終章―新たなる旅立ちの前に―#1
いつも読んでくださって、本当にありがとうございます。
今回の投稿は、「終章」3話、「追章」1話、「あとがき」の計5話分となります。そして、この投稿分で第一部は終わりとなります。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
高く鋭い───それでいて、繊細な笛の音に寄り添うように、私は木製の扇───“檜扇”を持つ手を振り仰いだ。
遅れて、扇の端に括りつけられた飾り紐と、“巫女装束”の上から羽織った“千早”と呼ばれる上衣の袖が、微かな音を立てて宙を泳ぐ。
笛の調べは、記憶に残る大叔父の奏でるそれと寸分違えることなく紡がれる。奏でているのは────“袴”姿のレナスだ。
私が振るう二つの扇と戯れるように、本来の姿に戻られた白炎様が純白の尾を閃かせて、流れる水のごとく舞う。
白炎様が羽搏くたびに、白く清らかな炎が生まれて、その軌跡を記す。
私が踏み締めたところから、床に染み込んだ魔獣の血が───私の扇が空を撫でると、“穢れ”といっていいほどに澱んでいた空気が、まるで解けるようにして宙に溶けていく。
地下遺跡のこの“格納庫”で散ったものたちの残したものを浄めるべく、私はただ只管に舞う────
「リゼ!」
舞を終えて、離れて見守っていた仲間たちの許へ歩み寄ると、カエラさんを侍らせたシェリアが迎えてくれた。
「何と言うか───すごく神秘的で綺麗だったわ…!」
「そう?ありがとう」
珍しく興奮しているシェリアに、笑みが零れる。
「そちらが、リゼが話してくれた神様ね?」
いつもの姿になって私の肩に留まった白炎様を目にして、シェリアが訊く。
「うん。────白炎様、こちらはお話しした私の親友のシェリアです」
「初めまして、シェリアと申します」
シェリアは簡潔だが恭しく名乗って、カーテシーをする。
<うむ。我は、白炎だ。ガルファルリエムの小僧と血族でありながら、礼儀を弁えておるな。さすが、我が神子に親友と言わしめるだけある。特別に、我が名を呼ぶことを許そう>
「ありがとう存じます───白炎様」
白炎様が名を呼ぶことを許すなんて、初めてだ。親友が気に入られたことが嬉しくて、また笑みが零れる。
「ご苦労だった───リゼ」
「レド様」
私は笑顔のまま、レド様を振り仰ぐ。
「とても綺麗だった」
「ありがとうございます…、レド様」
「レナスも、ご苦労だったな」
「勿体ないお言葉です」
「……ご苦労だったな、鳥」
<……労っている表情と態度とは思えんが>
あ───まずい、また始まってしまう。私は慌てて割って入る。
「今日は手伝ってくださってありがとうございました───白炎様」
<気にするでない。我が神子が頼ってくれて、我は嬉しい>
白炎様が、私の頬に柔らかな羽毛に覆われた小さな頭を擦りつける。その滑らかな感触を少しだけ堪能してから、レナスの方へ向く。
「レナス、手伝ってくれてありがとう」
「いえ。リゼラ様の頼みとあらば、お安いご用です」
レド様とジグがいる方から、「「チッ」」と舌打ちのような音が聞こえる。うん、きっと空耳に違いない…。
「それにしても、これがリゼが前世で着ていた服なのね。この世界のものとは構造が違うわ」
シェリアが私が着ている“巫女装束”と“千早”をしげしげと見て、呟く。
私が“巫女装束”に“千早”を身に纏い、神事でしていたような舞を行ったのは、この“格納庫”を浄化するためだ。
スタンピード殲滅戦の戦場となった枝道の方は、頻繁に人通りがあるため魔物などに寄って来られても困るので、魔獣と魔物の死体を運び出せた日の夜中に、地中に染み込んだ大量の魔物の血を、こっそり固有能力【浄化】で浄めたけれど────ここは、時間や魔力の関係で、閉鎖するにとどめて後回しにしていた。
ここでは、魔獣や魔物だけでなく人も亡くなっている。
セレナさん、ハルド、ヴァルトさん────それに、バレスのためにも、皇都を旅立つ前に浄めておきたかった。
私の【技能】である【祓の舞】は───舞わなければならない分、【浄化】に比べ時間がかかってしまうものの、【ツイノミツルギ】を使わなくても場を浄めることができる。
本当は私一人でも事足りたが、レナスと白炎様に手伝ってもらって“イベント”にして────身内を亡くしたセレナさん、ハルド、ヴァルトさん、父親によって酷い目に遭ったバレスの記憶を、新たな思い出で少しでも塗り替えられたらと思ったのだ。
シェリアや白炎様に遠慮しているのか、ラナ姉さん、アーシャ、ミュリアと共に遠巻きにしているセレナさんと眼が合う。セレナさんは、眼を細めて微笑んだ。
セレナさんに笑みを返して、また視線を廻らせると────今度はバレスと眼が合う。
バレスは、神事を見に来た観客がよくする、恍惚とした様子でこちらを見ている。本人が希望したとはいえ、この場に連れて来るのはちょっと心配だったが、杞憂だったみたいだ。
ハルドはバレスと同じような表情で────ヴァルトさんは、白炎様が類を見ないお姿だからか、“動物園”で珍獣を見た子供のような表情をしている。……まさか、私を見ての反応じゃないよね?
