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第四章―ロウェルダ公爵邸にて―#5


※※※



「それでは────少しの間、レド様のことをよろしくお願いします」


 リゼラは、そう言ってロウェルダ公爵家の面々に頭を下げた後、【(テレポー)(テーション)】を発動させて、ロウェルダ公爵邸から姿を消した。


 あの後、もう正午に近かったので先に昼食をご馳走になり、昼食後、ミレアと家令のロドムに指導を受けながら、ダンスの練習をさせてもらった。


 夜会では、皇妃によって踊ることを強要されることが目に見えている。


 ルガレドもリゼラもダンスは修めてはいたが、公の場で踊るのは初めてだし、昨日に引き続き、厳しく指導してもらったのだ。


 そのせいで、午後は二人で街へと用足しに行く予定だったのが、時間があまりなくなってしまった。


 けれど、明日はおそらく夜会を知らせる使者が来るはずなので、邸を空けているわけにはいかない。邸にいないことを不審がられても困るからだ。


 そうすると、今日のうちに用事を済ませる必要があった。


 ミレアが『ルガレドを預かるから、リゼラ一人で用事を済ませてくればいい』と言ってくれたので、ルガレドが街に行くのは夜会が終わってからにして、今日のところはリゼラ一人で街に行くことになったのだ。


 ミレアとシェリアが自分たちの夜会の準備のため席を外し、シルムは勉強があるために元々おらず、応接間にいるのは、ルガレドと、家令のロドム、そしてラナだけになった。


 しばらく沈黙が続き、ルガレドが話題を探していると────ラナが意を決した表情で口を開いた。


「……殿下、無礼を承知でお願いを申し上げてもよろしいでしょうか」

「何だ?」


「…リゼを────リゼのことを、どうか大事にしてあげて欲しいのです」


「それは言われるまでもなく、そのつもりだ」


 ラナは一瞬、言うべきか躊躇うような素振りを見せたが、言葉を続ける。


「わたしは…、ご存知かもしれませんが、孤児なのです。リゼとは孤児院で出会いました。一緒に育ったと言っても過言ではありません」


 ラナは一息吐いて、ルガレドに訊ねる。


「殿下は、3年前、ベイラリオ侯爵傘下のデルサマルという悪徳商人が捕まった件をご存知ですか?」

「ああ。噂だけは聞いている」


 隔離された環境ではあったが、ルガレドは下級使用人用の食堂で食事をしていたため、使用人がする噂だけは拾えていた。


「わたしは、そのデルサマルの愛人であったマドラのアトリエで働いていたのです。わたしが就職した当時、マドラは流行の先端を行くデザイナーとして名を馳せていました。

孤児が就職することは難しい中、そんな有名なアトリエから働かないかという打診をもらって、わたしは有頂天になりました。みんなはただ喜んでくれたけれど、リゼだけは不安がっていました。リゼがわたしを止めたがっていたのは解っていましたが、わたしはその話を受けました。

働き始めて、わたしはすぐに後悔する破目になりました。有名なだけあって、仕事は次から次へと舞い込み、わたしたち従業員は、ろくに食事もさせてもらえず、ろくに眠ることも許されず、ただひたすら服を作らされ続けました。

マドラはデザイナーなどとは名ばかりで、デザインすら、わたしたちがしていました。お客様にデザインを気に入ってもらえなかったときは、罰まで与えられました。

従業員はみんな、わたしと同じような境遇でした。粗雑に扱っても文句を言う家族はいないし、いなくなっても探されない。そんな者たちばかりでした。

就職するとき、魔術で契約をしていたので、逃げ出すことも出来なくて…。正直、このまま一生使い潰されて終わるかもしれないと思っていました。

でも────リゼだけがわたしの状況に気づいてくれたんです。

孤児院で家族同然に過ごしても、大半は就職したら音信不通になります。わたしもそんな一人に思われてもおかしくなかったのに、リゼは、連絡がとれなくなったわたしを心配して、わざわざ情報屋に調べてもらったんだそうです。情報屋を雇うにはかなりお金がかかるのに─────」


 ラナはそれを聞いたときのことを思い出したのか、微笑を浮かべる。


「リゼは、マドラがいない時を見計らって、アトリエに忍び込んできました。わたしたちに、持ってきた食べ物を食べさせてくれた後、すぐに何とかするから少しだけ我慢して欲しいと言いました。

