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第二十七章―双剣―#3


 私が左手に携えた太刀を、鞘を走らせて振り抜くと───相対するオーガは、盾にするつもりか、咄嗟にその手に持つ戦斧を掲げた。


 太刀は分厚い斧頭ごとオーガの皮膚を斬り裂いたが浅く、致命傷には至らなかった。私はすぐさま手首を返して、無防備となった首を刎ねる。


「【疾風刃(ゲイル・ブレイド)】!」


 斬った後の隙を狙うように襲い掛かって来たオーガのうち、1頭を風の刃で討ち倒しつつ───太刀とその鞘を抜身の対の小太刀に替えて、左方向から繰り出された槍の穂先を左の小太刀で斬り捨て、右方向から繰り出された剣の切っ先を右の小太刀の峰で逸らす。


 ジグが、左のオーガの額に短剣を───右のオーガの首元に【疾風刃(ゲイル・ブレイド)】を放つ。


 2頭のオーガが倒れるところを見届けることなく、私は別のオーガへと斬りかかる。


「【重力(グラビティ・)操作(オペレーション)】!」


 新たな一団が近づいて来たのが目の端に映り、私はその一団に重力を科す。


 ちょうど対峙していたオーガを両手の剣で斬り伏せたアーシャが、膝をついたオーガたちに向かっていく。



 ディンド卿、ヴァルトさん、ハルドの三人は、一つの集団を相手にしている。


 敵の数が多く、ディンド卿とヴァルトさんは、まだまだ未熟なハルドに気をとられ、少々手間取っているように見えた。


 援護のため魔術を発動しようとしたところ、セレナさんが氷刃を放った。しかし、魔力が大分減ってきているのか、降り注ぐ氷刃は(まば)らだ。


「【氷刃】」


 私はセレナさんの氷刃に足すように、重ねて氷刃を降らせる。



≪ノルン、セレナさんの魔力残量はどれくらい?≫

≪はい、(マスター)リゼラ───配下(アンダラー)セレナの魔力は、先程と同じ規模の魔術をあと1回発動できるくらいしか残っていません≫


 セレナさんは、今、自分の魔力を使っている。【魂魄の位階】が上がって魔力量がSSクラスに迫るくらいには増えたものの───戦闘が始まってから魔術を連発し続けて、かなり消費している。


 セレナさんの魔力が尽きる前に、レド様の魔力に切り替えた方がいいだろう。


 今回、レド様は攻性魔術は行使しない方針だ。


 “精霊王”であるアルデルファルムと主従の契りを交わしたことにより、レド様はそこらを漂う精霊や亜精霊まで無意識下で従わせてしまうらしく───元来の魔力量が多いこともあって、攻性魔術を施行しようとすると通常よりも規模が大きくなり、ノルンのサポートがなくては制御不能に陥ってしまうのだ。


