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第二十五章―過去との決別―#2

※※※



「この道の突き当りが、教会だよ」


 リゼラの所有する孤児院に籍を置く子供の一人───ヴィドが平民街では比較的大きな道を指して、エデルにそう告げた。


「教会まで一緒に行った方がいいか?」


 ヴィドの連れで、同じく孤児院に籍を置く子供───ラギに訊かれ、エデルは首を横に振る。


「ここまでで大丈夫だよ。ありがとう、助かったよ」

「わかった」

「それじゃ、ボクたちは行くね」

「ああ。二人とも無理をしないようにね」


 エデルは、人好きのいい青年を装い、二人の子供たちに声をかける。


「おっさんもな」

「ああ、ありがとう」


 ラギの“おっさん”という言葉に苦笑いを浮かべてみせ、エデルは手を振った。



(さて───と、どうやって教会の中に入り込むか…。とにかく、行ってみるとしよう)


 教会についての前情報は、主であるリゼラよりもらっている。


 エルダニア王国時代バナドル王の治世に建立(こんりゅう)され、戦乱の時代を終わらせたという皇王デノンにより大々的に改修が行われたらしい。


 教会が崇める“守護神ティルメルリエム”を祀ってはあるものの───聖堂には、神を模ったものは一切置かれておらず、皇王デノンのタペストリー、そして、“神託”を受けるための魔術式2基が設えられているだけのようだ。


 教会の広い敷地内には墓地があり、ここに眠るのは、主にこの皇都に住む平民とのこと。


 一族ごとに墓石を建て、そこに葬られるのが一般的だが───孤児や身寄りのない者、そして墓石を建てるような余裕がない者たちは、“無縁墓地”に一緒くたに葬られる。

 この無縁墓地は、皇都の平民の間では“共同墓地”と呼ばれているそうだ。



 エデルは、さりげなく周囲に誰もいないことを確かめると───リゼラから与えられた腕時計の【認識妨害(ジャミング)】の範囲を拡大させてから、きっちり整えていた髪を崩した。


 次いで───シャツの襟元を乱して、裾をスラックスからちょっとだけ引っ張り出す。そして、ジャケットごとシャツの袖を肘下くらいまで捲り上げた。


 それから───道は石畳が敷かれているので、すぐ側の民家に勝手に入り込み、庭の土をスラックスに擦りつけて適度に汚した。


 目元や口元を意識して緩め、両肩を下げて、姿勢も心持ち屈める。


 もし、この瞬間、エデルを見ている者がいたならば────その変わり様に驚愕したに違いない。

 つい一瞬前までは怜悧な青年にしか見えなかったのに、今はもう見る影もない。髪色や眼の色は同じでも、背中を丸めた無気力な中年男といった風情だ。


(無精髭を伸ばすか、顔をいじれたら良かったんだが───今日のところは仕方がない)


