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恐怖 ~強くなれずに弥生の時を~
だれだって恐怖というものを抱えているものだろうし、恐怖というのは、多くの人の心を占めているものなのではないだろうかとすら思う。
それは個人的な意見で、明るい人がいることくらいはわかっている。
だれもがいつだって恐怖ばかりを抱えているわけではなかろう。
ただ、どれだけ明るく振舞っていようとも、恐怖というものは心を侵食するのではないのだろうか。
たとえば死。
築き上げてきたものが全て無になってしまう。何をどのようにしたところで、必死に抗おうとしたところで、だれにだって必ず訪れる。
そのタイミングはそれぞれだけれど、だれにもいつかは訪れる。
彼女のことで、トラウマになっているわけではない。
それも少しはあるかもしれないけれど、実際に大切な人を亡くしてしまった経験だとか、自らが死にそうになってしまった経験だとかがなかったとしても、死というのは恐怖の対象だろう。
だれだってわかっている、知っている、恐怖だ。
未来がある想桜ちゃんだって、いつか終わりは訪れる。
どうしたってそれは当然のことだ。
「あんまり怖がっていますと、楽しいことを見逃してしまいます。時間は過ぎます。それはとても辛い、とても辛い、過去の幸せに戻ることができるならと願います。それだって、前に進まなければいけないとも思うのです。彼女はもう隣にはいないけれど、娘が隣にいる、時折思い出すことになるとはいえ、過去に縛られないで今を生きる楽しさがあるはずです」
反応が何もないものだけれど、声は届いているのだろうか。
不安になるほどの無反応だった。
何もないところに話しているような気分にすらなった。
「大切な人がいるんだから、そんな奴が、わかったようなこと言うなよっ!」
どうやら、僕の悪い癖が出てしまっているようだ。
つい、わかったようなことを言ってしまうのだと自覚はしていながら、そうしてしまうのだ。
叫ばれてしまった。
大切な人がいる僕が幸せであることはわかっている。
たとえ今は離れ離れだとしても、大切なのは間違えないのだ。
「すみません。わかっています。ですが、努力の先にあると思うのですよ。大切というのは全て、そういうものだと思うのです」
さも自分が努力しているかのように言うことも間違っていよう。
こんなことを言っても、相手の努力を否定しているだけなのだから、結果として優しいふりをして僕は、……なんて失礼ないことを。
わからないではないはずなのだ。
人付き合いの得意な僕ではないけれど、それでもこれくらいのことはわかるはずではないか。
親となった今は前よりも更に、人を傷付けることを言ってはいけないのに。
「僕みたいな人間にも幸せは発見できました。動いてみませんか? 外へ出てみませんか? 怪しい宗教に勧誘しているわけではありませんが、幸せになりましょう。幸せになれましょう。幸せを目指し、信じてみましょうよ」
再びの無反応だった。
僕の声は、届かないのだろうか……。




