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第二十一章―ファルリエムの忘れ形見―#1

 早朝────いつもの日課を終えた後で、レド様と私は、姿をくらませたジグとレナスを伴って、ラムルの後について、大通りから外れた寂れた商店街を歩いていた。


 お邸の代わりとなる物件が見つかったと連絡があったので、ベルネオ商会に向かっているのだ。


 レド様にも一緒に来てもらったのは、ベルネオさんと引き合わせるためである。


 空き店舗も目立つ商店街をかなり進んだところに、ひっそりと建つ───古びた2階建ての商館の前で、ラムルは立ち止まった。


 かつては重厚だっただろう朽ちかけた扉を開いて、ラムルはレド様と私に中に入るよう促す。


 入った先はカウンターデスクがあるだけの事務所のような部屋で───そこには、ベルネオさんが佇んでいた。


 ベルネオさんは、レド様を認めると片膝をついて────(こうべ)を垂れた。


「お待ちしておりました、ルガレド様。ご無沙汰しております」


「…お前は────ベネス、か?爺様の侍従だった…?」

「覚えておいででくださいましたか。はい、その通りです」


 俯いていてベルネオさんの表情は見えなかったが、声音に喜色が混じる。


「そうか…。無事だったんだな」


 レド様の声音も嬉しそうだ。


「立ってくれ、べネス」

「ありがとうございます」


 ベルネオさんは、レド様の言葉に従って立ち上がると、私に目を向けた。


「リゼラ様、お久しぶりにございます」

「お久しぶりです、ベルネオさん」


 ベルネオさんの挨拶に応えた私に────レド様の笑みが一転、驚きの表情に取って替わる。


「リゼ?べネスと知り合いなのか?」

「ええ。冒険者として、ベルネオ商会から依頼を受けたことがありまして」

「それは、すごい偶然だな」


 まあ、完全に偶然とは言えない気がするけど…。


「ところで…、べネスは───ベルネオという名なのか?」

「俺───私の母はドルマ連邦出身でして…、べネスをドルマ風に表すとベルネオとなるのです」

「そうなのか。では────俺もベルネオと呼ぶことにした方がいいな」

「そうしていただけると」


「しかし…、驚いたな。お前が商人になっていたとは」

「ええ、自分でも驚いております」


 ベルネオさんは、目線を伏せ────少し寂し気に笑みを浮かべた。


 8年前までは────きっと、ファルリエム辺境伯家に仕える騎士として、一生を終えるつもりだったのだろう。


「ルガレド様────今の私は商人ではありますが…、ファルリエムの騎士としての誓いは変わっておりません。ファルリエムの忘れ形見である貴方様にお仕えすることを────どうか…、お許し願えないでしょうか」


