序章―対極の月―#4
「ナハト、ナイト、ノクス、ノーチェ」
私の呼び声に応え、レーヴァ邸で待機していた4頭の精霊獣が忽然と現れる。
そのうちの1頭、漆黒の毛並みをした狼型の精霊獣───ナハトを傍に呼び寄せる。
「ナハト───私に代わって、この方をお護りして欲しいの」
「姫様の頼みとあらば、喜んで」
私は、ナハトから皇王陛下に視線を移す。
「皇王陛下───この子はナハトといいます。陛下の護衛としてお傍につきます」
「儂はドリアムという。よろしく頼む───ナハト」
「こちらこそ」
ナハトが私の傍を離れて、皇王陛下の許に向かう。
次に、同じく黒狼の姿をとる精霊獣───ナイトを呼ぶ。
「ナイト───この方をお護りして欲しいの」
「任せてください!」
「ゼアルム殿下───この子はナイトといいます。これから、殿下をお護りさせていただきます」
「僕はゼアルム。これからよろしくね、ナイト」
「よろしく!」
ナイトは、軽快な足取りでゼアルム殿下の傍へと行く。
残りの2頭は、滑らかな黒毛を持つ豹型の精霊獣だ。
「ノクスには、この方をお護りして欲しいの」
「はい、お任せを」
「おじ様───この子はノクス。ロビンに代わって、この子がおじ様につきます」
「私の名はシュロム。よろしく頼むね、ノクス」
「よろしくお願いします」
残った1頭───ノーチェの許へ寄り、皆に紹介する。
「この子はノーチェといいます。シェリア公女の護衛についてもらうつもりです。この子たちは姿を隠すことができますので、人目を憚らず侍らすことが可能です。それから、離れた状態でも精霊獣同士で会話をすることができますので、秘かに連絡を取りたい場合にもお役に立てると思います。勿論、私とも会話ができます。何かあった場合は、この子たちを通じて連絡をお願いします。それから────」
私はそこで言葉を切って、足元にいるネロに呼びかける。ネロはすぐに姿を現した。
「この子は同じく私の使い魔のネロです。もしかしたら、この子が連絡役となることもあるかもしれませんので、念のため、ご紹介しておきます」
私は、次に内ポケットからマジックバッグを取り出し、さらに中から掌サイズの木箱を二つ取り出すと、皇王陛下とゼアルム殿下に手渡す。お二人は、すぐに木箱を開いた。
皇王陛下の箱には三組のピアス、ゼアルム殿下の箱には二組のピアスが収められている。
どれも、シンプルなデザインの爪先にも満たない小さなもので────どちらも一組だけ聖結晶製で、残りは月銀製だ。
「この三組ないし二組のピアスは繋がっていて────身に着けてさえいれば、離れていても、お互いの場所を確認することや秘かに会話をすることができます。聖結晶のピアスが、皇王陛下とゼアルム殿下のものとなります」
私が創った<主従の証>擬きで、皇王陛下とガハド卿、ジルトさん───ゼアルム殿下とゲルリオル伯爵令嬢という組み合わせだ。
後で皇王陛下とゼアルム殿下を護衛している“影”にも、主の居場所を把握できるよう、それぞれ【把握】擬きを施したピアスを支給することになっている。
おじ様を通して、事前にピアスを着けられるよう耳朶に穴を開けてもらっていたから、皇王陛下たちはその場でピアスを装着した。
「ガハド卿とゲルリオル伯爵令嬢、それにジルト…のピアスには、常に身体能力を強化する魔術陣を組み込んであります。鍛練のときにでも、どの程度強化されているか、ご確認ください」
例によって、【魔力循環】を施してある。勿論、“影”に支給する予定のピアスにもだ。
「ガハド卿とゲルリオル伯爵令嬢には、こちらもお渡ししておきます。身体能力強化のフェイクとしてお使いください」
渡したのは、ピアスよりも一回り以上大きな魔石でできたイヤリングだ。それは、遠征時にレド様が貸与された魔術陣に似せたものだった。
