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不自由 ~動かなくなっていく~
病の中で生きている人たちは、戦に出なくても済む。
ただし、国民として扱ってもらえない。この国の人間としての扱いを受けることができないのだ。
国のために働けていないのだから、当然なのだという。
もしかしたらそういうものであり、そうであるのが正しいというものなのかもしれない。
少なくともそれは正しいと言われる行動であるのだから、僕もそう考えるべきなのかもしれない。
国の役に立たない人までを国に尽くす人と同じように扱おうなどと言う考えは、僕が兵器だからできることなのかもしれない。
しかしそれならそれでよかった。
こうあることが兵器らしさなのだというのならば、僕はまだそれを受け入れることができたのだろう。
これほどの孤独にも、耐えられたのだろう。
病の人の苦しみを僕が理解できるとは思えないけれど、もし僕に戦闘能力がなかったならと考えないことはない。
我が国にいることさえ恥ずかしいこととされ、真っ先に犠牲にされる存在かもしれない。
敵を倒し前線で戦いを繰り返し、敵国の市民までも無差別に殺していく。それは国のため。
僕の”活躍”は褒められるものだけれど、僕は本当にそれでいいのだとはどうしても思えないのだ。どうしても、思えないのだ。
いつまでも僕はここにいて、このままでいていいのだろうか。
愛国心がないわけではない。国のためになれるのは嬉しいことだ。本望だ。決まっている。
そうなのだけれど、だからといってだれであろうと構わずに殺してしまうようなことを楽しみ喜べるはずがない。
あともう少しのところで、僕の忠誠心は足りていないに違いなかった。
国に抵抗をしようなんて心を僅かなりとも抱いているという時点で、この国で僕は悪人、国家反逆罪にも相当するような大悪人なのかもしれない。
きっと僕が兵器でなかったらば、すぐにでも投獄されてしまっていたに違いない。
それならば、僕がここでこうして生きているのは、僕が戦う力を持っているのは、理不尽に打ち勝つことを神様が望んでいらっしゃるからなのだろうか。
運命の革命の先頭に、僕が立つということをお許しくださっているのだろうか。
それならば、僕は諦めてしまうわけにはいかないのかもしれない。