 顔を再び上げたベルネオさんは────決意を籠めた表情で、レド様に願い出た。


「お前のその気持ち─────とても有難く思う。俺に仕えてくれるというのなら、それは願ってもないことだ」


 レド様は、有難いと思う自分の気持ちを───ベルネオさんの決意を噛み締めるように、応える。


「だが…、主従の契りを交わす前に────あちらの部屋に控えている者たちに会わせてもらえるか」


 レド様が部屋の奥に設えられている扉を指して、言う。


 確かに、あの扉の向こうに人の気配がする。いるのは、二人。殺意や敵意は感じられない。


「さすがです、ルガレド様。気づいておられたとは────」


 ベルネオさんが、驚いたというより───嬉しそうな声音で言う。ベルネオさんの言葉が終わらないうちに、件の扉が不意に開いた。


 扉から出てきたのは────真っ白な髪と髭を湛えた老人と言って差し支えない年齢の男性と、まだ成人していないであろう白銀色の巻き毛の少年。


 二人の出で立ちとしては、執事と貴族の令息だ。


 貴族の令息のような格好をしたその人物は、私を見つけると無邪気な笑みを浮かべ、こちらに向かって駆け出した。そのまま、止まることなく私に抱き着く。


 そして、想い人とやっと再会できたかのような───切なげな表情で私を見上げて、言葉を紡ぐ。


「逢いたかったよ…、リゼ」


 その行動の意図を悟って────私は溜息を()いた。


 レド様と姿をくらませているジグとレナスが、一気に剣呑な空気を纏う。


「エル?いい加減にしないと、怒るよ?」

「やだな───逢いたかったのは本当だよ。リゼが逢いに来てくれるのを、僕はずっと待ってたんだから」


 私が声音に怒りを滲ませても、銀髪の少年の格好をした───エルは私の怒りになど怯むことなく、無邪気に応える。


「まったく、もう…」



「リゼ…?そいつは────誰だ…?」


 レド様の声音が、地を這うように低く───冷たい。

 ほら、誤解されてしまった…。


 私はレド様の問いに答えるべく、口を開いた。


「この子は────エルラ。私が知る限りでは、今、巷で人気のウォイド劇団の看板()()です」


 そう、私が知るエルは、共に扉から出てきた年配の男性───ウォイドさん率いる劇団の人気女優だ。


 それが────まさか、ファルリエム辺境伯家所縁の者だとは思ってもみなかった。


 だけど、こうして少年の格好をしていると、レド様より癖の強い銀髪だし、瞳の色も違うけど───レド様と面影が似通っている。


 レド様の弟だと言われたら、普通に納得してしまいそうだ。


 私の答えに、レド様が眼を見開いた。ジグとレナスも、驚愕している気配がする。


 まあ───驚くのも無理はない。


 エルの仕種や言動は、女の子が男装しているなどというレベルではなく、成長期を一つ越え、次の成長期を待つ少年そのものにしか見えない。


 エルは、してやったりと悪戯が成功した男の子のように笑みを零すと、私の腰に巻き付けていた腕を放し───レド様に向き直り、表情を変えた。


 眼差しや口元が微妙に変化しただけなのに────途端に、男装している少女にしか見えなくなる。


「失礼いたしました。お初にお目にかかります、ルガレドお兄様。わたくしの名はティエラ。ディンドが一子にございます」


 コートにズボンという格好にも関わらず、エルのカーテシーは違和感なく優雅な印象を(もたら)す。


 ディンド────確か…、ファルリエム辺境伯の弟の子供───つまり甥で、セアラ様の従弟に当たる。皇妃一派に邪魔をされなければ、ファルリエム伯を継ぐはずだった人物だ。


 その娘ということは────エルはレド様とは血縁的には再従兄妹(はとこ)となる。


「ティエラ…、お前が…。────話には聞いていた。よくぞ───無事でいてくれた」


 爵位継承を皇妃一派に邪魔された際、ディンド卿もティエラ嬢も行方知れずとなっていた。


 レド様にとってエルは、ファルリエム辺境伯家の───それこそ忘れ形見だ。


 しかも、エル───ティエラ嬢は、当時6歳だった。皇妃の浅はかな思い付きで、失われるには幼過ぎる。


 レド様の思いを汲んだエルは、演技ではない────自分の感情を載せた、嬉しそうな笑みを浮かべる。


「ありがとうございます、ルガレドお兄様。わたくしも、お兄様の元気なお姿を拝見できたことを、とても嬉しく思っております」


「それは…、リゼのおかげだ。リゼがいてくれなかったら────きっと再会できたとしても、こんな心穏やかに言葉を交わすことはできなかったはずだ」


 レド様はそう言ってくれるが────何だか…、大げさな気がする。



 そんな風に思っていると、いつの間にか傍に立っていたラムルが、私に囁いた。


「旦那様が仰ったことは、決して誇張ではありませんよ。親衛騎士となったのがリゼラ様でなければ、状況が向上することもなく───ティエラ様ともベルネオとも、何とか会うことができたとしても、心に余裕がない状態のままで────こんな風に歓談することなどできなかったでしょう」


 まあ、確かにジェスレム皇子と諍いを起こしたという子爵令息が親衛騎士となった場合───私のように宰相であるおじ様に融通を利かせてもらうことはできなかっただろうし、あの酷い状況の打開はもっと時間がかかっていたかもしれない。


