遠目から見て(制限時間:30分)(お題:あいつのコメディ)
「過呼吸?」と彼は言った。
「いや、」と僕は言う。「溜息」
朝からだった。
朝六時に起きて、日光をたっぷり浴びながら徒歩で出勤して、デスクに着いて、始業までの僅かな時間に昨日の仕事の残りをさっと片づけて、それから四百七十五回、ウサギの吐息を参考に僕は昼休憩までの間ずっと溜息を吐き続けていた。
彼はひょいと視線を逸らすと、宙を捕まえるようにして手のひらを握った。「あれ、」そして言う。「幸せって、全然触感ないんだな」
僕はこう返す。「僕のだからだろ」
朝からだった。
朝から僕の人生には荒涼たる苦難と、先行きの見えない暮らしと、少なくとも暗いとわかるだけの湿気を持った未来が横たわっていて、決してそこを退こうとしない。朝からだった。世界の朝から。神様が世界を作る一日目のその朝からずっと、苦難と暮らしと未来が横たわっていて、僕は生まれたときから憂鬱を覚えている。
「何はともあれ」彼は言う。「やめた方がいいよ、目立つ」
「いいや」僕は言う。「僕は目立たないよ」
「そういうことを言ってんじゃないんだけどな」
「じゃあなんだい」
「目障りだってこと」
一理あった。仕方ない。「帰るよ」僕は立ち上がる。
「待てよ」彼が止めた。「君、午後から会議だろう。しかも司会」
「君がやっておいてくれよ。得意だろ」
「得意とやりたいは違う」
「僕は苦手だし、やりたくない」
「金を貰ってるんだから、その分の仕事はすべきだろ」
「金を貰ってるって?」僕は言った。「初耳だ。よかったよ、今それを知れて。最近何もかも思い通りにならないから変だと思ってたんだ。僕はどうやらお金を貰ってるってことを忘れて暮らしてたらしい」そして彼に、「で、いくらくらい貰ってたんだっけ」
「生きるのに必要なだけ、全部」彼は言う。
「それで全部?」
「君が二人以上存在しているってわけじゃないなら」
「うんざりだ!」
僕は大きくデスクを蹴り飛ばした。誰一人として顔を上げやしなかった。それで急に恥ずかしくなって、僕は首を縮こませながら、
「許してくれよ」彼に言う。「仕方ないだろ? 悲しいことばかりなんだ」
「幽体離脱の仕方を知ってるか?」
「え?」
「幽体離脱。ゆ・う・た・い・り・だ・つ。yu-u-ta-i-ri-da-tsuの仕方を知ってるか?」
「なんだって?」
「とんでもなくハイになる」
「教えてくれ」
「じゃあそこに寝な」
彼の言うままに、僕は床の上に横たわった。僕たちが靴裏でこれでもかってくらい虐げてるそのパネルはびっくりするほどひんやりしていて気持ち良かった。僕はどうしてみんな椅子なんかに座ってるんだろうと不思議になった。椅子なんかに座ってるやつは馬鹿だ。でかい椅子に座ってるやつは、その椅子のでかさに比例してもっと馬鹿だ。
「目を閉じて」目を閉じる。「それから私の話を聞くんだ」彼の話を聞いた。「決して喋るんじゃないぞ」決して喋らなかった。
そうして彼は色々のことを教えてくれた。宇宙の出来方とか、宇宙の漂い方とか、宇宙の終わり方とか、そういうことをいつも僕らがやるようなとんでもなくふざけたプレゼンテーションみたいな調子で、すべて語ってくれた。
僕は宇宙の中にいた。ちょうど金星の裏のあたりだ。そして彼の声が聞こえてくる。「おおい、戻って来いよ。会議の時間だぜ」
「いやだ」と僕は言ったが、
「ダメだ。もしも戻ってこないって言うんだったら」
「だったら?」
「ハイになる方法を教えてやらない。ただ幽体離脱しただけじゃダメなんだ」
僕は急いで地球に戻った。不格好な魚の墜落みたいに大気圏を滑り降りて、それでオフィスの、彼の目の前に再び戻った。
すると、宇宙から帰って来た僕のほかに、床に横たわっている僕がいた。
「見ろ」彼は言う。「笑えるだろ」
床に横たわっていた僕はやがて起き上がり、昼休みが終わるチャイムの音を聞けばネクタイをチェックして、会議室に行って、宇宙のことでも語るみたいなとんでもなくふざけたプレゼンテーションをして、宇宙から戻って来た僕はそれをげらげら笑いながら見ていた。
僕は隣に立って同じように笑って見ていた彼に言う。「ありがとう」
「気にするなよ」空から声が返ってきた。