Fly out(制限時間:30分)(お題:愛と憎しみのパラダイス)
また今日も人を殺す。
昨日と今日のいちばんの違いは、着ている服。昨日はTシャツにジーンズなんてどこまでも楽な恰好をしていたけれど、今日は上から下までかっちりスーツ。スリーピース。高級ホテル。最上階にいると言うのだ。哀れな哀れな換金券が。
優秀な相棒のおかげで話は全て通っているらしい。真正面から乗り込んで、まっすぐ部屋に歩いていって、そこでぐさりでちゃんちゃんのフィナーレ。
『頼むぞ』イヤーピースから声がする。『これが終われば三億だ』ちょっとだけ震えている。『これで俺たちは自由になれる。つかみとれるんだ』
僕は喉元をコツコツと叩く。トンとツーのリズムで伝えるのは『わかってるよ』それから『見てな。今日も華麗さ』
なんて言った端からトラブル発生。
「どうしたんです?」
「申し訳ございません。エレベーターのトラブルで……」
「すぐ動きます?」
「申し訳ございません。現在業者を呼び出しているところでして……。今しばらくお待ちいただきたく……」
幸先悪いね、と肩をすくめて、
「階段ってどっちかしらん」
エレベーターの奥に、非常階段。さっきまでの豪勢なエントランスに比べれば、心底質素なものだ。きんきらきんの裏側にはいつだってほら、こんなじめじめした場所がある。里帰りみたいな気分になっちゃうね。
ボーイにここでいいよ、と手を振って、階段を上っていく。朝飯前さ、身体で食ってりゃこのくらい。
そして第二トラブル発生。
「拾った?」
『ああ、聞こえたな』
小さな小さな悲鳴が聞こえた。あたりに響くようなものじゃない。防音設備だってばっちしのこの宿泊所の、きっと部屋の中から歌われたに違いない。僕の耳と、それから相棒の最新機器しか拾わなかったような声。
「確認するよ」
『待て、余計なことは――』
「トラブルバスティングは得意だ。君だって知ってるだろ?」ちょっとだけ溜息。「正体さえわかってればね」
階段を抜け出して廊下を歩いていく。本当に幸先が悪いよ。まだ二階だぜ? 扉の前で立ち止まって、
『――オーケー。ロックは解除した。慎重に頼む』
「任せなって」
扉に一秒耳を当てて中の気配を確認してから、音を立てないように、滑らせるように扉を開ける。
ワオ。殺人事件。
「同業かな?」
『そんな情報は入ってないぞ』
シャワー室から水音が聞こえてくる。ついでにこんな台詞。「あなたがいれば、それだけでよかったのに……」
「でも好きなんでしょ?」僕は首をすくめて、小さな声で「お邪魔だったみたい。馬に蹴られる前にお暇しよっか」
『馬鹿。その前に刺されるぞ』真面目ぶった声で『口封じに』
「そんな度胸ないさ」
そうして廊下を歩いて、階段に戻って、上って、第三トラブル。
「冗談だろ?」
『確認するか?』
「もち」
同じ手順で、悲鳴の聞こえたところに。今度は薄く開けただけ。
「どうして、俺だけじゃなかったんだ……。クソ! クソ女!」
「そりゃあ魂が自由だからでしょ」
ぱたん。そりゃまあ、男が女にすがりついてる場面にお邪魔しちゃあいけないよ。しかもパッと見た感じ、ロミオとジュリエットみたいに二人は運命的に引き裂かれる、そんな感動的なシーンだったしさ。死によって。あと、女の方はお腹まで引き裂かれてたし。
もうそろそろおわかりになってきたよ。第四トラブル、第五トラブルまでくれば確信に変わっちゃう。愛、憎しみ、愛、憎しみ、愛、憎しみ。交互に現れてきた。変わり映えのないハンバーガーの中身みたいにさ。最上階に辿り着く頃にはもうへとへと。
「見たね。一生分のラブストーリー」
『偏りすぎだ』
「南の島の映画館でラブストーリーが流行ってないことを祈るよ」
もうすっかり予行演習は終わってて、流れるように扉を開けた。
「な、なんだお前ら!」
「苦労人」
『違いない』
ターゲットの履歴書はちゃんと読んだ。でももう忘れちゃった。
「ま、待て! 誰の差し金だ! 倍払う!」
「ワオ」
『無理だな』相棒は冷たく『財布の中身を見てから物は言った方がいい』
「それ僕らも?」
『安心しろ。俺たちは使っていいんだ。他人の財布もな』
自分のポケットからナイフを取り出す。あんまり大した武器じゃないけれど、身の程を知るってフレーズも世の中にある。嫌いな言葉だ。
ベッドの上に押さえつけて、それから気付く。
「あのさ」
『美しくないよな』
「そう。愛と憎しみうずまくこのパラダイスでさ。愛も憎しみもなく金のためにっていうのは、品がないよな」
僕は押さえつけた男がんーんー呻くのをじっと見た。残念、愛も憎しみも浮かんでこない。
『ならこういうのはどうだ』ごにょごにょ。
「それ名案」
男をベッドから起こす。引きずっていく。見たまえこの素敵な夜景を。
「君の方が綺麗になるさ」僕は男を放り投げて、「たぶんね」
硝子が割れて、きらきらと輝きながら男は落ちていく。
あんまり高いところだったから、音は響かなかった。
「さらば、知恵があったばかりに」
『これでようやく解放、だな』
「うむ」
ナイフを捨てる。扉を開く。
自分の足で、楽園を出る。