第二十八章―邂逅の果て―#12
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「よくも、まあ…、この十数年────父が亡くなり、俺が不在なのをいいことに、好き勝手してくれたな。相応の罰を与えてやるから、覚悟しておけ」
ダズロは、再び怒りに塗り潰された形相で、バセドに冷たく言い渡す。
気の弱いバセドは怯えるかと思いきや、意外なことに反抗的な眼差しをダズロに向ける。
「好き勝手して、何が悪い!?これは、正当な報復だ!!私には好き勝手する権利がある!!」
「報復、だと?」
「そうだ!!本当ならば、私はイルノラド公爵領を統治するはずだった!!それなのに、あんたの父親は、ずるがしこいカイドに唆され、その権利を奪った!!」
バセドが唾を飛ばして叫んだ内容に、唖然とした空気が漂う。
“カイド”とはバセドの実弟で────イルノラド公爵領を治める代官だ。
「お前が────公爵領を統治するはずだった?」
「そうだ!!長男である私が代官を引き継ぐはずだったのに、あんたの父親はカイドを気に入ったからといって、その習わしを破ったんだ!!」
バセドはそこで言葉を切ると、ふんぞり返った。
そうするに至った正当な理由があるのだから、罪に問われることなどありえない、と────この愚かな男は本気で考えているらしい。
「お前は何を言っているんだ?」
「え?だから、長男の私が継ぐはずの…」
「お前が代官を引き継ぐはずだった事実などない。何を勘違いしているのかは知らないが────我が領地の代官は世襲制ではない」
領地の経営の仕方は、貴族家によって違う。
当主が役職に就いている場合は代官を置くのは何処も同じだが、夫人や親族が代官を務める貴族家もあれば、領民の中から選ぶ貴族家もある。
それは、領地の規模だけでなく、どの時代に叙爵したかによっても変わってくる。
軍国主義の最中に領地を与えられたイルノラド公爵家では、代官は、血筋や出身ではなく────才覚で選ばれる。
ダズロの言葉に、バセドは目と口をぽかんと開いて間抜けな顔を曝した。遅れて、上擦った声で反論する。
「う───嘘だ!!代々うちの一族が代官を務めていたはずだ!!現に祖父さんも父さんも代官だったじゃないか!!言い逃れするな!!」
「“お前の一族”とやらが、公爵領に移り住んだのは、お前の祖父の代だぞ。確か、俺の祖父───先々代当主の騎士仲間だったと聞いている。その賢明さを買って騎士団から引き抜き、代官を任せたという経緯だったはずだ。
お前の父が代官を任されたのは、“長男”だったからではなく、父親に似て才覚があったからだ。お前の父の跡継ぎには、お前ではなく、代官補佐を務めていた者が候補に挙がっていたが────お前の弟に才覚があると判って任せることになった、それだけの話だ」
バセドは愕然とした表情を浮かべ、ダズロを見上げるために反り返っていた上半身の力が抜ける。
その場しのぎの言い逃れではなく────弟のカイドが先代に取り入り、自分が継ぐはずだった代官の地位を奪ったと、バセドは本当に信じていたようだ。
ダズロはバセドの様子などお構いなく、畳みかける。
「たとえ代官が世襲制で、お前の主張が正しかったとしても────公爵家の資産を横領することの正当な理由になるわけがない。
そもそも、父は代官を任命する立場にあった。お前の弟を選んだからといって────そのために、領地経営に支障を来たすような状況になったというのならともかく────誰にも咎められる謂れはない」
「ちがう────そんなはずはない…。もし世襲制だったなら────長男の私を差し置いて弟が指名されたなら、私には咎める権利があったはずだ…。
私は────代官が世襲制ではないことを知らなかった…。そう思い込んでいたのだから、私がしたことは“正当な報復”で…、だから────だから、見逃されるべきだ…」
バセドは震える声で、反論というよりは────認めたくない一心で言い張る。ここで認めてしまっては、完全に自分の非となるのだから、頑なになるのも当然だ。
ダズロの怒りに染まった双眸に、憎悪が入り混じった。
「いい加減にしろ、このクズが!!“正当な報復”だと?!6歳にしかならない───罪のない幼子に、食事を一切与えずに苦しめることがか?!その行いの何処に正当性などある…?!」