元となった魔術陣は、【魔力循環】ほどではないが身体能力を強化する効果があるそうで────ディルカリダ側妃が編み上げたものだと判明している。実物はピアスタイプだけど、簡単に着脱できるようイヤリングに変えた。
これを着けていれば、身体能力が上がっていることを不思議がられても、魔術陣の効果だと見做してくれるだろう。
「それから────こちらは、ガハド卿、ゲルリオル伯爵令嬢、ジルトに」
それぞれに一つずつ、小さな巾着袋を配る。
「これは?」
巾着袋の中から取り出したものを見て、ガハド卿が私に訊ねる。彼の掌には、“一円玉”ほどの透かし模様の入った月銀の魔導機構が載っている。
私は腰に帯びた短剣を鞘ごと手に取った。そして、剣身を少しだけ覗かせる。
ガードの付け根部分の剣身に、三人に渡したものと同じ魔導機構が貼り付けてある。
「お渡ししたそれを、このように────ご自分の得物に貼り付けてください。何もせずとも、載せるだけで貼り付くようになっています。ただ、一度貼り付いたら、剥がすことは不可能となりますので、ご注意ください」
私は説明を続ける。
「これは、貼り付けたものを強化するようになっています。折れないどころか、刃毀れも防ぐことができます。それと、もう一つ────」
私は短剣を鞘に納め、傍らにいるノーチェに向かって差し出す。
「ノーチェ、これを持っていてくれる?」
「かしこまりました」
ノーチェは、差し出れた短剣を咥えた。私はノーチェから距離をとる。
「クロワ」
そう呟くと、私の掌に抜身の短剣が現れ────ノーチェの口元には鞘だけが残っていた。皇王陛下やゼアルム殿下から驚いたような声が漏れた。
ノーチェの許に戻って鞘を受け取りつつ、口を開く。
「このように、呼び寄せることが可能になります。
これを貼り付けた瞬間、貼り付けたもの自体が光を発しますので、光が消えないうちに“呼称”をつけてください。銘があるならそれでもいいですし、『来い』などの言葉でもいいので────声に出して、はっきりと呼びかければ、それが“呼称”となります。
武具を持ち込めない場で襲撃された場合や、状況的に鞘から抜く余裕がない場合などに、ご活用ください。武具に限らず、盾に施しても役に立つのではないかと思います。
三つずつ入れてありますが────もっと必要な場合は、申し出てくだされば、ご用意します」
「「「…………」」」
ガハド卿も、ゲルリオル伯爵令嬢も、ジルトさんも反応を示さない。
………時間がないからって、一気にまくし立てすぎちゃったかな。
◇◇◇
「他に、何か訊いておきたいことなどございますか?」
【念話】や【把握】を一通り験してもらって、ガハド卿の大剣で魔導機構の効能を確かめ、精霊獣についてもう少し説明を加えた後、念のため訊ねる。
今のところ質問はないようで、誰も口を開かない。
「それでは────これで用件はすべて済んだということでよろしいですか?」
おじ様が、全員の顔を見回す。
「……そうだな」
皇王陛下が代表して答え、他の面々も肯く。一瞬、沈黙が降りる。
不意に、レド様が私の左手を握って、皇王陛下に向かって踏み出した。私は手を引かれるまま、レド様に従う。
「父上」
レド様が呼びかけると、皇王陛下は身を強張らせたように見えた。
「ロウェルダ公爵を通して、すでに許可は戴いておりますが────改めて、リゼラ=アン・ファルリエムとの婚姻をお許し願いたい」
レド様は私の肩を抱き、真摯に請う。
厳密には、成人した皇族の婚姻に皇王の許可が必要だと法で定められているわけではない。軍国主義でなくなってから、何となく、皇王陛下に報告して許可をもらう習慣ができただけらしい。
