表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
195/214

第二十八章―邂逅の果て―#11


※※※



「旦那様───バセドに随行させていた者が戻りました。間もなく、バセドもこの邸へと到着するとのことです」


 夕食を終えたダズロのために、セロムが食後のお茶を淹れていると、まだ年若い執事がダイニングルームへやって来て、そう告げた。


 テーブルについているのは、このイルノラド公爵家の当主であるダズロだけだ。ダズロの妻であるレミラと娘のファミラはいない。


 ファミラは両腕を失くす大ケガを負って未だ入院中で────レミラは、ファミラの大ケガが切っ掛けとなって精神に異常を来たしたため、自室に軟禁状態だ。


「そうか。それでは────邸に到着次第、バセドを拘束して俺の許へ連れて来てくれ」

「かしこまりました」


 執事は恭しく頭を下げ、ダイニングルームを出て行った。


「バセドに関しては、この一両日中で決着がつけられそうだな…」

「そうですね」


 溜息混じりに呟いたダズロに返答して、お茶の入ったカップをダズロの前に置きながら────内心、セロムは安堵していた。


 ロウェルダ公爵の計らいで、ダズロはスタンピード殲滅戦の慰労パーティーの後でリゼラと面会させてもらえることになっている。


 それまでには、何としても事情を(つまび)らかにして、立て直す目途だけでもつけておきたかった。特に、レミラとファミラ───それに家令のバセドの処遇は、真っ先に明確にしておくべき事柄だ。


 新年度までに、この十数年に渡るイルノラド公爵家の実情を洗いざらい調べ上げるのは困難に思われたが────ロウェルダ公爵の協力を得られたおかげで、この短期間でほぼ明らかになった。


 そして────その実情に、ダズロとセロムは愕然とするしかなかった。邸を空けていることが多かったとはいえ、気づくことのできなかった自分たちにもだ。


「今夜は長くなるな」


 そう零すダズロの双眸には、隠しきれないバセドへの烈しい怒りが滲んでいた。



◇◇◇



 邸に到着したバセドが、後ろ手に縛られた状態で、イルノラド公爵家の私兵に引っ立てられるようにして、ダズロとセロムの許に連れて来られたのは────ダズロが食後のお茶を飲み干し、執務室へ移動してからだった。


「だ───旦那様、これは一体なんの真似ですか…!?」


 焦りと恐怖───それに、怒りが入り混じったような表情で、バセドが叫ぶ。


「旦那様の命令で僻地にある“療養院”へと出向いて、ようやく戻った私に、こんな───こんな仕打ちをするなんて、あんまりではないですか…!!」



 “療養院”とは────元は“修道院”という聖職者が修行をする施設だったが、教会の衰退に伴い、修道院で修行する習慣自体が廃れ────廃墟と化したところを国が買い取って、今は貴人の療養施設となっている。


 収容されるのは、親兄弟が矯正を諦めるほどの気性の持ち主か────あるいは、精神に異常を来たした者だ。


 ここに送られた者が生還することは、ほとんどない。

 念のために一定期間、治療や矯正を試みるものの────それを過ぎれば、“処置なし”として安楽死を与えられる。


 道を誤った、あるいは扱いに困る貴族子弟を始末するための────いわゆる“公然の秘密”だ。



 ダズロは、悩んだ末────レミラをこの施設へと送ることを決めた。


 レミラに異状が見られるようになって、まだ2週間程しか経っていない。


 (はた)から見れば結論を出すには早いと思われるかもしれないが、今のイルノラド公爵家に、回復する確証のないレミラを抱える余裕はなく、新年度が始まるまでに収めるには、すぐにでも決断しなければならなかった。


 レミラは、事あるごとにファミラの失態はリゼラの陰謀によるものだと騒ぎ立て、その妄想に留まらず、筋の通らない支離滅裂な妄言を喚き散らし、時には暴れることもあって────もはや世話をするだけでも一苦労な状態だ。


 その言動から察するに────レミラは、ファミラに自分自身を、リゼラに自分の妹であるアミラを重ね合わせているようだった。いや、同一視していると言っても過言ではない。


