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第十章―忠誠―#3


 夕飯を食べ終え────後片付けが終わっても、レド様は少し不機嫌なままだった。


 夜の散歩に誘って、サンルームに出たけれど────口数が少なくて、何かしてしまったのだろうかと、不安になる。


「あの…、レド様…?」


 声をかけると、レド様が足を止めたので、私も立ち止まる。レド様は私を見ないまま、口を開いた。


「………解っている。これからは、ジグとレナスにも食事を用意しようと言うのだろう?」


 え、いや、それは確かに考えてはいたけど…。


「用意するのはいい。だが…、一緒に食事を摂るのは────駄目だ」


 レド様の本気で拒絶する硬い声に、何故そこまで4人で食事をするのが嫌なのか解らなくて、私は瞬いた。


 落ち着いて食べられないからだろうか?でも───さっきみたいな騒ぎは今日だけだと思うけど…。


「ええっと…、何故ですか?」


 レド様がこちらを向く。その表情は明らかに怒りを湛えていて────私は怯んだ。


 何度か見た表情を落とした冷たいだけの怒りとは違う───激情を孕んだ怒り。レド様は顔立ちが整っている分、怒ると迫力があった。


「…解らないのか?」

「レド様?───…っ」


 不意に、レド様に唇を奪われ、続くはずだった言葉を呑み込まれる。


 レド様は私を壁に押し付け、口づけを繰り返す。先程の応接室でのキスよりも荒々しくて、私が息継ぎすることを許してくれない。


 レド様の唇が離れたときには、息が上がっていた。


「二人だけでいたいからに決まっているだろう」


 熱に浮かされたように頭が働かなくて、一瞬、レド様が何を言っているのか解らなかった。


「俺だって…、すごく美味しいと思ったのに、ジグに先を越されて────リゼがあんなに喜んでくれるなら、俺が言いたかったのに…。

リゼもリゼだ。あんな簡単に、他の男に笑顔なんか見せて────ジグが見惚れていたのも気づかないで────」


 徐々に思考が回り始めて、レド様の言葉の意味がゆっくりと意識に上ってくる。


 ええっと…、つまり────ジグに先に美味しいと言われてしまって…、私がそれを喜んだのが悔しかった、ということ…?


「ジグとレナスの食事も用意することは許す。だが、一緒に食事を摂ることだけは許さない」


 レド様はそう言い置いて、踵を返して行ってしまった。


 私は立っていられなくて────ずるずると壁から滑り落ちるように、その場に座り込む。


 レド様を怒らせてしまってどうしようと思う反面────顔に熱が上るのを止められない。きっと、今、鏡を見たら私の顔は真っ赤になっているはずだ。


 いつもの優しいレド様とは違って────怒りを露にしたレド様は怖かった。怖かったけど…、レド様は、あんな風に怒るくらい────私を想ってくれているのだ。


 レド様の癇に触れるようなことをしてしまったこと────それから、ジグとレナスの食事事情に思い当たらなかったことを、きちんと反省しなければならないと思うのに────どうしても…、先程のレド様の表情や声音、それに口づけられた感触を────さらには、応接室での出来事まで思い出してしまって────そればかりが頭を廻り、何も考えられない。


「リゼ、何やってるの?」


 ネロに不思議そうに問いかけられるまで、私は両手で顔を覆い、ひたすら身悶えていた…。



◇◇◇



 翌朝─────


 私は寝坊することなく、いつも通りの時間に厨房へと向かった。


 今日の朝食は昨日トンカツを作った時点で、カツサンドにしようと決めていた。実は、昨晩───あの後にもう作ってあった。


 レド様と作りたいとは思ったけれど────きちんと話して謝りたいので、そうすると朝食を作っている時間はないかもしれないと考えたからだ。


 レド様は────いつも通りに来てくださるだろうか…。


 もし、私に会いたくないと思われていたらどうしよう────そんな不安が込み上げ、扉の方を見ていられなくて私は俯き、無意識に周囲の気配を探るのを止めていた。


「…リゼ」


 躊躇いがちに名を呼ばれ、私は弾かれたように振り向く。


 そこには────不安げな表情をしたレド様が佇んでいた。レド様の表情や態度に嫌悪感や怒りは見えなくて、私は思わず安堵の息を吐いてしまった。


「レド様…」


 レド様がいつも通りに来てくれたことが嬉しい。


「リゼ…、昨日は、その…、すまなかった」


「いえ…、謝るのは私の方です。私…、昨日の夕飯は自分で用意した材料ばかりだったので…、だから、ジグとレナスにもおすそ分けしようって安易に思ってしまって────二人を夕食に呼んでもいいか、一緒に食べているレド様にも許可をとるべきだったのに────ジグとレナスは───私たちの大事な護衛だから呼んでも構わないだろうと勝手に考えて────レド様にしてみれば、婚約者である私に、二人でとるはずだった食事に勝手に他の男性を呼ばれたのだから────レド様が怒るのは…、当然です」