「勿論だ…、許可しよう」
「ありがとうございます、父上」
レド様が喜びの滲んだ声音で、お礼を述べる。
「ありがとうございます」
レド様に続いて、私も感謝を申し上げた。反対されていないと知ってはいても、安堵の息が零れた。
「おめでとうございます───兄上、ファルリエム伯爵」
「ありがとう、ゼアルム」
「ありがとうございます、殿下。よろしければ、私のことは家名でなく“リゼラ”とお呼びください」
ゼアルム殿下は、レド様の弟君であるだけでなく────シェリアの伴侶となる予定だ。できれば、信頼関係を築いておきたい。
「それでは、僕もリゼラ卿と呼ばせてもらうよ」
ゼアルム殿下に想定通りの答えを返される。
呼び捨てや愛称ではなく、『リゼラ卿』ならば、適度な距離感と言えるだろう───と、私は思ったのだけれど。
「その…、兄上?何だか、僕を睨んでいるように見受けられるのですが…」
「お前こそ、何だか嬉しそうに見受けられるのだが?────リゼに名で呼ぶことを許されたのが、そんなに嬉しいのか…?」
いや、私には、ゼアルム殿下はそこまで喜んでいるようには見受けられないのですが…。
「ルガレド殿下───発言をお許し願えないでしょうか」
ゲルリオル伯爵令嬢が口を挟んだ。
「何だ?」
「ルガレド殿下のご心配は杞憂というものです。我が主は、確かにファルリエム伯爵に気に入られたいと考えておりますが────それは、恋仲になりたいなどという下心ではなく、シェリア公女の伴侶として認められたいという思いから来ております。何故なら」
「ちょ、ヴァイナ…!」
ゼアルム殿下が慌てて遮ろうとするが、ゲルリオル伯爵令嬢は止まらない。
「我が主は、幼い頃にお茶会で初めて目にしたときから、シェリア公女に恋焦がれている状態ですので」
「えっ」
思いも寄らない告白に、私は声を上げる。
「そうなのか?」
レド様も意外だったようで、ゼアルム殿下に問いかける。ゼアルム殿下は、真っ赤に染まった顔を両手で覆って、か細い声で答えた。
「………そうです」
「ファルリエム伯爵は、シェリア公女とは親友という間柄だと伺っております。それも、お互いをそれはそれは大事に思っている、と。我が主は、ファルリエム伯爵に嫌われた場合、シェリア公女にも嫌厭されるのではないかと危惧しておいでです」
「ああ…、まあ、そうなるだろうな」
ゲルリオル伯爵令嬢の言葉に、レド様が確信を持って頷く。
「いや、いくら何でもそんなことは」
ない───とは言い切れないかもしれない…。
私だって、シェリアが嫌う人物を好きになれるかと言ったら、難しい気がする。
「そうか、アルがシェリア嬢を…」
レド様はそう呟いて、ゼアルム殿下に振り向く。
「アル、俺は応援するぞ」
「え───ほ、本当ですか、兄上」
「ああ。お似合いだと思う。俺に協力できることがあるなら、遠慮なく言ってくれ」
「…っありがとうございます、兄上」
ゼアルム殿下は感極まったように、感謝を口にする。傍から見れば、兄が弟の恋を応援するという───とっても微笑ましい光景ではある。あるのだけれど…。
「是非とも、末永く────そう…、老後を共に過ごしたいと思うくらいに仲睦まじくなってくれ」
「はい、頑張ります!」
………まあ、老後はさておき────ゼアルム殿下がシェリアに想いを寄せてくれていることは、私にとっても嬉しい事実だ。
レド様と私の場合が特殊だっただけで、王侯貴族の結婚には政略が伴うものだと解ってはいる。だけど────だからといって、大事な親友に条件で成り立っているだけの結婚はして欲しくない。
ゼアルム殿下がシェリアに想いを寄せているというのなら、たとえシェリアが同じ感情を抱けなかったとしても────お互いに何の思い遣りも持てないというような、冷え切った関係にはならないだろう。