 施療院の職員によると────レミラは、ファミラに『リゼラに嵌められた』と明言するよう執拗に迫る中で、『貴女は本当は有能なのに』と繰り返し言っていたという。


 もしかしたら、それは、自分を無能だと決めつけていた家族に言いたかった───あるいは誰かに言って欲しかった反駁(はんばく)なのではないかと、セロムは思っている。



 レミラの生家───バララニ伯爵家は、レミラがダズロに嫁いだ後に没落している。レミラの妹アミラと反目していた令嬢が、生家の権力を使って潰したとの噂だ。


 一家離散して、レミラの両親もアミラも現在は行方知れずとなっていた。


 両親と妹の零落を知らされただけでは、レミラの心に刻まれた傷が癒えるには足りなかったのだろう。


 “姉”であるファミラが成功し、“妹”であるリゼラが零落(おちこぼ)れる────そんな状況に、現実では成しえなかった妹との立場の逆転をなぞらえることで、燻る両親と妹への憤りを宥めていたのではないかと思う。


 初めのうちは、ダズロもセロムも、リゼラに虐げられていた頃の自分を重ね合わせているのだと考えていた。だからこそ、妹を羨んでいた自分のように、リゼラもファミラを羨んでいると思い込んでいるのだろう───と。


 ある意味では、その見解は間違っていないが────完全に見誤っていたのは、レミラとファミラの関係性だ。


 レミラは、ファミラのことを三人の子供たちの中で唯一可愛がっていると認識していたので────まさか、親衛騎士を全うできなかったからといって、大ケガを負ったファミラに付き添うどころか、心配すらしないとは思わなかった。


 せめて、両腕を失くしたファミラの行く末を案じる素振りを僅かでも見せてくれたなら────ダズロは、療養院に送るという道は選ばずに、別の方法を模索したはずだ。


 妄想に囚われてしまったレミラには、自分が子供たちの人生を大きく歪ませてしまった自覚もなければ、罪悪感もない。


 不遇な半生については本人のせいではないとしても────この公爵家での行いにおいては、子供たちことを愛していたのなら踏み止まることだってできたはずなのだ。


 回復する確証がないだけでなく、回復したとしても子供たちにまた害をなす可能性がある以上────罪悪感に苛まれることになろうとも、レミラを生かしておくべきではない。


 生かしておけば、ファルロの代にも影響を及ぼしかねない。


 これは、夫であるダズロが果たすべき責任であり────現公爵であるダズロが背負うべき非義だ。


 生かすことを選んでもらえなかった────この事実こそが、ファルロを蔑ろにし、ファミラに道を誤らせ、リゼラを虐げさせたレミラに対する罰であり────レミラを切り捨てることへの罪悪感を抱き続けることこそが、是正できなかったダズロに科せられた罰なのだろう。



「長年、忠実に仕えてきた私に対するこの仕打ち────いくら何でも、酷過ぎる!!とにかく、早く腕を解いてください!!」


 バセドの汚い喚き声で、セロムは目の前で屈み込む男に意識を戻した。


 セロムだけでなく────ダズロも、バセドの逃げ道を断つように扉の前に佇む私兵も、部屋の隅に控える二人の男も、冷ややかな眼でバセドを見下ろす。


「お前が、忠実だと?────笑わせる」


 ダズロがそう吐き捨てると、屈辱に感じたのか、バセドの顔が一瞬で赤くなった。


「それでは────これは、どういうことだ?」


 ダズロが身体を寄せ、背後の執務机を示す。机の上には、布製の袋が載っていた。


 その袋は、鮮やかに染められた生地が見るからに触り心地の良さそうな高級なもので────底はあるが蓋がなく、編み紐で上部を縛ることで閉じている。


 中には硬貨が入っているらしいことが見て取れるが、袋の下方を満たす程度だ。見た感じでは、袋の半分も入っていない。


 それが何か気づいたバセドが、呆然と呟く。


「そんな────どうして…?」


 この鮮やかな色合いの高級感ある袋は、ダズロがバセドに預けたものだった。


「それは、こちらが訊きたい。この中には金貨を300枚入れておいたはずだ。何故────100枚しか入っていない?」


 ダズロは袋を持ち上げ、バセドを睨む。


 療養院を頼るには、多額の“寄付金”を寄贈するのが暗黙の習わしだ。


 レミラを療養院に入れるにあたって、伺いを立てる封書と共に、金貨300枚を“寄付金”としてバセドに持たせ送り出したのだが────


「し───知りませんよ、そんなの。私が療養院の院長に渡したときには、ちゃんと300枚入っていました。院長が着服したんじゃないんですか?そもそも、どうして院長に渡したはずの金貨がここにあるんです?」


