3 雪村ゆき 小国沢明の演奏に魅了されるのこと
前回までのあらすじ
雪村ゆきは田舎の高校一年生。
ある日、バス停で半透明の神様に出会います。
神様が言うことには、ゆきには特別な力があるというのです。
ゆきはその突拍子もないことを、案外素直に受け入れてしまいました。
その日から、ゆきと神様の特訓が始まります。
数週間の高度能力成長期を経て、とうとうゆきは超人的な能力を身に付けたのです。
さて、それから物語は一体どうなるでしょうか?
小国沢明は道端の低いコンクリートブロックに腰掛け、アコースティックギターを弾き始めた。いとも簡単そうに美しい楽曲を奏でる。雪村ゆきはしばらく聴き入っていた。
そこはゆきの家の前だった。もし人通りの多い場所だったら、かなりの人が足を止めて彼の演奏を聴くのではないかと、ゆきは思った。明は長身痩躯でぼんやりした雰囲気ではあるがかっこいいほうで、彼ならすぐにでもプロのミュージシャンとしてデビューできるのではないかとさえ思われた。
しかしゆきは明の演奏を聴いているうちに、だんだん妙に怪しい気分になってきた。この演奏はとてもすばらしい。だが、この魅了される感覚はなんだろう。音色の心地よさだけではない何かがある。のどかな田舎の秋の夕暮れ時にしては場違いな、不思議な妖艶さが彼の音にはあった。
ゆきは少し頭がぼうっとして、全身の皮膚がかすかに痺れるような感覚に襲われた。ミヤさんはすばやくゆきに耳打ちした。
「ゆき殿、この者は[御魂使い]である。」
ゆきは明の近くから飛び退いて身構えた。体に染みついているようで、なんとなくバレーボールの構えのようだった。
その瞬間明は急に大きな音で演奏をしだした。ゆきを見る明の眼は、妖しく鋭く光っていた。
その一週間前の朝、ゆきは小国車庫前バス停で一番のバスを待っていた。すぐ横には笠を被ったミヤさんがいた。朝夕に冷たい秋の空気が感じられる頃になっても、ふたりのトレーニングは続いていた。
ゆきはミヤさんが感心するほどの進歩を見せていた。身体機能を効率よく操作する[生身の操り]は完璧にできるようになり、ものの形を変えたり、動かしたりする[変化の操り]を習う段階に来ていた。
「・・・ただ念じるのではなくそのものの道理をわかること。そのものの本質を見極め、相の奥にある流れを感じることが大事である。そして、そのなかの変化する流れを引き出す。それによって、そのものは相を変える。そのもの自身の持つ流れ、道理に沿って変わる。元々あるその変化の流れを見つけ、ほんの少し操るだけの力があれば良いのである。」
「はい。流れるものに逆らわず、変化の流れを引き出すんですね。」
「そうである。逆らおうとしても逆らえないというのが正鵠を射ているが。そしてその流れを操るには、目と耳と鼻と口と皮膚で強くはっきりその相を感じ、次にそのものの変わった相を強く思い描くことである。つまり、よく観察し、全身で感じ、完全に分かり、そして強く思う。それがこの業、単純であるが実に難しい、[変化の操り]である。」
「[変化の操り]。」
「そうである。」
「たとえばどんなことができますか?土をお菓子に変えるとかは?」
「うむ。それには深い流れを操るための強い[御魂の力]が必要である。なんじならそのうち出来るようになるかもしれないが。今できそうなことはたとえば、相を少し変えること、水をぬるま湯にするとか。湯をさますとか。」
「なんか大したことじゃないような。」
「いいや、使いようによっては大したものである。この業をまともに習得すれば、この世でなんじに伍するものは一人もいなくなるであろう。これはそれほどの業である。特に[生身の操り]と同時に使えるようになれば。もっともこの[変化の操り]はそう簡単には使えるようにはならぬ。肉体の力の流れを調整する[生身の操り]と比べると、全く次元が違うほど難しい業である。己ではない他者への働きかけであるからな。」
「他者への働きかけ。」
「そうである。これが実にむずかしい。」
「なにか試してみようかな。」
「家に帰るまでよした方が良いであろう。力の暴走も考えられる。」