 でも、それは────私というより、おじ様のおかげではないかなと思ってしまう。


 だけど、レド様もラムルも、親衛騎士となったのが私で良かったのだと思ってくれているようなので────それは素直に嬉しい。


 私は、ラムルのその思いに、笑みを返した。



「ルガレドお兄様、この者をご紹介させていただいても?」


 エルが、ウォイドさんを示して言い出し────レド様が頷く。


「こちらは、お父様の側近だったウォイドですわ。今は、わたくしの護衛兼保護者をしております」


「お初にお目にかかります、ルガレド様。ウォイドと申します。────8年前の件は…、どうか、謝罪させていただきたく────」


「謝罪?」


「私どもが…、ファルリエム辺境伯家を護り抜くことができていれば────ルガレド様が、後ろ盾を失くして────苦境に陥ることなどなかったものを────本当に…、申し訳ございません」


「いや…、悪いのは皇妃一派だ。お前も────よくぞ無事でいてくれた」


 レド様が首を振り、そう労うように言葉をかけると、ウォイドさんは眼を潤ませた。


「勿体なきお言葉でございます。ルガレド様も、あの魔窟のような皇宮にあって、よくぞご無事で────」


 ウォイドさんの言葉が心からのものだと感じ取ったのか────レド様は、嬉しそうに小さく口元を緩めた。



「今後のことを話す前に────ルガレドお兄様、リゼ。馬の件、ありがとう存じます」


 エルがそう言って頭を下げ────レド様と私は、揃って眼を見開く。


「リゼが馬を安く払い下げる予定だった相手というのは────ティエラ嬢だったのか…」

「私としては、ウォイド劇団───ウォイドさん相手のつもりだったんですけどね」


 知らなかった───あるいは気づかなかった情報ばかりで、苦笑が浮かんだ。


「劇団も───ベルネオ商会も、まさかエルが取り仕切っていたなんてね…」

「さすが、リゼ。今の一言だけで、察するなんて」

「察するように言ったんでしょ?」


 劇団の方は、以前から何となくそうではないかという気はしていた。

 ウォイドさんが、ごく偶に、エルが自分よりも上の存在であるかのように振舞うことがあったからだ。


 だけど、ベルネオ商会の方は────これに関しては、完全に初耳の情報だった。


 ただ、初めからベルネオさんが商人であることに違和感を感じていたので、彼らの上下関係を知って察することが出来たに過ぎない。



「ティエラ嬢は────」

「わたくしのことは、どうかエルとお呼びくださいませ、ルガレドお兄様」

「…エルは、もしや────“記憶持ち”か?」


 レド様の問いに、エルはにっこりと満面の笑みを浮かべた。


 さすがは────レド様だ。


 エルの言動や表情は、大人びているという言葉だけでは説明できない───年齢に見合わないものだし、6歳で立場を追われて潜伏していたにも関わらず、マナーや立ち振る舞いが完璧だ。


「正解ですわ、ルガレドお兄様。わたくし────前世は、アデミル=サライフという名のアルドネ王国民でしたのよ」


「アデミル=サライフ……。あの────高名な女商人か?100年近く前に存在した────」


 レド様がその名を知っていたことに、エルは嬉しそうに笑みを零した。


「ええ、そのアデミル=サライフという女商人ですわ。100年前の知識とはいえ、商人としてのノウハウはそれほど変わっておりませんし───わたくしの記憶、そして今世で培った技術は…、必ずや、ルガレドお兄様のお役に立てると愚考致しております。ですから────」


 そこでエルは一度言葉を切って────先程と同じように深々と頭を下げた。エルの斜め後ろに控えていたウォイドさんとベルネオさんも、追随して頭を下げる。


「どうか────わたくしたちを…、ルガレドお兄様の配下に加えてくださいませ」


「ここにいるリゼは、俺の親衛騎士であるだけでなく、いずれ俺の妻となる。リゼにも俺と同様に仕えてもらうことになるが────異論はないか?」


「勿論、異論などございませんわ」

「私も異論はございません」

「俺も異論はありません」


 レド様は、三人の応えに満足げに頷く。


≪ノルン?≫


────三人とも、【契約魔術(コントラクト)】の発動が可能です、(マスター)ルガレド────


 レド様は三人に向き直ると────口を開いた。


「エル、ウォイド、ベルネオ───是非とも、俺たちの仲間となってもらいたい。そして、いざというときは────力を貸して欲しい」

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