 バセドは太々しく答えると、表情を歪めた。


 騙された───あるいは嵌められたという被害者意識が、バセドを強気にさせているようだ。


「院長が着服するなど、ありえない。お前に持たせた封書に───寄付金の入った袋は開けずに、後から来る正規の使者に渡すよう書き記しておいたからな」

「正規の使者…?では───私は…」


「紹介しよう───彼が正規に遣わした使者だ。…とはいえ、お前も知らない仲ではないはずだ。尤も、療養院で擦れ違っても気づかなかったらしいな」


 ダズロの言葉を受けて、部屋の隅で控えていた男の一人が進み出る。


「久しいな、バセド。書簡で遣り取りはしているが、会うのは十数年ぶりになるか。我らが主家に対して、随分と…、ふざけた真似をしてくれたようだな?」


 老齢のその男は、聴いている者を芯から凍らせそうな声音でバセドに言葉をかける。


 先代イルノラド公爵の側近をしていた───先代ノラディス子爵、つまりはセロムの実父だ。先代イルノラド公爵が亡くなって側近の任を解かれた後は、セロムの妻と共にノラディス子爵領を治めてくれていたが、公爵家の現状を知って、領地をセロムの妻に任せて上京したのだ。


 セロムの父───デリムの怒気に少しだけ怯んだものの、それでも自分に分があると思っているのか、バセドはダズロを見上げて非難する。


「これは、どういうことです!?私を信用していなかったということですか…!?」

「当然だ。お前など、信用できるはずもない」

「なっ…」


「レミラに帳簿の管理をさせず、公爵家の資産を(ほしいまま)にして────リゼラに充てられていた予算を横領するような奴の何処を信用しろと言うんだ」

「ほ、恣にしてなど────帳簿の件は、奥様が帳簿をつけることができないから、仕方なく私がしていただけで…」

「レミラが帳簿をつけられないとしたら、それはお前の責任ではないか。父から、帳簿のつけ方や邸の管理の仕方などの指導を任されていたのだろう?」

「わ、私はちゃんと教えた!奥様の覚えがあまりにも悪いから、親切心から私が代行していただけだ…!!」

「覚えが悪い────事あるごとにレミラにそう言って、何もさせなかったと聴いている。父が亡くなってからは、お前が作った書類に、ただ“公爵夫人の印章”だけ押印させて────この邸のすべての実権を握っていたらしいな…?」


 ダズロの語尾が怒りのあまり、震える。


 おそらくは────バセドのこの扱いが、両親と妹からかけられたレミラの呪縛をより強固にさせてしまった。バセドの対応が違ったら────レミラが公爵夫人として尊重されていたら、結末は違ったかもしれない。


「だから、何です!?私は家令として、不出来な奥様をフォローしていただけだ!!旦那様は、ただ単に、ご自分の妻と娘たちが仕出かした責任を私のせいにしたいだけではないですか!!」


「喚き散らして、ごまかそうとしても無駄だ。お前が家令の職権を乱用していたことも、リゼラの予算だけでなく、公爵家の資産を横領していたことも、すでに明らかになっている。そして────療養院に寄贈するはずだった寄付金を横領したこともな」

「う、嘘だ、私は横領なんてしていない!!証拠もないのに出鱈目を言わないでください…!!それに、寄付金のことだって───私を騙して療養院に行かせたのだから、罪に問われるのはおかしいでしょう…!?」

「お前が、金貨200枚もの大金を横領したのは事実だろう?そもそも、お前が横領などせずに寄付金をそのまま院長に渡すようだったら、デリムは院長と面会することなく戻る予定だった」


 ダズロの怒りに塗れた表情に、呆れが混じる。


「それから────お前が横領していた証拠は、きちんと確保している。不在だったおかげで、隈なく調べることができたんでな」

「…!!」


 目に見えて、バセドの顔から血の気が引いた。


 療養院の件は、バセドに寄付金をわざと横領させるために仕組んだのではなく────バセドを邸から離すのが目的だった。


 ただ、バセドが寄付金を横領することは容易に予想できたので、予防線としてデリムを派遣したというのが真相だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