 エデルは民家から出て、再び周囲を窺ってから【認識妨害(ジャミング)】を元に戻した。


 教会へ向かって、歩き出す。


 しばらく道を進むと、一軒の民家の庭に人がいるのが見えた。髪を引っ詰めたちょっとキツそうな印象の中年女性で───どうやら庭の手入れをしているらしい。


「あの、すいません」

「ん?何だい、アンタ」

「教会へ行く道って、これで合ってます?」


 ちょっと自信がなそうにエデルが訊くと、その女性は少しだけ警戒を緩めたようだった。


「合ってるよ。この道の突き当りだ。────墓参りかい?」


 この先にある教会に行く者は───貴族なら神託を受けるか参拝、平民なら墓参りと相場が決まっている。


「…ええ。何年かぶりに皇都に来たら、友人が亡くなっていたんですよ。それも───結構前に。それで、墓参りだけでもしてやろうと思いましてね」

「そうかい。…そりゃ、寂しいね」


「オレ、ここの教会は初めてなんですけど───他と違って、お貴族様も来るような教会って聞いてます。いきなり墓参りしたいって言って、入れてくれるんですかね?」

「ああ、そりゃ大丈夫だ。教会の中には入れてくれないけど、墓地には勝手に入れるよ」

「そうですか。それじゃ、行ってみます。ありがとうございました」


「あ、ちょいと待ちな。────ほら、これを持っておいき。お墓に供えてやりなよ」


 そう言って、女性は屈み込んで、黄色い花粉を抱くように咲く白い花を1本────根元に近い位置で茎を手折ると、エデルへと差し出した。


「こりゃ───親切にありがとうございます。きっと…、あいつも喜びます」


 感極まった演技をしながらも、エデルは────ザグレブなら、本当に喜ぶだろうと考えていた。



◇◇◇



 実は───エデルは、この教会へ来るのは初めてではない。


 19年前、ザグレブが亡くなったことが判明した後、一度だけ、当時の同僚と共にザグレブの墓参りをしたことがあるのだ。


 一度見聞きしたことは忘れることのないエデルは、教会の場所も作法も記憶している。


 だから、本当は───ラギとヴィドに案内してもらうまでもなかった。皇城を目指して進み、教会へと続く平民街にしては大きな道に入るだけで良かったのだから。


 だが、エデルはラムルに言われていた。リゼラの采配通りに動け───と。


 ラムル曰く────リゼラは運と縁を引き寄せる性質(たち)らしい。

 確かに、リゼラと共演した当時のことや盗賊団を壊滅したときのことを思い返してみると────思い当たる節があった。


 この時間───この瞬間に教会へ赴くことに、きっと何か意味があるはずだ。そう考えながら、道の突き当りに辿り着いたエデルは、教会を囲う黒い鉄柵の切れ目に設けられた大きな門を潜る。


 初めて来たような態を装い、きょろきょろと周囲を見回していると、ちょうど教会から出て来た若い男と目が合った。


「ちょっと聞きたいんだが…」

「…何だ?」


 男はエデルを胡散臭そうに見て、明らかに面倒だと思っている表情で、横柄に問い返してきた。


 エデルは、その男に見覚えがあった。ゾアブラを護衛していた男たちの一人────皇妃の元専属騎士だという男だ。


 男は、髪を整えずに下ろして平民が着るような安物の服を身に纏ってはいるが、平民を装えていない。


 とういうよりも───その相手を見下す眼差しと声音から、自分の現況を不服に思っており、平民を装うつもりもないことが────ありありと見て取れる。


 男の方は───エデルがあのとき殺し損ねた男であるとは、まったく気づいていないようだ。


「墓参りに来たんだが、勝手に行っていいのかい?それと、無縁墓地はどの辺りにあるんだ?」

「勝手にするといい。無縁墓地の場所は、自分で探せ。そんなことで手を煩わせるな」


 “無縁墓地”と聞いて───男の態度はますます居丈高になった。


「…そうかい。それじゃ、勝手にさせてもらうよ」


 エデルにしてみれば、この男など、生家で見た連中に比べたら可愛らしいものだが────ちょっと不快に感じているような表情を作って、墓地へ向かうべく男から離れた。


 無縁墓地を探している振りをして、辺りを見回しながら歩き回る。墓地には、エデルの他は誰もいない。



 先程の男が熊手を片手に墓地に入ってくるのが目の端に映った。


 男は熊手を構えて、所々に植えられた木々の落ち葉を集め始めた。嫌々やっているのを隠そうとせず、1ヵ所にずいぶん時間をかけている。


 しばらくの間、無縁墓地を探すようにうろつきながら、男をさりげなく観察していたエデルは、この墓地内では大樹に入る太い木の後ろに誰か隠れていることに気づいた。


 いつの間にか現れたその人物は、明らかに、こちらの動向を窺っている。


 エデルは、さも、歩き回っていてやっと探り当てたかのように───無縁墓地に向かう。


 ここへ来る途中で貰った白い花を、自分の背丈ほどもある簡素な石碑の台座に置いた。


 こちらを窺う人物にはエデルの顔は見えないだろうが、それでも沈痛な面持ちを装ってから────祈りを捧げているらしく見えるよう、瞼を閉じて項垂れた。


 少し間を置いて、眼を開けて、ゆっくりと顔を上げる。寂し気だけれど、何処か満足したような表情を浮かべて、エデルは無縁墓地を後にした。


 あちこちに点在する墓石の間を縫うようにして、門の方へとゆったりとした足取りで歩いて行く。


 木の陰に隠れていた人物が、エデルを追って来る気配はない。


 エデルは、木の陰に隠れている人物と、あの皇妃の元専属騎士である男から見えない位置まで来ると───周囲を確認して誰もいないことを確かめ、腕時計に付与されている【認識妨害(ジャミング)】の範囲を拡大させた。