それから何日くらい経った頃でしょうか。どうやったのか────デルサマルが捕まり、それに連座してマドラが捕まり、わたしたちは解放されたのです。

そんなことをやってのけたのに、お礼を言ったわたしたちに、リゼは、伝手を総動員しただけで自分はほとんど何もしていないから、と笑っていました」


 ルガレドは、リゼラらしいと誇らしく思う反面────リゼラのその優しさが向けられるのは自分だけではなかったことに、落胆せずにいられなかった。


「その2年間の無理が祟ったわたしは、身体を壊して、しばらく何もできませんでした。リゼは小さな部屋を借りてくれ、わたしをそこに住まわせて、面倒を見てくれました。リゼは『荷物を置いておける拠点が欲しかったから』なんて言っていたけれど、わたしのためだということは明らかでした。

そして、少しずつ回復してきたわたしに、リゼは服作りを依頼してくれるようになりました。懇意にしている商人に繋ぎをとってくれて、古着や材料の仕入れ先を確保してくれたり、客になりそうな人たちを紹介してくれたり…、わたしが、フリーのお針子としてやっていけるようになったのは────いえ、今生きていられるのは、すべてリゼのおかげなのです…」


 ラナは噛みしめるようにそう言って顔を伏せたが、すぐにまた顔を上げて、強い眼でルガレドを見る。


「わたしは、リゼをとても大事に思っています。不幸になって欲しくない。

殿下が、リゼを大事にしてくれようとしていることも、見ていて解ります。ですが────殿下のお立場は不安定です。もし、殿下が追い落とされるようなことがあれば、リゼを…、どうか道連れにせず、手放してあげて欲しいのです」


「…っ」


 ラナの言葉に、ルガレドは殴られた時のような衝撃を覚える。


(リゼを手放す…?)


 三日前までは───リゼラに実際に会うまでは、ラナが言った通りのことを確かに考えていた。


 自分が皇子としての立場を追われるようなことが起こった場合は、親衛騎士となった者は解放してやらねば、と。


「……だが、リゼはきっと承知しない…」


 出てきたのは、そんな言い訳のような言葉だった。


 実際、そんなことになったとしても、リゼラはルガレドを見捨てようとしないだろう。


「リゼなら…、そうでしょう。ですから、殿下の方から突き放してあげて欲しいのです」


(リゼを…、突き放す────)


 初めてリゼラを目にしたとき、その姿に見惚れ────その輝きに目を奪われた。


 がっかりしたくなくて期待を押し(とど)めて、不安を抱いて対面したルガレドに、リゼラは微笑んでくれた。


 きっと────あの瞬間には、ルガレドはもう完全に恋に落ちていた。


 護ってくれなくてもいい。リゼラが隣にいてその笑みを向けてくれれば、それだけでルガレドは幸せだ。


(手放したくない────手放せるわけがない…)


 ふと、リゼラが自分の許を離れ、別の男に寄り添うところが思い浮かぶ。


(嫌だ…。他の男になど、やりたくない。それだけは嫌だ。そんなことになるくらいなら、俺は────)


「そうなったら…、もしそんな状況に陥ったら、俺は…、リゼを連れて逃げる。皇子としての立場を捨てることになったとしても構わない────」



※※※



「皇子として失格かもしれない。お前たち民からすれば、皇子という役割を全うせず逃げるなど、腹立たしいかもしれない。だが、俺は…、国よりも、民よりも────リゼの方が大事だ。どんなに(そし)りを受けたとしても、リゼを失うことだけは絶対に嫌だ…」

 

 まるで絞り出すように言葉を紡ぐルガレドに、ラナは眼を瞬かせた。


 ラナとしては、皇妃一派に追い落とされ、ルガレドが国を追われる状況になったら───という前提で話しているつもりだった。


 皇妃一派に追い詰められ逃げ出したとしても、きっと国民は(なじ)ったりしない。誰だって、命が惜しいに決まっている。ルガレドが命惜しさに逃げ出しても、誰も責めはしないだろう。


(この方は、それでも皇子としての役目を投げ捨てるつもりはなかった───ということ?自分の命がかかっていたとしても…?)


