24
運命 ~避ケラレナイ運命ナドナイ~
作ろうとは思っているのですが、和歌となるとやはり難しいものですね。
国学者ではありませんし、文学に秀でた方でもありませんから、即座に作って返すようなことは難しいものです。
話をお聞きして、それですぐにとはいかないものです。
「ええっと、つまり、どういうことなんでしょう。兵器だなんて言われてもよくわかりませんし、失礼じゃなければなんですけれど、普通に普通の人間にしか見えないのです」
ご本人にお聞きしようと思ったところですが、その男性は何を言ってもくれません。
いくそたび死なず輪廻にあれと言ふまさに知るべし誰の
あと四文字なのですが、全く何を入れるべきか思い付かないのですよね。
思い悩んで時間をかけてしまっている時点で、歌としては失格でしょうか。
身分の低い私には当時の貴族と呼ばれる方々がどのような感覚の元に生きていたのかわかりませんが、上手いのはもちろんのこと、即座に返すからこそその場に合って粋だったようなことなのでしょう?
豪華絢爛な貴族とケチな商人とでは、正反対というようなところです。
やはり私に雅や品というのは難しい話だったのでしょうか。
型が苦手なのですから、私としては貴族のそういった遊びが向いていないのでしょうね。
それならそれで、自由律俳句というも私は興味があるのです。
「声は聞こえていますか? 話せないのですか?」
責めているように思われないよう、出せる限りの穏やかな声で私は尋ねました。
「ア、ァウ」
何かを言おうとしている様子はありますし、動揺なのかなんなのか目を泳がせているところを見ると、ただ会話が苦手なのでしょう。
町人などにはいない類のもので、昔の貴族女性を思わせるようでした。
私も実際の姿を知っているわけではありませんが、途切れず話してばかりのお喋りな人たちではなくて、このようにお淑やかにいるということなのでしょう?
だから会話が苦手、そうして私に押されるようで困っているのでしょう。
いつかの貴なる人の君が呻く
話に何もわかりませんでしたから、考えても上手く歌が詠めませんでした。
詠めないなら詠めないで形を変えて、私は私で、まだ私に近いのではないかという俳句を試してみるくらいしか私にはないのです。
五七五ではありませんけれど結論としては十七音になっているのですし、細かいところを気にすることはありません。
これくらいの方が私には向いているのに、どうして貴族文化にどうしても惹かれてしまうのでしょう。
何はともあれ、全て忘れて歌を詠むというのは楽しいものですね。
戦のことを考える必要もないようで、病のことを考える必要もないようで。




