アッチョンブリ家の当主
町中で助けた女の屋敷は、思っていたよりも豪邸だった。
元貴族のギルバートが顔を引きつらせながら「ま、まあまあ、ですね」と言うぐらいだから、かなりのものだ。
馬送屋の馬車に揺られながら門から玄関に向かう。
夜中だというのに明々とした建物に圧倒されていると、到着するなり、執事やメイドが何人も飛び出してきて、女を迎え入れた。
「チキ様! 御無事で何より!」
「チキ様! 早速、お着替えを」
彼等がチキチキ言ってるところをみると、この女の名前は「チキ」というらしい。
ラルクが尋ねる。
「そういや、名前を聞いていなかったな。チキっていうのか?」
女は首を竦めて答える。
「本名はチキリータなんだけど、チキって呼ばせているんですの」
結局、チキとはそこで引き離されて、ラルク達は客人用の部屋に案内された。
そして、食べきれない量のごちそう、高価なお酒、贅沢な風呂、マッサージと夜遅くまでアッチョンブリ家の歓待を受けた。
* * *
翌朝早々にメイドが呼びに来た。
「お嬢様がお待ちです」
眠気が抜けないまま、ラルク達はメイドの後をついていく。
廊下だけでも相当に長い。屋内で散歩ができるレベルだ。
ダラダラと歩いて比較的大きな部屋に通される。
中に足を踏み入れると同時に、どやしつけられた。
「遅いわよ!」
そう言って振り返った女を見てラルク達が固まった。
「誰!?」
「ファ、ファッキン!?」
「嘘でしょう?」
頭ではチキだと分かっていても、昨夜のビジュアルとの落差が大きすぎる。
深酒で赤ら顔のファンクが興奮する。
「フ〇ック! クッソ美人じゃねえか!」
「でも、なんか雰囲気が違いますね……」
ギルバートの言う通りだ。
髪をアップにして服を変えただけでこうも違うものか!
もちろん、化粧のせいでもある。
ラルクも動揺する。
「チ、チキ……なのか?」
「当たり前でしょ! まあ、今はドリンクが効いてるんだけどね」
「ドリンク?」と、ラルクが不思議そうに尋ねる。
「そうよ。栄養剤。てか、ハチミツね。ハチミツを飲むと調子良いのよ」
そう言ってチキは小悪魔のように笑った。
「ファッ〇! ドーピングかよ!」
「変われば変わるもんですねえ」
その変身ぶりに若干、引き気味のラルク達をよそに、チキは、やる気に満ちた顔つきで言う。
「お父様のトコに行くわよ!」
チキの勢いに押されてラルク達は訳も分からず、当主に面会することになってしまった。
大広間のような部屋では車いすの老人が待っていた。
老人はラルク達の姿を認めると表情を綻ばせた。
「君達か。娘を助けてくれたのは。すまないね」
ラルクが頭を掻く。
「ええ。まあ、成り行きで……」
老人はチキに向き直って尋ねる。
「チキ。戻ってきたということは、儀式を受け入れる気になったということだな?」
チキは腕組みしながら吐き捨てる。
「やれば良いんでしょ」
「それを聞いて安心した。ワシはもう長くない。お前と長男のボン。どちらを当主にするか、今夜、結論を出せねばならん」
跡目争い? いきなり重い話をされてラルク達が戸惑う。
そこで、太ったチョビ髭の執事が説明する。
「昔からの決まりなのでございます。アッチョンブリ家のお子様方は、『嘆きの井戸』に入って試練を受けなければならないのです」
「嘆きの井戸……それってダンジョンか?」
ラルクの問いに太った執事が大きく頷く。
「さようでございます! 手強いモンスターがウヨウヨしております。その危険な場所を潜り抜けて、最深部にある家宝を持ち帰った方が、次の当主になるのです」
だんだん話が見えてきた。
つまり、次の当主になるために、長男のボンと長女のチキが競争するということだ。
それを今夜、実施しようとしている。
ファンクが顔を顰める。
「ファッキン! まさか、その試練に俺達を巻き込もうってのかYO!?」
太った執事はチョビ髭を撫でながら聞く。
「おや? その為のお連れなのでは?」
ラルクとギルバートが『聞いてないよ』といった風に顔を見合わせる。
そこにチキの鋭い視線が飛ぶ。
断ったら殺されそうな眼力にギルバートが震えあがる。
年老いた当主は言う。
「ようやく、チキがその気になってくれた。仲間を連れてくるなんて初めてのことだ。まことに感謝する」
太った執事はラルク達を値踏みするような目で観察する。
「チキ様の仲間は、そのお二方でよろしいのですな?」
その時、微かに執事のチョビ髭がピクリと動いた。
何か悪だくみをしている人間特有の笑み。ラルクにはそんな風に見えた。
ラルクがファンクに耳打ちする。
「ファンク。出番だ。あの執事を探ってくれ」
「アイアイサー。で、どっちで行けばいい?」
「変身するのか? どっちでもいい。任せる」
成り行きで、当主選びのためのダンジョン挑戦を手伝うことになってしまった。
しかし、人間不信気味のラルクには、太った執事の反応がどうしても気になってしまった。