 そのため、今回はレド様は攻性魔術の行使は控えることにして、アーシャとハルド以外の仲間たちの魔力はレド様が提供することになっている。


≪レド様、セレナさんの魔力残量が尽きかけています。切り替えてもよろしいですか?≫

≪解った。───セレナ、【魔力炉(マナ・リアクター)】を俺のものに繋げる≫

≪はい、お願いします…!≫

≪ノルン、頼む≫

≪はい、(マスター)ルガレド!≫


 レド様たちの遣り取りを聴きながら───対の小太刀を抜身の大太刀へと替えて、剣を振り被ったオーガの首を、その振り上げた両の二の腕諸共、横薙ぎに斬り裂く。


 続けて、大太刀を太刀に替えて、別のオーガの首を刎ねたとき────ヴァルトさんの切羽詰まった声が響いた。


「ハルド!」


 振り返ると、ハルドがオーガによって右腕に剣を叩き込まれて、ショートソードを落としたところだった。


 オーガの剣は魔玄製の装備に阻まれてハルドの腕を斬り裂くことはできなかったが、骨を砕いたようだ。


「【疾風刃(ゲイル・ブレイド)】!!」


 ハルドにとどめを刺そうと振り下ろされた両手剣に向かって、私は威力を抑えた風刃を放った。風刃は両手剣を弾き、剣の持ち手であるオーガがその衝撃で仰向けに倒れる。


「【重力(グラビティ・)操作(オペレーション)】!」


 間髪入れずに、倒れたままのオーガとハルドに襲い掛かろうとしている別のオーガを、それぞれ重力で押さえ込む。


「ハルド、離脱しなさい!」

「くっ…、申し訳ありません」


 私が叫ぶと、ハルドは悔し気に顔を歪めて、腕時計に施された【往還】を発動させた。魔術式が足元に展開して、ハルドの姿が掻き消える。


 重力を科せられて地に伏せた2頭のオーガに氷刃を放ちながら、私はセレナさんに【念話(テレパス)】を入れた。


≪セレナさん、ハルドが抜けた分、ディンド卿とヴァルトさんの援護をお願い!≫

≪はい…!≫


 迫り来るオーガに太刀を振るいつつ、他の仲間たちを窺う。


 戦い始めて、結構、時間が経っている。


 敵は個体としては大したことはないが、とかく数が多い。

 コボルトは36頭、オークは134頭、オーガは108頭まで減った。合わせて、350頭近く討伐したことになる。


 普通の人間であるアーシャとハルドは、【魔力循環】で身体能力を強化していたとしても、疲労で動きが鈍ってきてもおかしくはない頃合いだ。


≪リゼ、ディンド───まだオーガの変異種と魔獣は残っているが、魔物は大分減った。挟撃を開始させようと思うが、どうだ?≫


 同じように状況を見ていたらしいレド様から【念話(テレパス)】が入る。


 私は太刀でオーガの首を落としながらも、ネロの【索敵】で得た情報を再度、確認する。


 オーガもオークも殲滅が不可能ではない数まで減らせた。

 それに───魔物だけでなく、魔獣やオーガの変異種も私たちを囲っている状態だ。今なら、どちらの方向からも背後を()ける。


≪いいと思います≫

≪よろしいかと思います≫


 ディンド卿も【索敵】の情報を共有している。私に次いで、賛成した。


≪セレナ、信号を発信してくれ≫


 信号を送る魔道具は、セレナさんに預けてある。


≪かしこまりました≫


 セレナさんから、了承の【念話(テレパス)】が返ってきた。レド様は、続いて仲間たちへと【念話(テレパス)】で通達する。


≪これより、冒険者や騎士たちとの共闘を開始する≫


 ここからは、なるべく人目も意識していかなければ────私は気を引き締め直して、眼前のオーガに向かって太刀を振るった。



※※※



 主や仲間たちが戦場へと向かい、エントランスホールには、カデア、ラナ、ノルン───そして、エデルが待機していた。


 エントランスホールの中央に立つノルンは、淡い光を身に纏い、隔たれた場所に意識を馳せているためか、瞼を閉じている。


 カデアとラナはノルンを護るように、その傍らに佇んでいた。少し距離を置いて───執事然としたエデルが控える。



 どことなく緊張感が漂う中────それに一番最初に気づいたのは、精霊獣のローリィだった。


「……誰かが来ました」


 カデアの肩に乗ったローリィが、誰にともなく告げる。


 ノルンも察したようで瞼を開け───カデアも、邸の外に異様な気配を感じ取る。


「報告はあった?」

「いいえ。突然現れました」


 【転移港(ポータル)】の監視は、万が一魔物と戦闘せざるを得ない場合も視野に入れ、狼型と豹型の精霊獣が担っている。


 ラムルの下につけられていた栗鼠型やネズミ型の精霊獣は、カデアが預かっていた。


 皇城内の主要個所にて見張りをしてもらっているのだが────この訪問者たちがどの地点も通過した様子がないということは、正規の使者などではないことは明らかだ。


 いずれにしろ、こんな時刻の訪問者など、不穏でしかない。


「玄関ポーチ前の映像を投影します」


 ノルンが告げ、玄関ポーチ前の様子が映し出される。


 映っているのは────邸を囲う、物々しい雰囲気を醸す輩。皆一様に、夜闇に溶け込みそうな昏い色合いの装束に身を包んでいる。


 その立ち姿に────カデアは、見覚えがあった。


「…カデアさん?」


 底冷えしそうな眼差しで映像を見るカデアに気づいたラナが、躊躇いがちに声をかける。


「坊ちゃまの予感が当たったようね。────ラナ、ノルンの護衛を任せます」

「…はい」


 ラナは緊張した面持ちで、応える。


「ローリィ、貴女はラナと共にいて」

「解りました」


「お邸の中へは、おいそれと侵入できないとは思うけど───ラナ、私が外に出たら、【聖域】を発動させなさい」

「解りました」


 ラナの固有能力───【聖域】は、リゼラが施す固定魔法【結界】と同様の能力で、物理、魔術問わず───どんな攻撃をも防ぎ、“禍”すら通さないとのことだ。ただ───相応に魔力を必要とし、展開できる範囲もそれほど広くないらしい。


