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記憶喪失 ~一方通行の恋心~
どれだけ僕が幸せなのかを、どれだけ僕が恵まれているのかを、僕は知っている。
彼女はもういなくなってしまったけれど、魂はいつまでも僕に寄り添ってくれて、一緒に想桜ちゃんを見守ってくれているのだということを僕は知っている。
できれば成仏してもらいたくもあるが、彼女は僕を待ってくれてしまっているのだろうね。
気のせいじゃなくて、間違えなく僕はそれを感じていた。
記憶というのは、心というそのものは、物質的な体の話よりも重要なことなのではないだろうかと僕は思うのだ。
愛された状態のままで死ねることを喜んだ彼女の気持ちも、わからないではなかった。
実際にもう僕は彼女の声を聞くことはない。
僕が聞く彼女の声は全て僕に都合のいい幻聴だ。
どれだけ長く寄り添っていたからといって、醒めるような愛だったとは思えないのだけれど、最初から最後まで当たり前になってしまうことがなかったから、一緒にいることに慣れてしまうことがなかったから、褪めないで残っているだけなのかもしれない。
もしもはもしもでしかないのだから、何がどう正しいというものもない。
それだから結局、僕にはわかったようなことは言えないのだろう。
けれどどうしたってお節介が僕に口を出させた。
「記憶がなくなったことは、一旦リセットされたということで、大切さを再認識できる機会だったとは思いませんか?」
けれど、けれど、これだけならまだましだったかもしれない。
「彼女はもう戻ってこない。いなくなった、失った、大切さは思い知らされたままやり直すことは許されないのですから」
上から目線だとはわかっていながら、励まそうかと思っていた。
それなのに僕が泣いてしまいそうだった……。
想桜ちゃんが僕の手を引いた。
そして想桜ちゃんは笑顔で手を繋いでいく。この場にいる大人の手と手を、子どもの無邪気さで繋いでいく。
敵わない。
やっぱり想桜ちゃんには敵わないな。
夜空 ~それを飾るもの~
僕が桜に魅せられているように、彼は月に魅せられているというのだろう。
何か他に見ているものがあって、その美しさが見続けられないものだから、その儚さまで足して美しさを映して、それで更に魅せられているのだろう。
未だに僕が桜に彼女を映して見ているように、魅せられているように、彼にも何かが存在するのかもしれない。
月の先に、何かが。
切なげな表情で月を見ている彼に、僕はそっと近付く。
「月は、綺麗ですか?」
滅多に外に出てこなかった僕だから、この質問は単純な問いでもあった。
答えは決まっているものだろうと、尋ねておきながら僕も思っていたのだけれど、彼は相当答えに迷っているようだった。
僕が声を掛ける極限まで視線を彷徨わせて、溜めに溜めて彼は答えた。
「魅力的ですよ、とても」
「わかりました。覚えておきます」
彼の言葉に僕は微笑み返した。
それは押し付けのようなものでもあるだろうが、僕の好みもあって想桜ちゃんも桜ばかりを美と認識してしまっているに違いない。
今度、月見にでも連れて行こう。
美しいものをたくさん見せてあげたい、心から思うから。
「月が綺麗だと良いですね」
僕は彼に感謝を込めてそう言った。




