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同じような恐怖を抱えているようでもありながら、僕の場合は相当違った。
不安になるとしてもそれは時折でしかないし、そもそも、彼女と一緒にいられた間にそうした気持ちになるようなことはなかった。
もう次の桜は一緒に見られない。医師に告げられたあまりに短い余命を認識し、覚悟したときでさえも、彼女がいなくなってしまってから先のことを僕は考えようとしなかった。
あえて避けていたというのもあるし、素直に彼女との時間を楽しんでいたというのもある。
後者の理由が大いにあるのだ。
幸せを幸せとして抱え、その先にある終わりのことまでを考えないところは、僕に残された最後の素直さだ。
彼にその余地さえも残さなかったのは、何の力なのだろう。
苦労というものを味わったことがないから、彼自身はそう思っているかもしれない。その理由も確かにあるだろう。
けれども僕はそれが全てだとは思わない。
なんらかの力がずっと彼に圧力を掛けていたことは間違えなさそうだ。
しかし彼のことも情報としてしか知らない僕にはそこまで考えるのは難しい。
幸せを生きながらその終わりを恐れるのは、死とは別にそこに終わりがあることも彼は知っているからなのかもしれない。
もっと近くに、もっと近い終わりがあることを、彼は知っているのかもしれない。
それが長くは続かない、不安定なところに立っているということを、そこにいる時点から気付いているとしたら、彼はどこまで賢い人なのだろう。
死の訪れることはもちろん知っていようが、平和が終わろうとはまさか思っていない。
僕はそんなことは思っていない。
永遠がないにしても、それがなくならないことを無条件に信じているから、僕は彼ほどには怯えていない。そういうことなのだろうか。
……どういう、ことなのだろうか。
不意に僕は考えることさえも放棄したくなる。
そうしたことが度々あるのだ。
それが人間の自己というものなのだろうか。
失いたくない。これは不思議な気持ちで、恐ろしいものでもあった。
彼はそれをいつでも抱えているのだろうか。
だとしたら、それほど辛い幸せはない。それほど苦しい幸せはない。
僕は想像してみることさえも嫌だった。