 頷くラナから、エデルへと視線を移す。エデルに後を任せようとカデアが口を開くより先に、エデルが言葉を発する。


「私も参ります」


 うっすらと笑みを浮かべてそう言うエデルに、カデアは僅かに眼を見開いた。


 エデルは武具を持つようになって、まだ1週間と経っていない。


 確かに、俳優をしているせいなのか、すぐに立ち回りが可能なほど身体が出来ているし、間合いの取り方なども身についている。

 武具の扱いさえ覚えれば、即戦力となることは間違いない。


 だが────今回の相手は手練れの暗殺者だ。初の実戦の相手には、相応しくない。


「大丈夫です、足を引っ張るような真似はしません。私は、これでも────戦えなくとも、幾度となく危機を潜り抜けてきた経験があります」


 カデアの心中を察したのだろう。エデルが言葉を継ぐ。


「貴女の実戦での動きを間近で見られるいい機会ですし────何より、リゼさんの傍にいるために、私が戦えることを示さねば。自分の身を護る術を身につけること────それが、殿下に出された条件ですから」


 リゼラの傍にいたいというエデルの願いを初めて知ったラナが、驚きに眼を瞠る。


 カデアは、エデルの事情についてラムルからすべて聴かされていた。


 まだ数日の付き合いでしかないが、エデルが出来もしないことを押し通すようなことをするとは思えない。


 それに、これ以上、迷っている時間はなかった。


「いいでしょう。だけど────今度こそ、危なくなったら【往還】で離脱すること。いいわね?」

「解りました」



◇◇◇



 両開きの玄関扉を人一人通れるだけ開けて、エデルがするりと通り抜ける。カデアは気配を消して、続いて通り抜けると、扉を静かに閉じた。


 カデアの前に立つエデルが、招かれざる訪問者たちに向かって問いかける。


「このような時刻に────当邸に、どういった御用でしょうか?」


 暗殺者に囲まれているという状況にも関わらず、エデルに動じている様子は微塵もない。だからといって、殺気や敵意も感じられない。


 醸す気配は荒事になど関わったことのない素人のそれなのに────この事態にあって、愛想よく笑みを浮かべるエデルは、ともすれば不気味に思えた。


 訪問者たちは、邸の前に、半円形を成して並んでいる。その数────20人ほど。


≪ノルン、ローリィ───邸を囲っているのは、ここにいる者で全部?≫


 潜んでいる気配は感じられなかったが、念のため、確認する。


≪はい。配下(アンダラー)カデアの目の前にいる22人で、すべてです≫

≪他に気配はありません≫


 暗殺者が、わざと殺気を放って、正面から全員で攻め込む────暗殺対象に恐怖を抱かせるためのやり方だ。


 そうするよう命じられているのだろう。この悪意に満ちたやり方───タイミングから見ても、差し向けたのはビゲラブナの可能性が高い。


 緊急会議でルガレドにやり込められたことを恨んでいるに違いない。


(それにしても────舐められたものね…)


 このやり方は、彼我の力量差がある場合でしか通用しない。


 それを────たった22人で仕掛けるとは。それだけ、こちらを見縊(みくび)っているということだ。


 17年前の───ルガレドの左眼が抉られ、セアラの命が奪われたあの襲撃では、100人以上が投入されていたというのに。


 心の奥底に沈み込んだ────決して消えることのない、大事な主たちを傷つけ奪った者どもへの憎しみ。それは、護りきることができなかった悔いと相()って────カデアに固い決意を築き上げる。


(奴らの好きになどさせない。セアラお嬢様の分まで…、今度こそ────坊ちゃまを護ってみせる)


 暗殺者たちはエデルの問いには応えず────まずは、前方に並ぶ者たちが音もなく動き出した。


 エデルに向かって、幾本ものナイフが放たれる。


 カデアがエデルを囲うように【防衛(プロテクション)】で壁を作り上げると、阻まれたナイフが次々と地面に落ちていく。


 それが地に着く前に────カデアは取り寄せた抜身のナイフを両手に握って、エデルの側を通り抜けて前に躍り出た。


 瞬く間に一人の暗殺者に詰め寄って、右手に握ったナイフを胸へと突き立てる。細身で薄刃のナイフは、魔物の鞣し革で造られた装備を容易く貫いただけでなく、肋骨の隙間から心臓を刺し貫き────暗殺者の身体が崩れ落ちる。


 カデアという脅威を認識した暗殺者たちは、先に排除することにしたようで、エデルからカデアに目標を変えた。


 【防衛(プロテクション)】を瞬間的に発動させて降り注ぐナイフを───逆手に持つ左手のナイフで繰り出された短剣を受け止めながら、右手のナイフで別の暗殺者の心臓を貫いた。すぐさま引き抜いて、短剣を突き出している暗殺者の胸を衝く。


