読心者の光
「え!?」
突然目の前で泣き出した少女にケインは困惑する。しかし、状況的にこうする方が良いだろうと瞬時に判断し、少年は優しく彼女の頭に手を置いた。
「よしよし」
ここに来るまでに聞いたシャルナに対する噂、評価、世間の対応を少年は思い出す。彼女はきっと孤独だった。だからこんな人の来ないひっそりとした場所で小さくなっていたのだろう。そんなことに今更ながら気づいた少年は、彼女の孤独や傷を少しでも癒してあげようとギュッと彼女を胸に抱いた。お互い子供だがそれでもシャルナの身体は小さく、少年でもしっかりと包んであげることができた。
「ひっく、ひっく、あ、ありが、と、う」
「いいんだよ。好きなだけ泣けばいいよ」
少年は実際に彼女が受けた仕打ちを知っているわけじゃない。その辛さを知っているわけでも体験したわけでもない。だから、できることはこうして寄り添ってあげることだけだった。
それでも彼女は、少年が近くにいてくれるだけでもうれしかった。しかし少年は自分がそれを完全に癒せないこと、かけられる言葉を持ち合わせていないことに強い無力感を感じた。
(確かに僕は『測量士』というジョブに就いて、その有用性に気付いた。最強になれると爺が言っていたから、暇だから常識をぶっ壊そうなんて思っていたけど、そんなことはどうでもいい)
腕の中で泣きじゃくる小さな少女を見る。
(目の前の女の子一人慰められないほどに僕は無力だ)
少年はスッと泣き続ける少女の頭をやさしくなでてあげる。色素の薄いサラサラとした金髪が手に合わせて少し動く。
(僕は目の前で悲しんでいる人を慰められる、またはそうならないように振る舞える立派な人間になる。そして、ジョブ一つでこんな差別が起こってしまう社会をぶっ壊す。僕たち下位ジョブが、上位ジョブに負けていること、劣っていることなんてない、と見せつけてやる)
ふんわりとしていた少年の目標が、より強固になった。目の前でジョブによって差別され孤独になり、心に傷を負った少女がいる。きっとこの世界にはこの子だけじゃなく、もっと多くの者がジョブによる差別、不当な扱いをされているだろう。少年はそんな社会が、許せない。
神を恨んでいない。ただ、この階級を作り上げた人間にはシンプルに腹が立つ。少女の周囲の大人に怒りが湧く。一人の少女をいじめることに何も感じない、その態度が気に食わない。
少年も親から蔑まれるような態度を取られている。だから、そのジョブによる差別をその身で経験しているのだ。それでもこの少女よりはマシな環境だと思う。全員に無視されているわけでもないし、蔑まれてはいるものの露骨に無視されているわけでもない。
青年の精神が入っているからこそ耐えられる仕打ちだけど、純粋な五歳児にそれを耐えろというのは無理な話だ。周囲の人間は、この子が壊れても良いと思っているとしか思えない。生きていようが死んでいようが興味無し、という雰囲気が町中に広まっているのだ。
こんな環境で、普通の生活が出来るはずがないし、健全な成長もできるはずがない。
差別されている同士だから抱く仲間意識なのか、それともただの上から目線な同情なのか。
それを判別できなかったけど、少年は目の前で泣く少女のことを見捨てることなんてできなかった。
しばらくして、シャルナは泣き止んだ。少し冷静になったことで羞恥心が出てきたのか、素早く少年から身を離す。
「あ、の、ごめん、なさい」
「いや、僕の方こそごめんね。気の利いた台詞の一つでもかけてあげたかったんだけど……」
「いえ、その、ちゃんと私と、話をしてくれて、あ、しゃべって、ないけど、その、うれしかったです」
シャルナはまだ落ち着いていないらしく、少し喋りがたどたどしい。だが、少年がそれについて指摘することはない。
「そっか。僕が出来るのはこれくらいだから、そう言ってくれると嬉しいよ」
少年は再び笑う。
「……あ、の」
その笑顔に一縷の希望を見たシャルナは恐る恐る声を出す。
「また明日も、来て、くれますか?」
シャルナはうつむいてギュッとスカートの裾を握りながら、か細い声でそう問いかけた。その直後、彼女の右手を温かい何かが包み込んだ。
「もちろんだよ」
(朝の鍛錬を終えた後だから昼すぎくらいになるけど)
それは少年の手だった。剣などの武器を握っているのか、その手は少し硬かった。でもそれが、シャルナには頼もしさとして感じられた。そして、叶うならこのままずっといられたらいいのに、と思ってしまう。