バセドは、ひっ───と短い悲鳴を上げる。
「ち、ちが───それは、奥様が」
「レミラは、リゼラを使用人と同等の扱いをするよう命じたと───食事を抜くよう命じたわけではないと証言が取れている。『リゼラに食事を与えるな』と命じたのは、お前だったということもだ。
始めは、リゼラを従順にさせるために食事を与えなかったそうだな。リゼラが耐えられなくなったところで、粗末な食事を与え────従順にさせる予定だった、と。
だが、食べ残しが処分されパントリーに鍵をかけられたことを知ったリゼラの絶望した姿を見て───お前は計画を変更して、引き続き食事を与えないことにした。
リゼラが畑に忍び込んで、野菜を齧って耐え忍んでいることを知って───しばらくは自由にさせてから、畑に出入りできないよう見張りを立て───再び絶望するリゼラを、お前たちは嘲笑い───眺めて愉しんだそうだな…?」
バセドの身体が、目に見えて震え始める。
「リゼラが邸を抜け出したときには、さすがに焦ったようだが────孤児院に身を寄せていると知り、使用人扱いするよりも惨めな身分に成り下がったと…、悦んでいたらしいな。
孤児院に迎えを遣るわけでもなく、そのままにして────リゼラが冒険者になったと聞いたときも、お前は…、馬鹿にして────嘲笑っていたと聴いている。
リゼラが自分で買いそろえた物を盗ませたり、ベッドを汚すような嫌がらせを使用人たちにさせていたこともな」
「わ───私が強制したわけじゃない!!あいつらは愉しんでやっていた!!それなのに、私だけが罰せられるなんて不公平だっ!!」
「無論、お前に追従して、リゼラを虐げた者には相応の処分を下している。すでに解雇して邸から出した。窃盗を犯した者やお前の横領に加担した侍女長や執事たちは、解雇だけでなく身柄を拘束している」
「え…?」
バセドが邸を空けていたのは、4日だけだ。まさか、そこまで事態が進んでいるとは思ってもみなかったのだろう。
リゼラに絶縁された3ヵ月前のあの日から調べ始めていたために、バセドに迎合することを拒んで不当に解雇された使用人たちと連絡が取れたことに加え、ロウェルダ公爵が紹介してくれた人物────彼のおかげで、バセドが療養院に出向く前に邸の全容を把握することができていた。
そして、ノラディス子爵領から、デリスだけでなく、セロムの母親であるセニアが駆け付けてくれ────事情を知らされたカイドが人を寄越してくれたこともあって、人手不足を懸念することなく、一斉摘発できたのだ。
「よって────お前で最後、というわけだ」
「そ、そんな…」
「しかし…、お前の部屋に踏み込んで驚いたぞ。並んでいるのは豪奢な家具ばかりで────どこの貴族子弟の居室かと思ったくらいだ。
それと、妻子がなく独身であるはずなのに、何故か街に愛人を囲っているそうだな?そちらも、かなりの豪邸だと聴いているぞ。
リゼラに使われるはずの予算と…、横領した公爵家の資産をそんなことに使っていたとは───な」
ダズロは一歩だけバセドに近づき、改めて見下ろして────話を続ける。
「自分は贅沢する一方で────他の使用人たちの待遇はかなり酷いものだったようだな。
どの使用人部屋にも、ベッドとキャビネット、それに小さめのテーブルとイスが備え付けられていたはずだったのに────いつの間にか、粗悪なベッドとただの箱に入れ替えられていたみたいでな。
俺はそんなことを許可した覚えもないのだが────何故か、俺が命じたことになっているらしい。それから…、三度にわたる大幅な減給も」
「ぁ、そ、それは…」
「尋問した使用人たちに、その恨みをぶつけられて驚いたぞ。あいつらは────だから、お前と共にリゼラを虐げたのだそうだ…」
そう開き直った使用人たちの言い分はバセドと同じで、“正当な報復”とのことだった。
「俺は身に覚えのない恨みを引き受けるつもりはないのでな。お前の一存で、待遇が下げられたことを説明しておいた。それによって浮いた分を自分に回して、お前だけが豪勢な暮らしをしていたことも、な。
それから────お前たちのしたことは“報復”などではなく、ただバセドの主家に対する蛮行の片棒を担がされただけだと、きっちり訂正しておいた。
犯罪者となってしまった者たちは、それはそれは激昂していたぞ。お前を『殺してやる』と息まいている者もいたな」
「なっ…」
