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夢 ~遥か遠く飛鳥~
身分などで、互いに同じ時間を過ごしているというのに、会うことができないというのはどれほど辛いことだろう。
彼女がもうどこにもいないことを知りながら生きている今と、どこかで彼女が生きているけれど僕には会えないのだということを知っていることとは、どちらが辛いことだろうか。
僕にはわからなかった。
一緒に過ごせる幸せが、何よりの幸せなのだということしか、僕にはわからなかった。
学びを受けた上でわからないのだ。
文字だって読める。夢ではないと宣言できるほど、たった一晩の夢などではなくて、僕と彼女は一緒にいた。幸せな時間を過ごしていた。
ほとんどは、彼女は病を抱えながらのことだったかもしれない。
自由に体を動かして、運動もできていた頃の彼女も僕は知っている。けれど、もっと前から彼女を知れていたら、もっとたくさんのことができていたと思うのだ。
それなら、どれほどよかったことだろうと思うのだ。
一緒にいられないのなら、生きていても死んでいても同じこと。
勝手なことではあるけれど、他人の気持ちなど見られない、自分としては同じこと。
どこかで死んでいるのだとしても、幸せに暮らしていると言われて、それを思い込めているのならば、そう、だれかがそう言ってくれているならば、……僕の中で彼女は僕の知らない場所で幸せに暮らしていることになる。
反対に、身を潜めていればそれは簡単に死んだことになれる。どこかで生きているのだとしても、それを隠して自分の中だけに必死に押し隠してしまえば、無事に一人の人間が消えられるのだ。生きたまま、死ぬのだ。
よく見る例としては、テレビに出なくなった芸能人が、簡単に死んだことにされてしまうことだろうか。
あの「死んだ説」というのは、本人がそうしようとしたものではないからに、中々ショックなものではないだろうかと僕は思う。
どうせ死ぬのだ。
どこで何を思い、ショックを受けたところでそのときはそのとき、変わらないかもしれない。
自暴自棄になってしまっても仕方がないから、やりたいことをやってやりたいように満足するまで生きて、幸せになるべきなのだ。
彼女の分まで僕は幸せに長く生き続けなければいけない。
生きられる分だけ楽しむべきだろう。
それに、想桜ちゃんのことを幸せにしてあげないといけない。
僕は親なのだから、親として、僕がこんなじゃいけないね。