「はい。」
「[変化の操り]には、まだ詳しく話さなければならないことがたくさんある。奇術に含まれるものは別として、今の世の中で広く知られている物理学や化学、それと・・・。」
その日はゆきとミヤさんが放課後家に帰ってきてからもその話が続いた。
深夜零時過ぎ、ゆきは[変化の操り]の訓練中にその力を暴走させ、自分の部屋を三分の一ほど破壊した。ティーカップの水を沸騰させようとして小さな衝撃波を発生させてしまったのだ。幸いゆきに怪我はなかったが、大きな音に起きてきた家族をスプレー缶の爆発が原因とごまかすのは難しかった。結局、警察沙汰と消防沙汰になり、雪村家はほとんど一睡もできない一夜を過ごした。
ひとまず安全が確認されて警察と消防が引き揚げた早朝から、ゆきは壁に開いた直径一メートルほどの穴を塞ぐ作業に入った。そのせいでその日ゆきは学校を休んだ。
そしてこの事件以来、ゆきとミヤさんは[変化の操り]の訓練をしばらく中止することにした。
一週間後、ゆきの部屋の修理が終わり、知り合いの威勢のいい大工さんが帰った直後、ミヤさんがゆきに久しぶりに話しかけてきた。ふたりは一週間前の力の暴走事件を改めて反省し、再発の防止を確認しあった。
それからミヤさんは「しばらく考えていたことであるが、」と前置きして、ゆきに[共鳴り]の結集を提案した。
「ともなり?」
「うむ。[共鳴り]とは、[弦打ち]に共鳴した者、なんじの力に反応して[御魂使い]になった者のことである。その者は仲間にすると役に立つ。仲間にならんこともあるが。しばらく前になんじの能力、[弦打ち」とはなにか話したと思うが、覚えているか?」
「はい。」
「ではまずおさらいである。[御魂]とはなにか。」
「はい。活ける生身が[御魂]を生ず。それは生身とひとつながりの動き、楽器の弦の振えのようなもの。」
「うむ。では[御魂の力]とはなにか。」
「はい。[御魂]から生ずる心、思い、情けがすなわち[御魂の力]。それは振える弦より生ずる音のようなもの。」
「うむ。では[御魂使い]とはなにか。」
「はい。それは[御魂の力]を操って異常な能力をあらわす者。音を操り楽を奏でる者のよう。」
「うむ。では[弦打ち]とはなにか。」
「はい。たしか特別に、弓を鳴らす弦打ちという儀式に見立てた言い方でしたっけ。[弦打ち]とは、[御魂]を自由自在に操り、大いなる力を生み出すことができる常ならぬ者のこと、またその力。」
「そうである。人々は太古より[御魂の力]を自在に使うことを[弦打ち]に見立ててきた。打てば打つほどよく鳴ると。」
「あの、ちょっといいですか、前から思っていたんですけど、[御魂使い]と[弦打ち]って似てますよね。違いがいまいち・・・。」
「うむ。まずひとつには非常に強い[御魂の力]を使う[御魂使い]が[弦打ち]である。」
「ああ、それは明快ですね。でもこれって、そういうものなんですか?弓の例えって、誰かが考えたんですか?」
「われが生身の時にはすでにあった。この不思議な力を説明するいわば仮説であるが、わかりやすいであろう。」
「なんというか、生身とか弓弦の振えが[御魂]っていうのが特にいまいち・・・。ミヤさんのいう[御魂]って、一般的な魂とか、霊魂とかと微妙に違いますよね。体とくっついてるというか。」
「うむ。それがわかりにくいか。いわゆる肉体と精神は渾然一体の存在、不可分なものである。体と魂を別々に考えてはならん。であるゆえ、[御魂]とは生身を活動させた状態と知るがよい。」
「生身の活動って、生命活動のことでは?」
「そうでない。生命活動より高い次元の活動である。[超生命活動」といえばいかが。」
「ああ、それならわかるかも。[御魂]とは「超生命活動」のこと。・・・あと、そもそも弓弦ってあんまり馴染みがないんですけど。たとえばギターの弦みたいなものですか?バイオリンとか琴とか。」
「うむ。その通りである。弓は楽器にも似ている。だが違うのは、武力の象徴というところ。弓には敵を退ける能力があるゆえ。」
「ああ、なるほど。」
