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7、8



 来世 ~縄文の恋心~


 他人のために自分を犠牲にし、尽くす姿勢は素晴らしいものかもしれません。

 それは確かに中々できることではありませんし、立派なことなのかもしれません。

 しかしそれが必ずしも他人のためと言えるものではなかったからなのかもしれません。

 ですから、称賛ばかりできるものでもないのでしょう。


 来世にて巡り会うことができたのなら、それは神様が救いを施してくださったということですから、手を差し伸べてくださったということですから、自分本意ではないと神様によって認められたことになるのでしょうか。

 しかし本当に聖人に相応しい行動でしょうか。

 そういうわけで、来世にて幸運ばかりが彼を包むというわけにもいかないのでしょう。


 そもそも神様は平等な幸せを与えてくださるものです。

 神様への信仰は持っているにしても、そちらの世界が信じなさっているのは、どうやら仏様に近いようなお姿をなさった神様なようです。

 立派な行いをしたらば、来世では幸せを手に入れることができるようなのです。

 巡り巡るものなのだそうです。輪廻転生、そういうものなのでしょう。

 まだ高尚な人々など生まれはしないし、思想が発達するにもまだ遠い。そんな昔の物語でも、彼らなりに信じている何か、信じた来世があるのでしょう。


 それなら救われるものでしょうか。

 相手のことを考えているとも思えない、美しい女性を隣に置いておきたくて、独り占めしたくて、愛した人の心を傷付けるために自己満足に飾り立て続ける。それを正義と判断するか、愛と判断するのかは、当人たち次第ではありますし、見る人によるものでしょう。

 だのに救われるものなのでしょうか。

「おらはおめが笑ってりゃぁそれで」

 残した言葉は、遺されるに相応しいものだったのでしょうか。



 恐怖 ~強くなれずに弥生の時を~


 その逃げが有効的なものとしていつまでも掲げていられるものではないことは、本人が最もよくわかっていることでしょう。

 だからこそ他人からの干渉を恐れるのでしょう。

 立ち上がりたいから、差し伸べられる手が苦しくてならないのです。

 そういうものもあるものでしょう。


 苦しんでいる人に手を差し出すことは、悪意からなるものではないに決まっています。

 それは本当に優しさですか?

 ええ、優しさではあるのでしょう。優しさには違いないのでしょう。

 それは本当に求められているようなところですか?

 求められない優しさの残酷さを、きっと彼女たちは知らないのでしょう。


 悪意よりもよっぽど残酷であることに、気が付くことはないのでしょう。



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