悪役令嬢と執事さんの会話(一話完結)
「断罪いやー!!!」
鏡を見て突如そう叫んだお嬢様を目にしたときは、驚きで心臓が止まるかと思いました。
「もしや乙女ゲームの」
そう呟いてしまった私の襟をお嬢様がひっつかんで締め上げたときには、今度は比喩ではなくこの世からさよならするはめになるかと思いました。
私はセバスチャン、由緒あるマーラー公爵家に長年仕える執事でございます。
公爵家の一人娘、カレン様の幼少のみぎりよりお世話をさせていただいております。
「ちょっとどういうことよ!せっかく生まれ変わったのに当て馬で悲惨な目に合うとか嫌よ!」
「お、落ちついてくださいませ…」
取り乱すお嬢様に首を締め上げられ揺さぶられながら、なんとか落ちつかせようといたします。
お嬢様は御年17歳、他のご令嬢方より鍛えていらっしゃるため、細腕とは言えない腕力をお持ちなのです。 少々鍛えすぎてしまったため、私が抵抗して揉み合いになると怪我をさせてしまうかもしれないので、迂闊に振りほどけません。
「これが落ちついていられるわけないでしょー!断罪だなんて…断罪だなんて……辺境の修道院で凍死とか、他国の妾にされて一年で捨てられて護衛のヤンデレに監禁エンドとか、市井に落とされて商売始めてみたものの商才なくて近所のおっさんの後妻にされて朝から晩まで馬車馬のように働かされてあげくに浮気されてでもお金のために別れられないとか嫌なのよ…嫌なのよ…ねぇ…」
なかなかハードな結末ですね。
やっと腕の力が緩んだと思ったら、今度は目つきが虚ろで危ないです。
「ふふっ…自害でもすれば温情で家への咎は免れるかしらね…」
今すぐ首をかき切りそうな勢いです。
思い立ったら即実行。
お嬢様のよいところですが、こんな時に発揮されても困ります。
素早く周囲に刃物がないことを確認し、力の抜けたお嬢様をソファへと誘導いたします。
カップに紅茶を注ぎ、そっと手に持たせました。
「お嬢様、よく考えてくださいませ。お嬢様は何か断罪されるようなことをなさったのですか?今生で」
カップに入った紅茶の熱が、お嬢様の手のひらをじんわりと温めてゆきます。
無意識でしょうか、お嬢様はカップを口元へ運び、一口お飲みになりました。紅茶が喉を伝って胃の腑へと落ち、お嬢様を体の中から温めます。
「えっと、そうね。私朝は早起きで…」
少し落ちついたようで、一日の行動から振り返ることにしたようでございます。
「そうですね。朝一の鍛錬は欠かせませんから」
思い出すのをお手伝いするために相槌を打ちます。
「その後家族と朝食をとって…」
「はい、あれだけ動いた後に食べなければ倒れられてしまいます」
お嬢様は結構な量をお召し上がりになりますが、運動量が運動量ですので減量の必要性を感じられたことはないようでございます。世のお嬢様方には羨ましい限りでしょうね。
まあ、お嬢様と同じ量の鍛錬をしたいという方はいらっしゃらないでしょうが。
「平日は学校に行って」
「率直に意見を言い合える、良きご友人方をお持ちでいらっしゃるようで」
少々率直にものを言い過ぎでは?と思うこともございますが、本音で語り合えるご友人をお持ちで、お嬢様の執事として嬉しゅうございます。
「そうね、毎日楽しいわ。カミラもレンも子爵令嬢なのに遠慮がなくて…あれ?あの二人って主人公の親友だったはずじゃ…?」
おや、そうなんですね。
「それに将来有望な騎士になるだろうと噂されているハインツ様と今年は同じ教室だとかで」
お嬢様のお気に入りの彼の名前をあげれば、即座に食いついてきます。
「そう!そうなのよ!私と真剣に剣を交わしてくれる彼は貴重だわ!他の男たちは「女相手に本気出せるか」とか言って逃げるのに。本当は本気でやって女に負けるのが恥ずかしいだけでしょうに、あの鍛錬を怠るクズどもが」
やはり女性の身で強いというのは周囲に認められにくいようです。最後の方、かなり声が低くなっていらっしゃいました。
「お嬢様、お口が悪いですよ」
ここは譲れませんので、軽く窘めておきます。
「あら、失礼」
お嬢様は素直な方なのです。
「しかし愚かなことですね。長年鍛えている公爵家の騎士達でさえ、お嬢様を抑えるのには苦労するというのに」
まったく、毎朝お嬢様のお相手の当番が、どれだけ必死で勝ちをもぎ取っているかご存知ないのでしょうね。最早意地で勝って、お嬢様が練兵場を去った後で地面に屍のごとく転がっているといいますのに。
「師がよかったのよ。未だに勝てる気がしないもの」
「恐れ入ります」
僭越ながら、お嬢様に剣をお教えしたのは私でございます。
執事が護衛も兼ねるのは、この国の習わしでございますから。公爵家の執事ともなれば多少は剣を振れて当然でございます。
お小さいころ少々我儘のすぎるお嬢様に、精神の修行のためにと剣をお教えしたのですが、まさか「筋肉は裏切らない!」と冗談で仰るほどのめり込まれるとは思っておりませんでした。
…冗談ですよね?公爵令嬢殿?