まあ、何はともあれ、四人とも表情を見る限り不快感などはなさそうで────逆効果にならなくて良かった、と安堵する。
「リゼ、疲れただろう?カデアがお茶の用意をしてくれている。邸に帰って、一息つこう」
レド様のお気遣いに、私は笑みを返して頷いた。
◇◇◇
「いつ見ても、このサンルームは素晴らしいですわね」
サンルームの一角に置かれたカフェテーブルの席に着くなり、シェリアが感嘆の溜息を吐く。
テーブルを囲うのは、シェリア、それにレド様と私だ。給仕としてラムルとカデアが、シェリアの護衛としてカエラさんが控える。
シェリアの言葉に、レド様は表情を緩めた。
レド様にとって、このお邸はセアラ様とファルリエム辺境伯の忘れ形見のようなものだ。何度目かだとしても、褒められるのは嬉しいのだろう。
カデア特製の苺パイをいただこうとして、巫女装束のままだったと気づき、私は【換装】でいつもの服装に戻る。
レド様とシェリアが残念そうに一瞥したが、お茶をするのに向かない格好であることは一目瞭然なので────二人は何も言わずに、ただカップに口をつけた。
「そういえば────あの地下遺跡は、どうするおつもりなんですの?」
「外部からの侵入は不可能となったし───しばらくはそのままにしておくつもりだ。暇を見て、少しずつ造り変えていこうと思っている」
「造り変える───ですか?」
「ああ。俺たちはいずれ姿を隠さなければならなくなるからな。安心して隠棲できるように、仲間たちの家を建てて小さな町にでもしようかと計画している」
あの“格納庫”は、精霊樹がすっぽり入ってしまうくらい天井が高く、天井自体が発光しているのか地下だと思えないほど明るい。
それに、このお邸を据えるのは勿論、仲間たちが各一軒ずつ家を建てたとしても持て余すくらいに広い。
今日、こうして浄化するところを仲間たちに見せたのは、いざ居を構えることになったときに嫌悪感などを抱かないようにするためでもあった。
ちなみに、あの場所に敷かれていた【催眠誘導】は、ノルンに手伝ってもらって撤去している。勿論、【記憶想起】もだ。
「私としては、水路を廻らせて、所々に橋やガゼボを設けたりとか────後は、精霊獣や…、アルデルファルムが遊びに来られるような芝地とか造れたらって思ってるんだ」
「いいわね」
「水路を広くとれば舟遊びができるし、ガゼボでお茶したり────芝地でピクニックするのも楽しそうだよね。それから…、皆で集まって食事会とかパーティーができるような───レストランみたいなのも造りたいな」
「舟遊びか───それは、是非やりたい」
レド様が、声を弾ませて言う。
<我が神子よ、我の祠も置いてくれ。そうしたら、いつでも遊びに来れる>
私の肩に乗ったままの白炎様が、甘えるような口調でお願いする。私が口を開くより早く、レド様が答えた。
「却下だ。そんなもの置いたら、お前は絶対リゼに四六時中つき纏うに決まっている。絶対に許可できない」
<四六時中、我が神子につき纏っているのはお前の方だろう。なあ───娘、そう思わんか?>
「ええ、仰る通りですわ。殿下はリゼを独占し過ぎだと、わたくしも思います」
<そうだろう?!其方なら賛同してくれると思っておったぞ…!>
……もしかして、白炎様がシェリアを気に入ったのって────そこ?