 磨き上げられた従来の身体能力を【魔力循環】で常時底上げしている上に、【身体強化(フィジカル・ブースト)】によって唐突に跳躍するカデアの動きに────手練れであるはずの暗殺者たちは、まるでついていけない。

 ろくに抵抗できずに、カデアのナイフに命を散らしていった。



 カデアの気を逸らすためか、暗殺者が3人ほどエデルの許へと向かう。


 カデアがエデルに視線を走らせると、一瞬エデルと眼が合った。襲撃者に視線を戻したエデルは、両手に持つナイフをそれぞれ構えた。


 それは、リゼラより与えられ───執事服に忍ばせていた、細身で薄刃のナイフだ。そう、カデアが今まさに振るっているナイフと同じもの。


 それを確認したカデアは、エデルに任せることにした。勿論、敵の数を減らしつつも、エデルから意識を離さない。


 エデルを狙う暗殺者たちがナイフを投げるために腕を振り上げたとき────エデルは、器用にも、ナイフを握ったまま腕時計のつまみを押した。


 腕時計から迸った光がエデルを覆う。警戒した暗殺者たちの動きが、寸分、鈍る。


(あれは、装備一式を登録する際の反応…)


 光が収束すると同時に、エデルが踏み出す。エデルは右手のナイフを、すぐ側まで迫っていた暗殺者の胸へと突き刺した。


 こうして人を殺めるのは初めてだろうに────まったく躊躇が見られない無駄のない動き。


 エデルは、ナイフを抜き出しながら、飛んできた敵のナイフを逆手に持った左手のナイフで弾く。


 そして、間合いを詰めようと踏み込んだ暗殺者の顔面を狙って、抜き出したナイフを投げつけた。一拍遅れて左手のナイフを、追撃のように投げる。


 エデルが連投したナイフを弾き落とすためにその暗殺者が減速したのを横目に、もう一人の暗殺者がエデルに肉迫する。


 丸腰のエデルは慌てる様子もなく、腕時計のつまみに指先を押し付けた。腕時計から発せられた光がエデルを包む。


 両手にナイフを握った状態に戻ったエデルは、光に虚を衝かれた敵に向かって右手のナイフを繰り出した。


 心臓を刺された暗殺者の身体から力が抜け、両手に握られていた短剣が足元に落ちる。


 エデルは胸からナイフを抜き出した勢いを利用して身体を捻ると、命を失い今にも崩れ落ちつつある暗殺者の腹に回し蹴りを放つ。エデルに蹴られた遺体は、近くにいた残った暗殺者に向かって(なだ)れ込む。


 遺体を避けることに気を取られた暗殺者に、エデルはすかさず両手のナイフを投擲する。2本のナイフは、狙いを違えることなく敵の額を貫いた。


 エデルのナイフを投擲するあの動き────あれは、ラムルとジグが得意とする投剣の技だ。確かに、エデルが参加した数回の鍛練で、ラムルもジグも使ってはいたが─────


(まさか────見ただけで?)


 それだけじゃない。最小限の動きで心臓を一突きするあのやり方は、先程から見せているカデアの動きを真似たとしか思えない。


 だが、それよりも驚いたのは、敵が放ったナイフを弾いたことだ。


 以前よりもかなり速度を増し、手練れの暗殺者でさえついていけないカデアの動きを捉えていたことといい────エデルは格別に眼がいいのだろう。


 それに────腕時計の機能を利用する、あの機転。


 エデルは、まだルガレドとリゼラと【主従の契約】を交わしていない。


 魔術も能力も与えられていないのに、初めての実戦でこれだけの戦果を挙げられるとは────さすが、リゼラが引き寄せた人物だ。


(これは、坊ちゃまに進言しておかなければ…)


 私情に囚われて、エデルを逃してしまうことのないように─────


 そんなことを考えながら、カデアはナイフを対峙する暗殺者の胸に刺し込む。


 気づけば、暗殺者の残りは6人まで減っていた。


 そのうちの一人───先程からさりげなく指示を出しているリーダーと思われる暗殺者だけは、情報を吐かせるために、生け捕りにするつもりだ。


 カデアは、残った敵との位置関係やエデルの動きなど────現況を素早く確認し直してから、頭の中でその手順を組み上げつつ────次の標的に向かってナイフを突き出した。



※※※



 カデアとエデルが出て行き────取り残されたラナは、眼前に映し出された玄関ポーチ前の映像を、不安げに見つめた。


 カデアの指示通り、【聖域】を発動したけれど────侵入される可能性はほぼなくなったというのに、不安が燻っていた。


 傍らのノルンには、動じている様子はない。



 不意に邸を囲う連中が、動き出した。画面の手前で背を向けているエデルとカデアに、暗殺者たちが迫り来る。


 それは、まるで自分が襲われているかのような錯覚を催し────ラナは恐怖を覚える。降り注ぐナイフはカデアの作り出した魔力の壁によって阻まれたものの、身体の奥底から凍っていくような感覚に浸食された。