「だからかつて宮廷では魔を払う儀式としての[弦打ち]をしていたのである。」
「ということは、大昔は[弦打ち]の力をみんなが使っていた?」
「いや、われが生身の頃にその儀式が有効だと思われていただけである。その頃は、[弦打ち]はわれ一人であった。」
「へえ、じゃあ[弦打ち]はめずらしいんですか。」
「めずらしいなんてものでない。われの知る限り本朝では今まで十人も出ておらん。」
「へえ。」
「そして平安時代末期のその頃は、[御魂使い]はほとんど、われと、われの[共鳴り]に限られていた。」
「やっと出た、[共鳴り]。・・・ということはミヤさんの周りにもそういう力を持った人がいたんですか。」
「いた。恐ろしく厄介な奴らがいた。」
「でも、厄介といってもミヤさんの仲間なんでしょう?」
「いや、[共鳴り]とは[弦打ち]に共鳴して生まれた[御魂使い]というだけである。仲間ではない。」
「[共鳴り]は、仲間じゃない・・・。」
「鳴らした弦に他の弦を近づけると鳴ることがある。共鳴りである。弦の素材、長さ、張り方、お互いの近さが調和して、初めて共鳴る。[弦打ち]の本当の価値はこの周囲に多数の[共鳴り]を生む力である。」
「[共鳴り]を生むことが、[弦打ち]の本当の価値・・・。」
「うむ。[共鳴り]は[共鳴り]を生むことはできぬ。[御魂の力]が質・量ともに足りぬゆえ。」
「なるほど。・・・共鳴りだけに、鳴るほど。」
「・・・それに[共鳴り]には癖がある。能力の範囲が限られていることが多い。一芸に秀でたと言おうか、特殊能力と言おうか。一方、[弦打ち」には偏りはない。」
「うーん、オールマイティって感じ。例えば将棋の駒でいうとあれですか?」
「うむ。玉将であろう。」
「やっぱり。ということは、私はすごいんですか?」
「そうである。なんじの[弦打ち]には未知の部分も多いが、なにせ事例が少なくてな。・・・ところで、問題は[共鳴り]が敵になる場合、これが厄介である。」
「でもその人たちって元々こっちの力で目覚めたんでしょう。だったらみんな仲間になってほしいですよね。」
「われもそう思う。だが見方を変えれば、[弦打ち]は[共鳴り]が覚醒する切っ掛けにすぎないとも言える。[共鳴り]はそれぞれ独自に動くゆえ。」
「はい。・・・それで、みんな仲間にしなければならない?」
「みなとは言わぬが。ただ、なんじが「弦打ち」を大きく鳴らせばそれだけ大きな敵を作る可能性も出てくる。われの経験からして、うまく立ち回らなければ身を滅ぼす。」
「八〇〇年前の経験ですか?その時に「弦打ち」を鳴らしすぎたとか?」
「そうである。そのことはまた後で話そう。なんじの力が急速に高まっている今、それに反応するものが出てくるはずである。どこに出るか、何人出るかわからん。もう出ているかもしれない。その者達をできるだけ早く見つけ出し、仲間に入れるのである。[共鳴り]が自身の力に無自覚であれば面倒は少ない。それを自覚する前にこちらから接触する。力を使いこなす前にな。これがこれからのなんじの使命である。」
「仲間探しの冒険の旅、ですか。」
「ひとまず旅は不要である。[共鳴り]は身近にもいるであろう。」
「ミヤさんの時は何人くらいいました?すぐ見つかりました?」
「われの時は、日本中で大体一〇〇人くらいか。」
「一〇〇!しかも日本中!」
「なんじの場合何人出るかまったくわからぬが。」
「友達は何人かいますけど、一〇〇人と親しくするって、・・・自信ない。」
「うむ、親しくするも良い、力でねじ伏せるも良いであろう。」
「そんな乱暴な。」
「仲間が増えるのは楽しいことであろう。」
ミヤさんはゆきの心配の種を気にしなかった。ゆきは少し黙って、それからミヤさんに言った。
「あの、別の質問なんですけど。」
「なんである。」
「さっきの弓の例え話なんですけど。弓って、矢と一緒に使うものですよね。弓弦が生身でその振えが[御魂]でその音が[御魂の力]だとして、矢は何かになりますか?」