もしかしたら、この人もいつか私から離れちゃうかも……。
両親と手を繋いだ記憶、友人と楽しく過ごしていた記憶が想起する。だから唐突にそんな不安がよぎってしまった。
今まであった繋がりが消える。その恐怖をこの一週間で痛いほど知ったシャルナ。彼女はもうあんな気持ちを抱きたくないと思っている。だから目の前の少年の言葉に嬉しいと感じつつも、距離を置いた方が良いんじゃないか、とも思ってしまう。
繋がりができるから、失ってしまう。なら、最初から無ければ失うこともないのではと。少年のことを信じて裏切られてしまうことが怖い。もしかしたら、もう来てくれないのかもしれない。来ない人を待ち続けることを、自分は出来るのだろうか。
そんな不安に苛まれているうちに少年はスッと手を離した。
「それじゃあ僕は夕飯の手伝いがあるから帰るね」
「あ……」
「また明日、だよ」
不安そうな表情を浮かべて顔を上げたシャルナに、少年はにこやかに微笑む。そして彼女の頭を優しくなでる。
「……また、あした」
「うん。じゃあね」
消える。
また明日会う約束したのに、シャルナはそう感じてしまった。彼は再びここに現れるのだろうか。私に会ったことを両親に言うことで、ここに来るのを止められてしまうんじゃないか。心変わりしてしまうんじゃないか。色々な可能性が浮かび、それを必死に押さえつける。
「……」
少年の背が見えなくなったところで、彼女の目尻に再度涙が溜まり、音もなく溢れてゆくのだった。
シャルナの一日は白い。空虚だ。一日の内容を紙に書いて、と言われれば白紙で終わること間違いなし。誰かに会った。誰かとこんな話をした。誰かとこんな遊びをした。そんな何気ない日常を彩る出来事が何もないのだ。
「ごちそうさま」
誰もいない小屋の中でそう言う。
「……」
ここは彼女の家から少し離れた小屋。子供の彼女でも数歩で壁に当たるほど狭い場所だ。先日まで倉庫として扱われてきたこの小屋だが、今は彼女専用の家だ。
しかし、それを一切嬉しいとは思わない。ここに入れられた理由が厄介払いであることは明らかだからだ。馴染みのあった子供部屋は既に弟専用の部屋となっている。
最初は泣いていただけだが、今はこの家にいることすら嫌になって外出している。時々聞こえてくる家族の楽しそうな声を聴くだけで涙が溢れそうになるからだ。
こうしてのんびりしていると、微かに弟の楽しそうな声が届く。このジョブでなければあの場に自分もいられたのに、と思うがどうしようもない。それはこの一週間で散々考えたことだ。当り前のことだが、神が決定した神聖なるジョブの変更はできない。それはこの世界の常識である。
もし変えられるなら『読心者』以外なら何でも良い。そう思うほどに彼女は自身のジョブが嫌になっている。
「……」
さきほど食べた夕飯も満足な量とは言えない。この一週間で食べる量は如実に減っており、先週までは多少肉があった腕や足も骨の形が分かるほどに痩せてきている。
そんな風に身体を見ていき、ふと自分の右手を見やる。
名前の知らない少年が優しく触れてくれたこの手。帰路の途中で名前を聞いていないことに気付いた。それでも彼のことは鮮明に思い出せる。この一週間で最も楽しい時間、うれしさを感じた瞬間だったと言える。
「会いたい」
家族から冷たく接され、興味本位の大人に気持ち悪いと言われた一週間。友人は近づけば逃げる。もう誰も彼も信じられないと思っていたはずなのに、そこへ現れた彼。ボロボロになった彼女には彼がまさに王子様に見えた。
しかし、あの慈愛の彼が再度自分に会いに来てくれるかはわからない。その不安は強い。だけど今の彼女には彼以外に心の拠り所が無い。あの優しい笑顔をもう一度自分に向けてほしい、と願ってしまう。
わずかに母の声が聞こえる。それによって心が一瞬で暗くなる。
あんな良い人がこんな自分にまた会いに来てくれるなんてありえない。
シャルナは暗い表情を浮かべ、これ以上家族の声を聴きたくない、と薄い布を頭からかぶった。彼女はそのままギュッと目を瞑って、早く夜が明けることを懸命に願った。
人の心を読める人がいれば、きっと現実世界でも嫌われることでしょう。
隠せればよいのですが、この世界では就職の儀のおかげでその人物のジョブが周知されます。就職の儀を取り計らう教会は、ジョブを『神が与える神聖なもの』として扱っていますので、聞かれれば何の躊躇いもなく他者に教えてしまいます。