20、21
後悔 ~自信がもっと付いたなら~
人に合わせるばかりで苦悩して、自分が小さな存在に思えて、だれかと群れたら群れただけ、自分が何者でもないような気がするのです。
一人でいるときにだけ密かに自分は特別というような幻想を見て、その痛々しい幻想と現実を見比べて嘆くのです。
学生の頃、別段、妻と出会う前の私というのはそういうものでした。
妻のことだけは不思議と本当に信じられるものですから、そういった不安というものは自然となくなってくれました。
本物を見付けられたらば、本物の前には何者も及ばないことを知ることになります。
この少女が、僕が妻に巡り会えたように、素敵な人と巡り合えることを願うばかりですね。
後悔は多い方ですし、自信というのもいつまで経っても持てないものです。
けれどただ一つ大切と思えるものがあれば、安心できる場所があれば、どうにでも心が安らぐ時間が作られるものです。
若かりし僕とこの少女が必ずしも一致するとは限りませんが、それなりに僕は説得力を持ってこれを言えているのではないかと思えました。
言葉 ~不器用なままで~
文字を読めないだなんてことは、僕には考えられませんでした。
上手く言葉を操れなかった僕にも文字列だけは優しく語り掛けてくれていました。
いつだって僕は本ばかりを読んでいましたから、どのような感覚であるのか考えられないのです。
見たこともない言語の本ばかりが並べられているいうようなものなのでしょうか。
どれほど法則性を見出そうとしても、どれほど学ぼうと努力していたとしても、わかりかけると言語が切り替わるようなものなのでしょうか。
それはどれだけ苦しいことでしょう。
耳が聞こえないという方が、まだ想像のしやすいものでした。
想像ができるからと、その苦しさや悩みというものまでがわかるものではありませんし、想像ができるというのではないのでしょう。
実際にその苦しさを知るわけではありませんが、言葉を発することができないというのなら、僕のような人になら害もないというものかもしれません。
最悪、数少ない会話だって文字列で行った方が円満と行くかもしれません。
愛おしい妻のことだって、丁寧に選ぶ僕の言葉なら傷付けなくても済むかもしれません。
僕の口から漏れる声よりも、ずっと妻のためを想ったものに決まっています。
それならいっそこの声を差し出してしまいたい、……なんて言ったらロマンティックな響きがそこにあるようではありませんか?
なんて。