「ゼアルム殿下」
ゼアルム殿下が、こちらに顔を向ける。
「どうか…、シェリアのことをよろしくお願いします」
私が頭を下げると、ゼアルム殿下は柔らかい笑みを浮かべた。
「シェリア嬢のことを、絶対に大事にすると誓うよ。だから…、安心して────兄上を支えてあげて」
「はい」
おじ様やカエラさんたちがいるとはいえ、表舞台に立つことになったシェリアから離れるのは気がかりだったけど、ゼアルム殿下がシェリアを気にかけてくれるのならば心強い。
「ファルリエム伯爵───我が主が万が一誓いを破るようなことがあれば、私が叩きのめしてでも更正させるので、どうかご安心を」
ゲルリオル伯爵令嬢が、冗談めかして宣言する。私は思わず笑みを零した。
「頼りにしています───ゲルリオル伯爵令嬢」
私がそう返すと、ゲルリオル伯爵令嬢の表情が嬉しそうに緩んだ。
「よければ、私のことは“ヴァイナ”と」
「では、“ヴァイナさん”と呼ばせてもらいますね。私のことは“リゼ”と呼んでください」
「それは嬉しいな。────あ…、すまない。敬語を使わなくても?」
「構いませんよ」
「ありがとう。────ところで、リゼにお願いがあるのだが」
「何でしょう?」
「いつか───時間がとれたときにでも…、私と手合わせをしてもらえないだろうか」
「手合わせ───ですか?」
「ああ。リゼは、女性でありながら、冒険者として最上位ランクまで昇り詰めたのだろう?魔獣も、リゼが討ち取ったと聞いている。是非とも手合わせしてみたい…!」
………あれ、もしかして、ヴァイナさんはうちの騎士隊長と同類?
「その…、ヴァイナは、貴族令嬢でありながら、お茶会や着飾ることよりも剣を振るうのが好きなんだ。嫁ぐよりも剣を振るっていたいからって、本来の候補だった自分の弟を押しのけて、強引に僕の親衛騎士に就いたくらいに」
あ、やっぱり、そういう系なんだ…。
「迷惑でなければ、一度だけでも、ヴァイナと手合わせをしてあげてくれないかな。駄目なら、剣術の話に付き合ってくれるだけでも」
「私でよければ、手合わせも剣術の話もお付き合いしますよ。ただ、お互い忙しくなるので、大分先になってしまうと思いますが」
ヴァイナさんが、喜色に顔を輝かせる。
「勿論、いつになっても構わない。リゼの都合に合わせる。手合わせも剣術の話も付き合ってくれるなんて────ああ、楽しみだな…!」
「良かったね、ヴァイナ」
「ああ!」
無邪気に喜ぶヴァイナさんは、ドレス姿であることも相俟って、凛々しい雰囲気が一転してとても可愛らしく見えた。
その様子に和んでいると、肩を叩かれた。振り向けば、そこにはガハド卿が立っている。
「………俺とも頼む」
「え?」
何を?
「………是非、手合わせを」
…………あれ、もしかして、この人もそういう系?
「皆様方。ご歓談中で名残惜しいところではありますが────皇妃が自邸に下がったようです。ジェスレム皇子や皇妃に阿る貴族たちは未だ大ホールに留まっているとはいえ、直に解散するでしょう」
“影”から報告があったのか、おじ様が不意に口を挟んだ。
「…それでは────我々も、もう解散した方がいいな」
皇王陛下が重々しく、溜息を吐く。
「今日は、本当によく集まってくれた。儂が不甲斐ないばかりに、皆には負担をかける。だが────あの者どもを排除するために、どうか力を貸して欲しい。そして────すべて一掃できた、そのときには」
皇王陛下は、そこで視線を廻らして、私たちを見る。
目を覆うほど垂れ下がった───おそらく作り物である眉の隙間から覗く濃紫の瞳が、強い思いを湛えて煌いた。
「こうして、また集まって────思う存分、皆で祝おう」