 どく、どく────と嫌な音を立てて、心臓が高鳴る。


(怖い……)


 画面の奥に向かってカデアが飛び出し、カデアと対峙した暗殺者があっけなく倒れた。


 それは留まることなく、カデアの周辺にいた暗殺者が次々と倒れていく。


 ラナの眼には捉えることができないだけで、カデアが本領を発揮しているに違いない。暗殺者たちは、カデアに対抗することもできていないように思えた。


 だから────大丈夫なはずだ。


(きっと、大丈夫────大丈夫だ…。カデアさんが負けるわけがない……)


 ラナはそう自分に言い聞かせたが────これが扉一枚だけ隔てた所で繰り広げられているのだと思うと、どうしても恐怖は(ぬぐ)えなかった。


 ラナが恐怖を押し止めようと目を瞑ったとき────瞼の向こうで光が迸ったのを感じた。反射的に、瞼を開く。


「!」


 そこには、リゼラと共に戦場にいるはずのハルドがいた。ハルドは、だらりと下げた右腕を左手で押さえ、苦し気に表情を歪ませている。ケガをしたのだと、一目で悟る。


「腕をやられた!治してくれ!」


 ハルドが切羽詰まったように、ラナに向かって叫ぶ。すぐにでも、戦場にいる仲間たちの許へ戻りたいのだろう。


 【治癒】を発動しようとして────ラナは躊躇った。


 今、ラナは固有能力である【聖域】を行使している。リゼラのように能力と神聖術を同時発動できないラナが【治癒】を発動するためには、【聖域】を解除しなければならない。


 【聖域】を解除する────それは、自分たちを護っている防壁を取り払うことに他ならない。


 【聖域】を解いたところで、あの暗殺者たちが、この邸に侵入することが限りなく不可能なことは頭では解っていた。


 だけど────それでも恐怖が勝り、【聖域】を解除することを躊躇ってしまった。


 ハルドは腕をケガしたのだと言っている。見た感じ、他にケガしている様子もない。


 それならば────【治癒】でなくとも、ポーションでも治るのではないか。ポーションで事足りるなら、【聖域】を解除せずとも済む。


 そう提案しようと口を開くが────ふと、つい先日のラギとヴィドの姿が頭を過った。


 ラギとヴィドは、内臓を損傷していた。肌が赤くなってはいたが、それは切り傷などとは違い目に見えるものではなかった。


 内臓の損傷はポーションでは治すことはできず────ラナが【治癒】を施さなければ二人は助からなかった。


(もし────もしも…、ハルドくんも内臓を損傷していたら…?)


 ポーションを与えるだけでは駄目だ。あのときのように、【解析(アナライズ)】できちんと状態を調べた方がいい。


 どちらにしろ────【聖域】を解除するしかない。


「…っ」


 ラナは、今度は恐怖を押し止めるためでなく────()じ伏せるために、眼を閉じる。


 貧民街で生まれ孤児院で育ったラナは────自分には、ぬくぬくと護られている王侯貴族は勿論、そこらの平民より度胸があると思っていた。


 ならず者に絡まれて───あしらったことだって、何度もある。


 それなのに、こんな風に怯んでしまう自分が、心底から情けなかった。


 ラギとヴィドが大ケガを負ったときも、あんな風に取り乱して────自分本位で神に縋りついて、望み通りにいかないと知ったら罵って────本当に情けない。


 リゼラがルガレドを護り支えたいと望むなら手伝いたい────そう言ったセレナ。か弱いお嬢様然とした彼女でさえ、戦場に共に向かった。


 それに、つい数日前に戦う訓練をし始めたばかりのエデルだって────リゼラの傍にいるために、あの暗殺者たちに立ち向かうべく、カデアについて行った。


(しっかりしなさい────リゼを支えると決めたでしょう…!)


 リゼラを傍で支えるために、たとえ危険な場所だろうとついて行く────そう覚悟を決めたはずだ。そう────ルガレドにも宣言したはずだ。


 ラナは、瞼を上げる。そして────【聖域】を解除した。


「ハルドくん────ケガを治療するから、こっちに来て」


 ハルドは頷いて、【転移門(ゲート)】が敷かれた個所から踏み出す。


 ラナは、ハルドのケガの状態を視るべく────【解析(アナライズ)】を発動させた。


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