間接教育(制限時間:15分)(お題:希望の花)
研究室の机の上に、一輪の花が咲いていた。
一瞬ぎょっとした。まさかまさか、あの教授、掃除しないあまりにとうとうこの大学の一角にジャングルを築こうとしているのかと。もちろんそんなことはなかった。指で摘まみ上げてみればなんてことはない。ただ、どこからかやってきた切り花がそこにひょいと、無造作に置かれていただけだった。
なんですかこれ、なんて聞こうにも聞く相手がいない。誰もいないから私がここに来たのだ。
教授・出張中。学生・清掃バイト。机の上のあわれ・机の下の無惨。コピーされて、されっぱなしのレジュメたち。重みで傾き始めた安っぽい本棚の群れ。
アルバイトだった。時給1,500円。出張中の教授に変わって、研究室の資料整理をする仕事。去年までこれを請け負っていた同輩らが揃いも揃って就職してしまったせいで、唯一博士課程に進んだ私にお鉢が回ってきた。
元々自分の部屋だって綺麗にできない性質だというのに。
花っぴら一切れにかかずらわっている場合ではない。私には1,500円を受け取るに足るだけの熱意でもってこの混沌とした紙の群れに秩序を与える責務がある。誰が置いたか知らないが、私がそれを知る必要もない。
知る必要もない。
ないのだ。
ない。
が、
そもそも知る必要がないことを知らなくて済ませられるような人間であれば、わざわざこんな毒にも薬にもならないどころか在籍しているだけで親戚の集いに顔を出しにくくなるようなキャリアを歩んだりしないのだ。
携帯を取り出す。色と形の情報を言葉に組み替えていくつかのパターンを試す。しかしなかなか出てこない。
こういうときにもっとテクノロジーに慣れていれば、と思う。もっと手段をたくさん持っていれば、すぐにでもこの花が何なのかわかっただろうに。たとえば、写真を撮るだけで。
「あ、」
そんなに難しいことではなかった。
写真を撮る。
そして教授にメールする。
文面は適当でいい。この花は何ですか。捨てたらまずいですか。活けておいた方がいいですか。
直接聞くという手段もこの世にはあり、
『花言葉は希望だそうです』
自分で調べさせるという教育方法もこの世にはある。
溜息はつかない。
そういうところでもある。それは知ってる。
バイトが終わるのはもう少し先のことになりそうだと、そう思った。