「お前を含めた───横領罪が適用された者たちは、性別や年齢を問わず、ドラテニワの鉱山行きだ。良かったな、共に横領をしてリゼラを虐げた仲間たちが、全員一緒だぞ」
ダズロはそう言って笑った。
バセドの顔は、血の気が引き過ぎて真っ白になっている。
当然だろう。自分を恨んでいる者たちと一緒では、何をされるか判らない上────行き先は、過酷なことで有名な鉱山だ。
「ぉ、お願いです…、どうか───どうか、お許しください、旦那様。これからは心を入れ替えて、奥様や…、リゼラ様にもお仕えします…!ですから、どうか、御慈悲を…!」
虫のいいバセドの懇願に、ダズロの形相が変わった。烈しい怒りで、表情が歪む。
「レミラとリゼラに仕える、だと?療養院に行くレミラと除籍してしまったリゼラに、どう───仕えるつもりだ?」
「ぁ…」
「本当なら────お前ら全員…、リゼラがされた仕打ちをそっくり味わわせ、この剣で首を刎ねてやりたいところだ。だが…、公爵として────お前たちから被った損害を少しでも回収しなければならない。今ここで、この手で…、衝動のまま、お前を斬り捨てられたなら、どんなにいいか────」
絞り出されるように零されたそれが───その言葉が、ダズロの紛れもない本音だと悟ったバセドは、自分に向けられた苛烈な憎悪に、今度こそ言葉を失った。
激しくなった身体の震えに伴い、歯の根が合わないらしく、ガチガチと耳障りな音を響かせる。
「こいつを地下牢へ連れて行け」
ダズロの命を受けて、扉の前に佇んでいた二人の私兵が、跪ているバセドを立ち上がらせた。もう、どうしようもないと判ったのか────バセドは抵抗することなく、私兵に促されるまま踏み出す。
バセドが私兵によって執務室から連れ出されるのを目で追うダズロが、どんな表情をしているのか────セロムの位置からは見えなかった。
◇◇◇
「ようやく、終わったな…」
執務室の扉が完全に閉じると、その怒りを鎮めるためか────ダズロが深い溜息を吐き出した。
「皆───ご苦労だった」
ダズロの労いを受けて、セロムの父デリムが首を横に振る。
「まさか、このようなことになっていると露知らず────旦那様…、いえ先代があれを家令にすると仰ったときに、もっと反対すべきでした。まことに申し訳ございません」
ダズロの父である先代イルノラド公爵は、剣術に長け騎士としては名高い人物だったが────些かお人好しな感が否めなかった。
バセドの弟カイドを代官にする際、声がかからなかったバセドを気遣い、皇都邸の家令に据えたのだそうだ。
バセドがカイドに対して、コンプレックスを抱いていたのは明らかだ。レミラを執拗に無能扱いし、リゼラを見下して虐げたのは────自分より劣ると思える存在を甚振ることで、そのコンプレックスを慰めていたのだろう。
デリムとダズロには口が裂けても言えないが────正直なところ、先代のやり方は間違っていたとセロムは思っている。バセドのこともレミラのことも、安易に家令や息子の嫁に据えるのではなく、ただ支援するに留めておくべきだった。
せめて────バセドとレミラのどちらかだけだったのなら、ここまで悲惨な状況にはならなかっただろう。
女主人がきちんと教育を施された人物だったなら、バセドの目論見は潰えていたはずだし────家令がまともだったなら、レミラの子供たちへの虐待行為は事前に止めることができたはずだ。
「いや、デリムが謝ることではない」
ダズロはデリムに答えてから、デリムの隣に佇む───執事の格好をした青年に視線を移した。
この国ではありふれた茶髪に緑眼をした地味な印象のその青年は、ダズロの視線を受けて、口元にうっすらと笑みを刷いた。
彼こそ、ロウェルダ公爵に紹介され────使用人としてこの邸に潜り込み、たった数日で口を閉ざした使用人たちから実情を聞き出し、摘発すべき者たちを炙り出してくれた立役者だった。
家令が不在のこの邸を取り仕切ってくれていたのも、彼だ。
「ご苦労だった。本当に、よくやってくれた。感謝する」
「いえ。それでは────これで、私はお役御免ということで?」
「ああ。お前が埋めてくれていた穴は、この───デリムが引き受ける」
デリムとセニアは、新たな家令や執事、侍女長が機能するまで留まってくれることになっている。
「この邸を辞する前に、ひとつお訊ねしてもよろしいでしょうか───公爵閣下」