 自分の命のためには逃げないのに、リゼラのためなら逃げる────


(それほどまでに、リゼを失いたくないんだ……)


 ラナは、リゼラをその逃亡生活に巻き込まないで欲しいと思っていた。


 リゼラが幾ら凄腕の冒険者だとしても、追われる生活など心が疲弊してしまうだろう、と考えていた。


 だけど────


(ああ、リゼはこの人に任せれば、きっと大丈夫だ────)


 ラナは、何故かそう確信した。


 何だか笑い出しそうになるのを堪え、ラナは口を開く。


「殿下、そのお言葉、決してお忘れになりませんよう。もし、違えたら許しませんから」


 ルガレドにはそう告げたが、ルガレドが言葉を違えることはおそらくないだろう。



◇◇◇



「ラナったら、無茶をするわね」


 リゼラが街から戻ってルガレドと皇城に帰った後、ラナはシェリアに誘われ、応接間でお茶を飲んでいた。立場上許されないことだと思うが、いつもシェリアに押し切られてしまう。


「ロドムさんから、お聞きになったんですね」


 あのとき、ロドムはラナの無礼を止める素振りも見せなかった。よく止めなかったな、と思う。


「まあ、ラナの気持ちはよく解るわ。わたくしだって、リゼには不幸になって欲しくないもの」


 リゼラに助けられたことがあるのは、シェリアも同じだ。


 ラナは詳しくは知らないが────その立場や美貌から、シェリアは何度も誘拐されかけ、殺されそうになったことさえあるらしい。


 そんな窮地を幾度もリゼラに助けられたというシェリアのリゼラへの思い入れは、はっきり言って、ラナより強いように感じる。



「ただ…、殿下のお気持ちも解るのよね。身近なご家族を亡くされ、忠義を持った使用人たちも取り上げられて、孤立した環境の中、そこにリゼが現れて────そうしたら、もう…、リゼがいなくなることは耐えられないでしょうね」


 その気持ちは、ラナにも解る気がした。


 ラナはずっと自分を無償で助けてくれる人などいないと思っていた。それが“家族がいない”ということなのだと、教えられずとも知っていた。


 だけど、リゼラは見返りなど考えず、ただラナを助けてくれた。あのとき、これが誰かに“愛される”ということかもしれないとラナは思った。


 孤児院にいた頃も、リゼラが自分を慕ってくれているのは知っていた。でも、きっと理解はしていなかったように思う。


 これが、“家族がいる”ということ────リゼラは、自分を『家族』だと思ってくれている。


 その考えに至ったとき、ラナは、物心ついた頃から付きまとっていた心細さが消えるのを感じた。いつも、地に足がついていないような感覚が消えなくて、不安定で心細かった。


 自分にもどんな時でも心配してくれる『家族』がいるのだと思うだけで、心持ちがこんなにも変わるなんて思ってもみなかった。


 リゼラを失いたくない────ルガレドのその気持ちは痛いほど解る。


 ラナだって、リゼラを───唯一の『家族』を失いたくない。以前の、あの放り出されたような心細さなど、二度と味わいたくはない。


 ただ────


「確かに殿下のお気持ちはわたしも解りますけど…。それにしても、殿下のリゼに対するあの思い入れようは、何と言うか───ちょっと重すぎるような…。リゼと殿下は三日前に初めて会ったんですよね?」


「まあ、仕方ないのではないかしら。殿下はリゼに一目惚れしたみたいなのよね」


「ひ、一目惚れ?」

「ええ。契約の儀のとき、わたくし、殿下がリゼを粗雑に扱ったり、疎んじたりするようなら、どんな手を使ってでもリゼを取り戻すつもりでいたのよ。だから、観察していたのだけれど、殿下ったら、リゼを一目見た途端、立ち止まってリゼに見惚れてたのよ。あれ、完全に一目惚れだったと思うわ」


「ええっ。でも、先程のあの感じでは、そんな軽い想いではなかったというか…」

「一目惚れした相手がイルノラド公女のような人だったならば、すぐに冷めてしまうでしょうけれど、相手はリゼよ?一目惚れした上に、人柄にさらに惚れ込んでしまったのではないかしら」

「ああ…、ありえますね」


 きっと、ラナのあの可愛い妹は、ルガレドに対してもいつものように接したのだろう。


「ラナ」


 名を呼ばれ、ラナがシェリアに意識を向けると、シェリアの表情は凪いだものに変わっていた。


「心配する必要はないわ。確かに、殿下の立場は危うい。でも、リゼが殿下を護ることを決めたのなら、わたくしはそれを手助けするだけよ。

わたくしが───いえ、このロウェルダ公爵家が…、決して、リゼを皇妃一派に害させなどしないわ」


 シェリアはその太陽のような瞳を煌かせ、強い眼差しで言う。


 ラナは、はっとするような思いで、シェリアを見返した。


 やはり、シェリアは自分とは違う存在なのだと、ラナは思い知る。

 ここにいるのは、紛うことなき、このレーウェンエルダ皇国の筆頭ロウェルダ公爵家の公女なのだ、と────


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