7~11
来世 ~縄文の恋心~
恐怖 ~強くなれずに弥生の時を~
死後 ~受け継いできた古墳~
夢 ~遥か遠く飛鳥~
忠犬 ~奈良の主はだぁれ?~
自らの大きさを理解していないということは、どれだけ愚かしいことだろうか。
しかしそれは人間の世界ではよくあることであり、時の権力者というのはいつだってそのようなところがあった。
手の届く範囲などだれも変わりはしないというのに、自分だけは神にまで手が届いているように勘違いをし、ひどいときには自分が神であるかのような勘違いさえもする。
何よりも罪深い行いであった。
身分を弁えていないと他人に言う人間が、自分の存在がどれだけのものであり、自分がどのような存在であるかを理解しているはずがない。
人間は決して平等ではないが、どのような人間も決して天に手が届くことはない。
天の御子が生まれることはあっても、その人間の子までが天を知るかといえば、そういうわけでもない。天の御子が権力者として地に降り立つとも限らない。
本人が自覚しているようにこの人間が他の人間と大きく違う選ばれた存在なのだとしても、それを権力として振り翳すことが正しさになるものではない。
権力に縋る姿は、凡人そのものだった。
「どこから見ているのか知りませんけれど、私はこの世界を全て掌握したくらいのつもりでいます。これは自惚れではなくて、勘違いではなくて、そのつもりでいるのです。天の神は私のことを愚かだとでもいうのかもしれませんが、私は自らの発言を理解していますし、自らに責任を持つつもりでもあります。姿を現しもしないで神などを名乗るよりも、この世界においては私こそが神と呼ばれるに相応しい存在であるといえます。私は迷いもなくそう言えるのです。私たちを見下ろして頂点にいるつもりなのかもしれませんけれど、実際に統治する能力がない以上、愚かな自惚れをしているのはそちらとも考えられましょう?」
人間でありながら天を理解しているのか、彼女が動くのは天命に従ったものであり、正真正銘選ばれた存在であるというのか。
それは愚かな人間の姿であるに違いはないのだけれど、凡人そのものとしかいえないのだけれど、それでも凡人では持っていないような輝きを秘めていた。
選ばれた存在というよりは、努力で権力だけでなく天よりの輝きまでも手にしたというようである。
それは、唯一無二の愚かさであった。