「矢か。ゆき殿、よくそれに思い至った。いかにもこの[弦打ち]の仮説に矢はない。だがもしかしたらなんじの言うように、われらの知らぬ矢のようなものがあるのかもしれない。」
「あったらどうなりますか?」
「うむ、[弓矢の仮説]であるか。いかが。弦の音が[御魂の力]なら、矢はどのような存在であろう。われにはわからぬ。しかしなにか・・・」
「すごそう!」
「そうである。すごいものであろうな。」
ゆきはふざけてそこだけ真新しい壁に矢を射る真似をした。部活動はバレーボールしかしてこなかったのでまったく様にならなかった。
「ひゅーん・・・、ぼかっ!」
と言ってゆきは笑った。ちらっと見ると、ミヤさんもほんの少し笑っているように見えた。そしてミヤさんはしばらくして言った。
「ゆき殿。実はわれにも一つ考えがある。ゆき殿のようなはっきりした考えではないが。古来より、この[御魂の力]は、音のようなものとして知られてきた。音の性質に似ていると。音とは空気を伝わる波。そしてときに激しく強い音の波は、それらが重なり合い、ある一線を越えると衝撃波を生み、次元の違う破壊を引き起こす。つまりな、この力が音に似ているのなら、それには衝撃波のような異次元の業も秘められているかもしれぬ、とな。」
そのとき、外からギターの音が聞こえてきた。窓を開けて家の前の道を見ると、ゆきと同学年の小国沢明がギターを軽く鳴らしながら歩いていた。秋の日は短く、外は薄暗くなっていた。ゆきは気さくに声をかけた。
「明君!『涙のリクエスト』!」
明は演奏と足をとめ、上を見た。そしてゆきを見つけると言った。
「雪村か。『チェッカーズ』って、もうちっとシブいのがいい。」
「じゃあ、『ナイナイシックスティーン』!」
「・・・『シブガキ隊』かよ。」
明は苦笑いして道端に腰掛けた。
小国沢明は小国沢村に住んでいる。ゆきの住む太郎丸村の隣の集落である。ゆきとは結城野中学校の同級生だった。明はゆきとは違い地元の上小国高校に通っているから、お互いに会うのは数か月ぶりだった。ゆきには、久しぶりに見る明は、なんだかひょろ長くなったように見えた。とくに顔が長くなったなとゆきは思った。ギターを弾く前の明は普段とまったく変わらず、とぼけた雰囲気だった。まさかあのように豹変するとは、ゆきには想像もつかなかった。
鋭い眼つきでゆきを睨む明は、とても高校一年生とは思えないほど上手にギターを演奏している。
「ゆき殿。」
とミヤさんがもう一度声をかける。しかしゆきは身構えたまま微動だにしない。ゆきからの[以心伝心]もない。ミヤさんはゆきの異変に気付いた。術中にはまっている。ミヤさんはゆきに言った。
「この音を聴くな。やつの眼を見るな。」
しかしゆきからの返答はなかった。明の方を見据えたままだった。ミヤさんは今度は明の方を向いて飛びかかろうとした。
次の瞬間、ビーッと大きな音が鳴った。それは車のクラクションだった。ゆきははっとして、明と反対の道端に避けた。ミヤさんもゆきのそばに戻った。近所のおばさんが「どうもね。」といって少し野菜が積まれた軽トラックで通り過ぎていった。
あたりは静かな夕暮れの景色だった。明は演奏をやめていた。ゆきと明は小さな道を挟んでしばらく黙って向き合っていた。ゆきは険しい表情をして立っていたが、明はきょとんとして低いコンクリートの塀に座っていた。
ゆきは言った。
「今のは何?」
「何って、この曲は昔の日本のやつで・・・」
「違う、そうじゃない。その変な音!体が動かなくなる音楽!おかしな眼つき!」
「んん?なんのことだ?」
明は怪訝そうな顔をした。
その後ゆきと明はしばらく話をした。それによると彼は自分が[御魂の力]を使ったことに気付いていなかった。ゆきはミヤさんの許可を得て、明にミヤさんのことと、[御魂の力]と[弦打ち]と[共鳴り]のことを説明した。そしてゆきが仲間を探していることも。
明は半信半疑だったが、ゆきの仲間になることには特に異存は無いようだった。ゆきは明に紙を一枚渡し、早めに書いて持ってくるように言った。明が薄暗い中でその紙を見ると、手書きで「小国紙同好会 入会申込書」と書いてあった。