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言葉 ~不器用なままで~
文字に関わる仕事をしているし、文字とは親しみのある僕なんかでは、到底その苦しみを理解はできないのだろうと思えた。
大切さを知っているし、好きだからこそ、失った苦しみはわかる?
いいや、そういうものではない。
文字が近くにないということを、文字が読めない書けないということを、僕には想像もできなかった。
簡単に想桜ちゃんにも文字を教えてあげることはできたし、僕自身、語学というのは得意分野であった。
それは日本語だけに限らず、記憶力は良い方でなく、勉強もできないわけではないが特別できるわけでもない僕にも、語学は得意だと言えた。
日本語、英語、大学のときに学んだスペイン語、彼女との空想旅行の中で学んだイタリア語や中国語。
上手く話せるのは、ちゃんと会話にできるのは日本語と英語くらいのものかもしれない。
けれど文章とは、書面とは、僕はいつだって近い距離にいた。
もし最初から文字というものに触れられていなかったなら、自分で本を読むことすらできなかったなら、僕はどれだけ苦しかったことだろう。
手紙を送ることも、残された言葉を知ることもできない。
それはどれだけ辛いことか、僕には想像ができなかった。
「non-verbal communicationでたくさんのことを伝えられるのでしょう。しかしそれは同じ文化の下で、同じ前提の下で過ごしている二人だからこそだとも思えます。言葉を伴わないコミュニケーションの難しさは、計り知れるものではありません」
僕の言葉を十分に咀嚼してから、苦し気に微笑んで女性は答えてくれた。
「わたしは羨ましいです。自由に勉強ができる人たちが、羨ましいです。日本に生まれて、わたしも学校に通える恵まれた身だというのに、どんなににらめっこしたって文字列が理解できないのですもの」
それはどれほど苦しく、切実な願いなのだろう。
羨ましいと言われるようなことをしているのだということを、どれだけの人が理解していることだろう。
僕は理解ができていない一人であるだけに心が締め付けられた。
楽しんで勉強をしていた人間だけれど、この勉強を望んでも受けられないという苦しみを理解するところには至っていなかった。
学びを受けられない子どもが世界にいることを知識として理解していながら、その程度の僕なのだ。
この女性の病気のことを僕は知らなかった。
その苦しみを考えることなどできるはずがないのだろう。
こうして話している今でさえ、理解はできない僕の想像力は欠如しているのかな。
痛みを理解するのは、どうにも苦手なようだった。