 ああ、これではただの言い訳だ。レド様を前にしたら、言おうと決めていた言葉が吹き飛んでしまって、言いたいことが上手く言い表せない。


「本当に…、ごめんなさい…」


 謝罪すると言いながら、まだ伝えていないことに気づいて、言葉を絞り出す。


「いや────違う。リゼが悪いんじゃない。悪いのは、俺なんだ。俺が勝手に────ジグに嫉妬しただけだ。あれは完全に八つ当たりだったんだ…。すまなかった、リゼ」


 言葉が出てこなくて、私はただ首を横に振る。


「許してくれるか…?」

「許すも何もないです。レド様こそ…、もう怒ってないですか…?」


 不安で声が震えてしまった。次の瞬間────私はレド様に抱き締められていた。


「言っただろう、リゼは悪くないと────怒っているわけがない」

「良かった…」


 私は安堵して────まるで縋りつくように、レド様の背を抱き締め返した。



◇◇◇



「あの…、レド様…。ジグとレナスの食事のことですが────」


 しばらく抱き締め合っていて────ようやく離れた後、私は恐る恐る切り出した。


「二人と食事について話し合いたいのです。立ち会ってくださいますか…?」


 時間をとらせるのは申し訳ないと思ったけれど、こんなことがあった後で、レド様のいないところでジグとレナスに会うのは気が引ける。


 でも────食事は大事なことだ。後回しにはできない。


「ああ、勿論だ」


 レド様の表情が、何だか安心したようなものだったので────私もちょっとほっとする。


「今、話をしてもよろしいですか?」

「ああ」


 私は天井に向かって呼びかける。


「ジグ、レナス────話し合いたいことがあるので、出て来てくれますか?」


 すぐに、目の前にジグとレナスが現れる。


「おはようございます、ルガレド様、リゼラ様。昨夕は、ご馳走いただきありがとうございました」

「おはようございます。────昨夕は…、食事の席であのような無礼をしてしまい、大変申し訳ありませんでした」


 まず、ジグが挨拶と夕飯のお礼を言い───続いて、レナスが謝罪を口にする。そういえば、レド様に朝の挨拶をしなかったなと思う。


 レド様は頷くだけにとどめた。話があるのは私なので、私が口を開く。


「おはようございます、ジグ、レナス。朝早くからごめんなさい。話したいのは────二人の食事についてなんです」



 厨房のテーブルに、昨夕のようにレド様と私が並んで座り、向かい側にジグとレナスが並んで座る。


「私は二人の雇い主なのに────食事のこと思い至らなくて、本当にごめんなさい」


「いえ、謝罪していただく必要はございません、リゼラ様」

「そうです。リゼラ様が最初に仰っていた通り、オレたちの存在を気取られないようにするならば、食費を計上するわけにはいきませんから」


「でも────では、以前は…、ファルリエム辺境伯に雇われていたときには、どうしていたのですか?」

「セアラ様やルガレド様の予算で買われた食糧をいただくわけにはいかなかったので、やはり自分たちで調達することになっていました。我々の給金が高めなのは、食費を含んでいるからです」

「きちんと食費もいただいているのですから、オレたちの食事について思い当たらなかったからといって、リゼラ様がお気に病むことはございません」


 ジグもレナスもそう言ってくれるけど、何だか腑に落ちない。


「もしかして────以前は…、貴方たちの他にも護衛がいたのですか?」


 私がそう訊くと、ジグとレナスは目を見開いた。そして、観念したように答える。


「やはり、貴女は賢い…。そうです。我々以外にあと3人いて────5人で警護をしておりました」

「交代で警護をして────食糧は…、空いた時間に誰かが街に出て、まとめて調達しておりました」


「……その3人が引き上げたのは────8年前のミアトリディニアの件か?」


 レド様が口を挟んで、問う。


「その通りです。あれは────総力戦でした。我ら“影”すら総動員せざるを得なかった」

「オレたちだけは────いえ、オレたちとラムルたちだけは、ルガレド様を護ることを託され、ここに残りました。あの3人は────戦が終わり次第、戻ってくるはずでした」

「そうか……」


 辺境伯軍の被害は大きかったと聞いている。戻ってこなかったということは────殉職したのだろう。


「別の者が増員されていないということは────“影”も壊滅したんだな?」

「おそらくは…。この8年────報告すら皆無ですから…、そう考えるべきなのでしょう」


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