないのに、そんな大金をもらうことに、ダムナには何の罪悪感もなかった。


 むしろ、これは理不尽な目に遭わされている自分への慰謝料で────当然、自分にはもらう権利があると思っていた。


 お金に余裕ができたダムナは、そのうち皇城を出て街で時間を潰すようになり────街で遊び歩くことに味を占めて、皇宮の使用人寮を出ることを決めた。


 街で部屋を借り、登城するのは給金日だけになった。


 恋人もできた。名をザイドといい、整った顔立ちとすらりとした体形の美青年だ。


 ザイドの目当てが金であることを、ダムナは薄々感じ取ってはいたが、それでもよかった。悔しいが、元同僚に言われた通り、ダムナはあまり器量が良くない。金目当てだとしても、ザイドが付き合ってくれるならよかった。


 他の女と浮気しているのも知っていたが、最後にはいつも自分のところに戻ってくることが判っていたので、浮気相手に罵られることがあっても、逆に嘲笑っていた。


(そろそろ、結婚かな…)


 付き合い始めて5年────頃合いだろう。無職のザイドが生活していくには、ダムナから離れられない。きっと、結婚してくれるはずだ。


 家も買った。そこまで大きくはないが、設備も整っていて、立地もいい。しばらく贅沢を我慢した甲斐があった。ここでなら、ザイドと楽しく暮らしていける。


 この楽で贅沢な暮らしが、この先もずっと続いていくのだと────ダムナは信じて疑わなかった。



◇◇◇



「ザイド、昨日はどこに行ってたの?」


 給金日を間近に控えたある日、ザイドが無断外泊した。


 翌日帰って来たザイドに、ダムナは詰め寄る。いつもなら、ここでザイドが突っぱねて喧嘩になるところだが、ザイドはダムナの言葉など聞いていないようだった。


「…ダムナ、明日は給金日だったよな?」

「う、うん。そうだけど」

「頼むっ、給金を前借りしてきてくれ…っ!」

「ど、どういうこと…?」

「オ、オレ、騙されて、借金負っちまったんだ…!それ返せないと、オレは…っ」

「しゃ、借金!?」

「お願いだ、助けてくれ…!」

「ねえ、どういうことなの?」


 ザイドが言うには────昨日、酒場でボードゲームをしていたのだという。それも、ただのゲームではなくお金を賭ける────“賭けゲーム”を。


「それで負けたの!?」

「最初は勝ってたんだよっ!いいカモだったんだ!だけど、だけど───段々、負けが込んでいって…」

「それで────いくらなの?」

「…金貨94枚」

「94枚…!?」


 ダムナにそんな大金が払えるわけがない。


 家を買うために貯金はすべて使ってしまったし、家を買ってからは貯金の必要がなくなり、給金を使い切るような生活をしていた。


「と、とにかく、明日、女官長に前借りできるか訊いてみるから」

「頼む!お前だけが頼りなんだ…!」


 ザイドが、ダムナを抱き締める。


 ザイドのその縋りつくような態度と言葉は、ダムナに優越感のようなものをもたらした。


 やはり、ザイドには自分が必要なのだ────特別な存在なのだ、と。


 単純なダムナは、さっきまでの絶望感を忘れて、何とかなるような気分になってしまった。


 前借りできなかったときは、ルガレド皇子に払わせればいい────ふっとそんな考えが浮かび、ダムナは醜い笑みを浮かべた。




 翌日─────


 ダムナは、1ヵ月ぶりに侍女のお仕着せを纏って、皇城に向かった。


 給金の前借りについて女官長に相談したかったので、いつもより少し早めに向かう。


 顔見知りのやる気のない門番は、ダムナには名前を訊くこともせず、あっさり通してくれた。


 ダムナは、迷うことなく皇宮の使用人用エリアへと向かい、給金を配る準備をしている女官長を見つけ、歩み寄っていった。


「女官長さま」

「ダムナ?────あんた、何で侍女服なんか着て、こんな所にいるの?」


 女官長が訝し気に、顔を(しか)める。


「え?」


 ダムナは、女官長の言葉の意味が解らず、声を漏らした。


 自分が侍女服を着て、給金日にここにいることは別におかしなことではないはずだ。


「だって、今日は給金日だから…」

「は?何言ってるの。あんた、かなり前に解雇されたって聞いてるわよ。侍女どころか、この皇宮の使用人ですらないんだから、その侍女服を返して、さっさとここから出て行きなさい」

「え…?」


 女官長に言われたことが、すぐには呑み込めなかった。


 呑み込めて初めに浮かんだことは────何故、という疑問だった。


 自分の怠慢さが原因で解雇されたとは思いも浮かばず、まるで理不尽な目に遭ったかのように、女官長に詰め寄る。


「ど、どういうことですか…!?」

「どういうって────あんた、一度も侍女としての仕事していなかったんでしょう?解雇されても当然じゃないの」

「ちゃんと、してました!大体、何だって今更…」


 ダムナには、自分が嘘を吐いていることも、不合理な発言をしていることも自覚がなかった。


「…あんた、知らないの?ルガレド殿下、この間の成人の儀で成人されたのよ。だから、もう殿下は、自分で使用人を雇うことも解雇することもできるの。────呆れたわ。あんた、本当に出仕すらしていなかったのねぇ…」


 女官長に心底呆れ果てたように言われ、ダムナは怒りで赤くなった。


 女官長は、ベイラリオ侯爵の口利きでこの皇宮に入り、それをいいことに威厳が感じられそうな仕事や楽な仕事しかしないことで有名だった。


 そんな人間に、まるで自分が怠惰であるかのように言われ、ダムナの胸の内は怒りでいっぱいになる。


 ダムナは、自分は仕事をしていないのではなく、理不尽な目に遭っているのを耐えているだけなのだと本気で信じていた。


 そして────ルガレド皇子に、女官長以上の怒りを感じた。勝手に解雇をするなんて、あんまりではないか。これまで侍女でいてやったのに…。


 そんな、裏切られたような────恩を仇で返されたような気になって、怒りがさらに募った。


 ダムナは怒りのままに、女官長に挨拶することもなく、黙ってその場を離れる。ずかずかと荒い足取りで、ルガレドのみすぼらしい邸を目指した。


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