「やはり、ここはもっと平等にすべきだと思いますのよ」
<そうだな。我らにも、もっと我が神子と過ごす権利はあるはずよな>
「いや、そんな権利はない。俺はリゼの婚約者で、いずれ夫となる身だ。俺が独占するのは当たり前だ」
「殿下?───よくお考えになってくださいませ。リゼが望んでいる以上、わたくしや白炎様に逢わせないわけにはまいりませんのよ。もし偶にしか逢えないとなると、その分だけ想いが募って、逢えたときには離れがたくなるものですわ。それこそ、四六時中傍にいたいと思うほどに。それならば────頻繁に短時間だけ逢う方がよろしいと思いませんこと?」
「………確かにそうかもしれないな」
レド様は真剣な表情でしばし考え込む。
「いいだろう───週に数回、数十分程度ならば、リゼと過ごすことを許そう。ただし、毎日は駄目だ。それに時間も、遅くとも夕方までだ」
「まあ、その頃にはわたくしにも家族がいるでしょうから、それが妥当かもしれませんわね」
持ち上げたカップに隠れたシェリアの唇が、弧を描いている。妥協したような振りをしているけども、これ、多分、シェリアの思惑通りだよね…。
「鳥───お前も年に2回程度なら、許してやるぞ?」
<……お前、もしかして、それで“頻繁”のつもりなのか?>
「まさか、足りないと言うのか?本当に我が儘な奴だな。数年に1回と言いたいところを我慢して、年に2回にまで妥協してやっているというのに」
やれやれ───とレド様は首を振る。何か、その言い草と態度、ちょっとジグを彷彿とさせるような…。
<我が儘などと、お前にだけは言われとうないわ!>
白炎様はぷんすか怒って言い返す。
シェリアが、白炎様が乗っている肩とは逆側から私に身を寄せて囁く。
「あのお二人───似た者同士というか…、何だか兄弟のようね」
「ふふ、確かに」
子供みたいに応酬を続けるレド様と白炎様が微笑ましくて、私とシェリアは小さな笑みを交わした。
◇◇◇
「それでは、明日の準備もありますし────そろそろ、わたくしはお暇いたしますわ。本日はご招待いただき、ありがとうございました」
カップとフォークを置いたシェリアは、そう言って頭を下げる。
時間を確かめれば、もう正午近い。私たちも、この後は子供たちに会いに行く約束をしている。孤児院で私の成人祝いを兼ねた送別会を開いてくれるのだそうだ。
「いや───こちらこそ、忙しい中招待に応じてくれたこと、感謝する」
シェリアはレド様のお言葉に頷いてから、私へと視線を向ける。
「しばらく…、逢えなくなるわね」
明日は、いよいよ辞令式だ。新年度が始まれば、私もシェリアも忙しくなる。
辞令式が終わってすぐに旅立つわけではないし、シェリアを護衛してもらう精霊獣を連れていく際に会うことにはなるが────おそらく、こうしてゆっくりお茶をすることはできないだろう。
「逢うことはね。でも、いつでも話せるでしょ?」
「……ええ」
心なしか沈んだ様子のシェリアに、仕方がないな───と苦笑が漏れた。
「話したくなったら、聴いてくれる?」
そう訊くと、シェリアは間髪入れずに応える。
「勿論よ」
「ちゃんと“コンパクト”を気にしててよ。同時に手に持ってないと、繋がらないんだからね」
シェリアには、通信手段として私が創った魔導機構を渡してある。
それは、前世の“コンパクト”を模したもので、握り込むと【念話】が発動するようになっている。ただし、二人同時に握っていなければ繋がらない。
長話することを想定していて────緊急用とは別の、シェリアのためだけに創ったものだ。
「解ったわ」
シェリアの口元が緩む。
「カエラさん───シェリアに何かあったら、連絡をお願いします」
カエラさんには、緊急用のものだけを渡している。
「承りました」
「シェリアも、何かあったら遠慮なく言ってよ?」
「解っているわ」
シェリアは、苦笑のような───でも、確かに喜びが混じった笑みを浮かべた。
「しばらく逢えないのは寂しいけれど────リゼが遠くに行かないと…、これからも共に過ごせると判ったんですもの。それを糧に頑張るわ」
シェリアの微笑が、朗らかな笑みへと変わる。
「それでは───殿下、失礼いたしますわ」
「ああ」
「リゼ…、またね」
「うん、またね───シェリア」