 そして、踵を返して墓地へと戻る。


 案の定───木の陰に隠れていた人物は、墓地に誰もいなくなったと思ったようで、姿を現した。


 それは、エデルの予想通り────ゾアブラを護衛していたもう一人の男だった。


 元専属騎士の男の方に向かって歩いて行く。元専属騎士の男は、近寄って来る人物に気づいたらしく、振り向いた。


「よう、ヒグス」


 木の陰に隠れていた人物は、ヒグスという名のようだ。


「…あまり大きな声で名前を呼ぶな、ペギル」

「誰もいないんだし、大丈夫だろ」


 声を潜めて嗜めるヒグスに対し───ペギルと呼ばれた元専属騎士の男は、別段、声を抑えるでもなく気軽に返す。


「それより───今日の午後、ジェスレムが参拝に来るって聞いたが、一体どういう事態になっているんだ?」


「ゾブルが殺そうとした男を助けた女───あれが、“双剣のリゼラ”と呼ばれるSランカー冒険者で、ルガレド皇子の親衛騎士だということが判明した」

「…あの女が?我が儘で傲慢な────公爵令嬢の?」

「もう除籍されているから、元だけどな。だから、念のため、急ぐことになった。参拝しているところを、魔獣に襲わせる予定だ」


 ヒグスは、感情を抑えたような声音で───淡々と告げる。


「おい───まさか、手引きをオレにさせるつもりじゃないよな?」

「…それは、ゾブルがやる。ゾブルは今、ここ数日休んでいたことを詫びに、司祭のところに行っている」

「ようやく、戻って来たのか。それで?オレはこれでお役御免ということでいいんだよな?」


「いや。全てを見届けてから、騒ぎに乗じてゾブルを連れて撤収するように────と、閣下よりお達しだ」

「はあ?オレがゾブルの奴を連れて逃げなきゃいけないのか?」

「…逃げる際は、俺も手を貸す」

「そんなの当たり前だ。ちっ、何でオレがこんな役目なんだよ。ゾブルの甥となって、教会の雑役をやるとか────どう見ても、オレには合わないだろ。お前がやれば良かったんだ」

「……閣下が決めたことだ」


 “ゾブル”とは、ゾアブラがジェスレム皇子に呼ばれていた名だ。


 リゼラの読み通り、ゾアブラは名前をレーウェンエルダ風に変え、名乗っているらしい。


「聞き込みや見張りをするには、オレは目立ち過ぎるからだって閣下は言っていたが────どう考えても、采配ミスだろ。女相手なら、絶対オレの方がうまく聞き出せるのに」


 ペギルは、自分という存在に、随分、自信があるようだ。確かに、一般的な観点からすれば、女性に好かれそうな容貌をしている。


 エデルはそれに対して別に思うことはなかったが────その後に続けられたペギルの言葉に、一瞬、思考が止まった。


「それに、あの───ルガレド皇子の親衛騎士の女。あの我が儘女のことだって、オレに任せてくれれば、落として───言うことをきかせてみせたのに。あの女────ジェミナのババアと違って、顔と体つきは良かったからな。あれなら、ちょっとくらい性格は悪くても、傍に置いてやってもいい」


(ああ?何言ってんだコイツ────リゼさんを落とす、だと?お前ごときにリゼさんを落とせるわけねぇだろ!何が『傍に置いてやってもいい』だ!そもそも、お前なんぞ、リゼさんは眼中にも入れてねぇよ!)


 エデルは、ペギルに烈しい嫌悪感を覚え────それが怒りという感情だと無自覚なまま、心の中で悪態をついた。


 ペギルの相棒であるはずのヒグスも、その発言には嫌悪を露にしている。


「……それは、どうだろうな。あの娘────俺たちがゾブルの助けに入ったとき、お前の顔を見ても興味を持ったようには思えなかったが」

「あの状況だ。オレのこと、よく見ていなかっただけだろ」


 事実はヒグスの言う通りだったが、ペギルは自分に都合よく解釈して取り合わない。


 せせら笑うペギルを見るに───ヒグスが自分を妬んでいるとでも思っていそうだ。


(ペギル────コイツに同情してやることはねぇな)


 ルガレドもリゼラも、この件の首謀者や協力者には、ジェミナ皇妃とジェスレム皇子の被害者であるために同情的だったが────このペギルという男に関しては、情状酌量する必要はなさそうだ。


 エデルは、先程のペギルの発言を一言一句違えることなく、ルガレドにきっちり報告することに決めた。


(だが───その前に、今日の午後にジェスレム皇子が参拝するということを───奴らがジェスレム皇子を魔獣に襲わせるつもりだということを、リゼさんに報告しなければ。孤児院に戻るのが一番、手っ取り早いか……)


 孤児院にはラナがいる。エデルはリゼラに直接、連絡を取る手段を持っていないので、ラナに伝えてもらうしかない。


 腕時計に施された【往還】で邸に帰ることも考えたが────それでは皇城から出るのが難しくなる。


 エデルは、リゼラに報告を入れた後、教会をもっと調べるつもりだった。


 念のため、ヒグスとペギルの会話を最後まで聴いてから、エデルは孤児院に戻るため、教会を後にした────

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