冬のベール(制限時間:30分)(お題:ロシア式のあの人)
「ねえ、まだ?」
「もう少し」
彼女は冬になるとすっかり家の中にひきこもってしまう。
ひきこもって何をしているかと言えばそれはすごく単純で、本ばかり読んでいる。外は寒いから出たくない。家にずっといるだけだと暇で仕方ない。ふたつの思いが交錯して、彼女に形成される読書習慣。
そして僕は、その本を作らされているのである。今もこうして。
コピー機からつい先ほど現れたばかりの紙束の熱を指先に感じながら、僕はそれを本の形に整えている。ただのホチキス止めだけの簡素なものだけど、それでも彼女は本の形を欲しがる。欲しがられたら僕は応える。するとパチン、パチン、と音がして、この世にまたひとつの本が生み出される。
「よし」僕は頷いて、「できたよ」
「わあい」彼女はその粗末な本を、文字に残った、あるいはその物語の中に残された余熱が消えないうちにとでも考えてるみたいに、ぎゅっと抱きしめた。
「どんな話?」と彼女は聞く。設定温度二十五度の暖房が効いた部屋の中で。
「大した話じゃないよ」と僕は答える。「一生懸命書いただけ」
「十分だわ」彼女は雪解けみたいに笑って、宝物みたいにその本に指先で口づけを始める。僕はまた古いノートパソコンに向かって新しい話を考え始めなきゃならない。
こんな関係がいつから始まったのかと問えば、ひょっとしてどこまでも遡れるかもなんて思いながら、大学時代に行き止まりを見つけることになる。僕はそのとき、キャンパスに降り積もった雪の上にごくごく平凡な、つまらない話を書きつけていた。彼女はマフラーをぐるぐる巻きにして(三つも!)レポート提出箱の前から家までの道のりを歩いていた。僕を見つけた彼女は「帰るよ」と言い、僕は「うん」と頷いて隣を歩いた。それから僕は、その日初めて会った彼女の家に帰り続けている。
「いい話ね」一ページ目もめくりきらないうちに、彼女は言う。「好きよ」
「そうかい」冷めきらないコーヒーを口にしながら「僕はあんまり」
「ダメよ」湯気のまだ立つココアを飲みながら「自分のことを好きになれなかったら、少しだけ寂しいから」
そうかい、と僕はもう一度頷いて、次のお話のタイトルだけを決め終える。それから驚く。
「待ってくれ」彼女の顔を見て「君の好きって、そういう好きだったのか?」
彼女は首を傾げて「そういう好きって?」
「つまり、その」言葉を探して「小説じゃなくて僕のことなのか」こんな言葉を出してしまううちは、きっと小説は下手なばかり。
「そうなの?」彼女は聞く。
「君が言ったんだろ」僕は言う。
「そうだったかしら」覚えてないわ、と彼女は惚けて、また僕の本に視線を戻してしまう。
しばらく納得いかなかったけれど、僕が書かない限り次の本は生まれてこれないものだから、僕はまたお話に取り掛かることにする。読む本をなくした彼女なんてひどいものだ。コーヒーを淹れて、コーヒーを淹れて、コーヒーを淹れて、僕の机に置いて、僕の机に置いて、僕の机に置いて、それから肩を揺らしながら言う。ねえ、まだ? 今度はそれを言わせないために。
「いい話ね」そんな僕の気持ちも知らず「好きよ」
「どういう意味で?」気にしないようにして。
「あなたのことが」
気にしないことはできなくて。
顔を上げて彼女を見ても、彼女は顔を上げてやしない。子どもみたいに本に夢中になっている。
「僕のことが?」
「そんなこと言ったかしら」
少し悩んで「僕の本が好きって言ったかもしれない」
「そうね」彼女は頷く。「それならありえるわ」
彼女はずっと本のページを優しく指先でなぞりながら、
「あなたの本が好きで、あなたの本を作るあなたが好きで、あなたの本を作るあなたが作る本が好きで、あなたの本を作るあなたが作る本を作るあなたが好きで、あなたの本を作るあなたが作る本を作るあなたの本が好きで、あなたの本を作るあなたが作る本を作るあなたの本を作るあなたが好きで、」
僕は途中で「なんだって?」
「唇はひとつ」彼女は笑う。「お人形じゃないから」