なつのあいだはなつ(制限時間:30分)(お題:早すぎた娼婦)
夏なんだから春じゃなくてラムネでも売ればいいのに。
炎天下。バスはまだ来ない。待合室の薄暗がりから、これでもかってくらい日焼けしている女の人に向かってそんなことを呟けば、思ったよりも大きな声が出てしまっていたのか、彼女は目を丸くしてこっちを向いたので、私はちょっとたじろいでしまう。
「いま、なんて言ったの?」彼女は言う。
「いや、特に何も」
「ラムネでも売ればいいのにって、そう言わなかった?」
ばっちり聞こえてるじゃんか。口の中でそうやってもごもご呟いただけなのに「いま、ばっちり聞こえてるじゃんかって言わなかった?」ばっちり聞き取られてしまった。
彼女はずんずんと自信に満ちた足取りでこちらに歩いてきた。小麦色って色がどんな色なのか、いまいち私にはよくわかっていないけれどたぶん世の人たちがそう呼ぶタイプの色をしている脚が、激しく日光を照り返して私の目にぶち当ててくる。ううっ、気分的には黒光りって呼びたい。そんな気分。
彼女は私の座るベンチの、隣の席に腰かけて言う。「儲かるの、それ」
「さあ」私は視線を合わせないように「たぶんマッチを売るよりかはって、そう思いますけど」
「マッチ?」
「マッチ売りの少女」
「なにそれ」彼女は首を傾げる。「ていうか、マッチ、売れるっしょ、夏」宙に視線をさまよわせて、「お盆あるし。お線香使うし」
確かに、と頷いてしまった。でしょ、と彼女も頷く。
蝉が控えめに鳴いている。
「あの、」私は彼女に、「何か用ですか」
「え?」彼女は不思議そうに、「いや、なんでラムネの方がいいの?」
「え、や」私は決まり悪くなって、「別に、ただ思っただけ」
「なんでそう思ったの?」
「いや、あの」気恥ずかしさを覚えながら、「春を売るって言うじゃないですか」
「言うね」彼女は頷いて、
「だからほら、どうせそういうの売るなら冬の方がいいんじゃないかなって」言い訳するように、「なんかちょっと、ほら、早すぎるみたいな。そういうのないかなって」悲しくなってきて、「ごめんなさい」
「謝んなくていいけど」彼女は笑って、「早すぎたかな、季節」
「そうかも」言ってから、「そうじゃないかも」
彼女はじっと私の目を見つめた。逸らしそうになりながら逸らさずにいたら、
「ビビりすぎ」彼女は声を上げて笑って、おかげで私も少し笑えた。
「確かにちょっと思ってた」彼女は言う。「なんか暑すぎるかなって」
「そうですね」私は頷く。「最近の夏、暑いですから」
「暑いよねえ」彼女も頷いて、「ね、どこまで行くの?」
「え?」
「バス、待ってるんでしょ?」彼女はバス停の表示を見ることもせず、私に向かって、「どこまで?」
「ええと、」私は少し口にするのを迷ってから、「海です」
「友達と?」
「いや、」私は首を振って、「ひとりです。友達、いないから」
「じゃあ、一緒に行ってもいい?」
びっくりして、一瞬何も返せなかった。
「ダメ?」
「いや。あの、ダメではないですけど。なんで」
「ひとりよりふたりの方がちょっと楽しいかなって」彼女ははにかんで、「そんなことない?」
「わかんない」私はまた首を振る。「試したことないから」
じゃあ試そう、と彼女が言うのに、私は頷いた。
それからバスが来て、ふたりで終点まで乗って、辿り着いた先で海の家を開くことにした。夜まで働いて、貰った小銭をひのふのみのと数えて、意外といけるね、とふたりで言った。
とりあえず、夏の間はふたりそうして暮らすことにした。
死ぬのはそれからでも遅くないよね、と呟けば、ばっちり聞き取られてしまって、
「それたぶん、むしろ早いよ」彼女は笑った。