「それでハインツ様とは放課後も親しくされているのでは?」
「ええ、そうね。剣の稽古をしたり、試験の前は一緒に勉強したり、たまに休日に出かけたりしてるわね」
「親密なお相手がいて、爺は嬉しゅうございます」
冗談めかして目頭を押さえてみせます。
「やめてよ、爺って年じゃないでしょ?」
そっちですか。
色恋センサーが鈍いのは、脳筋の常でしょうか。
「それで、女学生達との関係はどうなのですかな?」
「セバス、なんか言い方がいやらしい」
ジト目で唇を尖らせながら軽く睨まれてしまいました。なんでそっちには反応するのでしょう。
誤解ですよと肩をすくめてみせます。険悪な関係の方がいないか確認したいだけです。
「別に普通よ。ランチは色々な方達ととって交流を深めてるし、午前のお茶会とか午後のお茶会とか休日のお茶会とか呼んだり呼ばれたり……お茶会ばっかりで面倒くさいけど社交の一環だもの、それなりに参加してるわよ」
気をとり直してそう仰います。
「ええ、嫌なこともきちんとこなすその姿勢、流石でございます」
と褒めますと
「小さいころ嫌な家庭教師の授業をサボったり、パーティーで他家の子どもの相手をするのを嫌がって逃げたりしてひどい目に遭わされたからね。誰かさんに」
軽く嫌味を込めた口調で責められてしまいましたが、
「真っ当な教育を施してくれる者が近くにいてようございましたね」
ニッコリ笑えば、軽く頰を膨らませて押し黙ってしまわれました。相変わらずお嬢様はお可愛らしいです。
そろそろ核心に入りましょうか。
「それで、何か揉めていらっしゃるお相手など、いらっしゃるのですか?」
「いるわけないじゃない。順風満帆よ!」
胸を張ってそう仰います。
ちなみにお嬢様の胸は大きすぎず、小さすぎず、でございます。鍛錬の邪魔になるほどではなく、落ち込むほど小さくもないと気に入っていらっしゃるご様子で…おっと、話が逸れました。
「では、誰かに嫌がらせしたりなどは」
「するわけないでしょ!馬鹿言わないで。…だいたい誰にすればいいのよ…」
最後の方は小声でしたが、どうやら嫌がらせをしたいと思うような相手もいらっしゃらないご様子です。真っ直ぐ育っていらっしゃって、本当に嬉しゅうございます。
お嬢様のことは信じておりますが、「きょうせいりょく」なる物が発生する場合もあるようですので、そこを心配しておりました。
ですが杞憂だったようでございます。
「では特に問題ございませんね」
そう申し上げると、お嬢様はキョトンとされました。
「何がよ」
「断罪でございます」
……忘れていらっしゃったのですね。
私が言った途端にハッとしてオロオロするお嬢様は、可愛らしくはございますが、少々脳筋に仕上げすぎてしまったかと心配になります。
「お嬢様は断罪されなければならないようなことは、していらっしゃらない、そうでございましょう?」
重ねて確認いたしますと
「そ、そうね。そのはずよ?」
軽くカールのかかった毛先を弄りながら仰いました。
ああ、あの癖は落ち着かないときに出てしまう、幼少の頃からの癖でございます。
「ですから、大丈夫でございます。お嬢様はお小さいときよりこの私が誠心誠意を込めてお育てした、自慢のお嬢様なのですから」
安心させるように微笑みながらそう告げますと、少し嬉しそうに頬を緩められました。
そのあとで、
「べ、別にあなたに育てられたからちゃんと育ったってわけじゃないんだから!…か、感謝はしてるけど」
顔をうっすら赤くして、そっぽを向いてそう仰るお嬢様は本当にお可愛らしい。
ツンデレ乙、でございます。
全身全霊をかけてお育てした甲斐がございました。
了
セバスチャンも転生者。
この世界のストーリーは知らないが、勤めていた公爵家に生まれたいかにもな我儘お嬢様に、このままではまずいと教育係を申し出て幼少期から割とスパルタな教育を施した結果、なかなか真っ直ぐな脳筋寄りのご令嬢に育ちましたとさ。
めでたしめでたし。