「何だ?」
「ファミラ公女はどうなさるおつもりで?」
「……ファミラは、公爵家から籍を外し、ファミラの乳母を務めてくれた者に預けるつもりだ。彼女は、現在、公爵領にある小さな村に息子一家と住んでいる。その近くに住まわせ────ファミラには自分で出来ることはやらせて、どうしても無理なことだけを手助けしてもらうようお願いしてある。乳母たちへの謝礼やファミラの生活費は、俺の個人資産から出す予定だが────贅沢をさせるつもりはない」
ダズロにしては、厳しい処置を下したものだと思う。
しかし、このままファミラを公女でいさせていても、本人のためにならない。
社交界では悪評が広まっている上に、身体を欠損したとなると、もはや王侯貴族に嫁ぐことは不可能だし────公爵家で手厚く介護するにしても、ダズロがいなくなった後はファルロが抱え込むことになる。
ファルロは、ファミラに危機が迫っていることを案じてはいたが────冒険者ギルドでのリゼラを心配する姿と比べると、あれは、ファミラが血の繋がった妹だからという───ただの義務感でしかなかったように思える。
それに、ファルロは、レミラから自分だけ逃れたことに罪悪感を持っているみたいなのだ。
ファミラに家族として純粋な情があるのならともかく────罪悪感と義務感だけでは、いくら妹とはいえ、人一人の一生を抱え込むのは大きな負担となる。
ダズロにとって、ファルロは大事な息子だ。ファミラを放っておけないとしても、ファルロに負担をかけるのは望むところではない。
けれど────ファミラを外に出すことにした最大の理由は、別にあった。それは、ファミラの性根だ。
ファミラは、両手を失ったことに加えて、様々な事実が露呈したことで、激しく落ち込んでいた。
ファミラがリゼラを虐げていたことに思うところはあったものの、それはレミラが仕向けたことであったし────これまで交流を持たなかったために、是正できなかったことを悔いているダズロは、ファミラを放っておけずに何度も足を運んで見舞った。
暗い表情でぽつりぽつりと語るファミラの姿を見て、ダズロもセロムも、ファミラが真実を知って反省しているものと考えていた。
だが、よくよくファミラの話を聴いてみれば────自分がレミラに愛されていなかったこと、自分がレミラの語るような偉大な存在ではなかったこと、リゼラではなく自分に非があったこと、このままでは結婚もできず兄にも妹にも頼れないことを、ひたすら嘆いているばかりで────そこに反省など、微塵も感じられなかった。
特にリゼラに関しては、自分の方が根も葉もない嘘をばら撒いた加害者だったことにショックを受けているだけで────罪もないリゼラを虐げたことに後悔している様子もなければ、リゼラが自分たちのせいで社交界で疎外される立場になってしまったことに罪悪感を抱いている様子もなかった。
当然、リゼラに謝罪することなど考えもつかないようだった。
そして、極めつけは────心配してくれるダズロのことを、レミラに代わって自分を甘やかしてくれる存在だと認識してしまったことだ。
ダズロが庇護してくれるものと思い込んでいるファミラが、何の反省も償いもせず、これまで通りに公爵家で贅沢な暮らしをするつもりでいるのは、その態度や言葉の端々から明らかで────ダズロは、ファミラを甘やかさないことに決めたのだった。
「ファミラは二度と社交界には出さない────そう、殿下にお伝えしてくれ」
この青年が、ロウェルダ公爵ではなく、ルガレド皇子の命で動いていることを、ダズロも気づいていたらしい。
「かしこまりました」
青年は、さして動じることなく応えた。
「世話になったな。お前のおかげで、リゼラに会う前に片を付けることができた。本当に────感謝している」
ダズロが重ねて礼を言うと、青年は流れるような動きで腰を折った。
「我が主の安寧のためならば、お安いご用というものです」
青年は恭しく言葉を返してから、何故か自分の左腕をちらりと一瞥して────再び頭を下げた。
「それでは、私はこれで」
「ああ。殿下によろしく伝えてくれ。それから────リゼラのことを…、どうかよろしく頼む」
青年が頭を上げて、ダズロを見据える。その双眸は、どこか冷ややかな感じがした。
「言われるまでもなく」
そう言い置いて────踵を返した青年は、扉から出て行った。