2 雪村ゆき 神と神心力の訓練を行うのこと
前回までのあらすじ
雪村ゆきは田舎の高校一年生。
ある日、バス停で奇妙な人物に出会います。
その人物は、なんと半透明だったのです。
そして自らを神と名乗ります。
その自称神が言うことには、ゆきには特別な力があるというのです。
ゆきはその突拍子もないことを、案外素直に受け入れてしまいました。
ゆきと自称神はおずおずと、やがて楽しそうに会話をしました。
その二人の会話が続いています。
雪村ゆきとミヤさんの質問合戦は、バスが終点の小国車庫前バス停に到着するまで二〇分ほど続いた。
ゆきはご近所さんたちと一緒にバスから降りてゆっくり家に向かって歩き出した。その横には半透明のミヤさんがいた。家まで歩いて一〇分ほどかかる。空は少し夕暮れの気配を見せていた。いつの間にか質問合戦は雑談になっていた。
「・・・ほかにも知り合いはたくさんいる。有名なのはまずわれの父宮が一院様である。われにとってはなかなか厄介なお方であったが。」
「知らないです。」
「一院より『後白河法皇』という名がわかりやすいか、聞いたことがあろう。」
「授業で習ったことはあると思います、多分。」
「うむ。『平相国入道清盛』は知っているか?父宮とわれの敵でもあり、これまた厄介極まりなかったが・・・。」
「知りません。」
「そうであるか。では平家物語は知っているか?われも登場人物の一人である。一時、琵琶法師が盛んに歌っていた。」
「あ、それなら。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現す。」
「そうである。琵琶法師の如く節をつけても一興であるが。」
「節って何?メロディ?それでちょっと歌ってくれません?」
「いやよそう。楽をやるなら笛のほうが良い。」
ふたりは静かに話しながら、ゆきの家の隣にある紙漉き工房の前を通り過ぎた。工房に掛けられた木の板に[紙漉き ヨシダ工房]と書いてあった。
この小国郷という地域では、少し前まで手漉き和紙の生産が盛んで、紙漉きを副業にする家が多かった。最近では家の副業としては廃れ、数か所の専門の工房で紙漉きが行われるようになっていた。この工房もそのひとつで、また、ゆきのアルバイト先でもあった。そこは今日は閉まっていた。
ゆきは自宅の玄関まで来るとミヤさんを見て言った。
「うち、入ります?」
「うむ。参ろう。」
「ひとつ約束してください。なにがあろと絶対に押入れと机の引き出しは開けないと。命より大事な約束です。」
「うむ。心得た。」
「ふう、男の人を部屋に入れたことないんですけど。ミヤさんってなんか男って感じがしないから。」
「われは神であるからな。」
「女装してますし。」
ゆきはただいまと言って家に入り、階段を上がり二階の自分の部屋に入った。ミヤさんは草履を脱いでついてきた。脱いだ草履はしばらくして消えた。
ゆきの部屋の中で、ミヤさんはベッドにあぐらをかき、ゆきは自分の椅子に座った。ミヤさんは一瞬消えて、再び現れたときは男物の平安貴族の服装になっていた。笠と薄い布の代わりに烏帽子になったので、顔が良く見えた。そしてしばらくもぞもぞしていたが、やがて椅子に座るようにベッドに腰掛ける形に落ち着いた。
「やっぱりその服でも女の人みたいですね。」
「神としての性である。今のわれは生身の頃とは違っている。」
「・・・そうなんですか。あ、そうだ。さっきの話ですけど、そもそもミヤさんはなんで私にいろいろ教えてくれるんですか?」
「なんじが[弦打ち]ゆえである。なんじの力は今は小さいが後に非常に大きくなるとわれは見ている。もしそれをうまく操ることができれば、なんじに大いに幸いであろう。しかし操ることができなければ、なんじに、いや日本に大いに災いであろう。」
「・・・そうですか。では、その私の指導役にミヤさんが選ばれた理由はなんでしょうか?神様が八〇〇万人もいらっしゃるなかで。」
「神々はそれぞれの性によって動く。何者かに役をもらうということはない。われがそういうものゆえに、この度ゆき殿を導くのである。」
「私を導くために存在する神様、それがミヤさん、ということですか?」
「それだけでわれが存在しているわけではないが、一面ではそうである。」
「それじゃあ私は『ルーク・スカイウォーカー』で、ミヤさんは『オビ・ワン』ですね。」
「その例えはいかが。われわれの関係を亜米利加の御伽草子と同じと見るのは、いかが。いま亜米利加は日本を乗っ取っているが、いずれは除くべき外敵のひとつである。」
「・・・はい、すいませんでした。」
ゆきはなんとなくミヤさんの逆鱗に触れたのかと思った。しかし今時アメリカが敵なんていう感覚は、ゆきの祖父に似て時代遅れという感じがする。ゆきの父はアメリカを同盟国と言っているし。
まあ日本の古い神様であるミヤさんが時代遅れだというのは、当たり前といえば当たり前。ただ、『スターウォーズ』という最近完結した映画シリーズを知っているということは、どういうことだろう。いまの日米貿易摩擦も知っているのかしら?
「然様、知っている。古い神も新しい文物を取り入れることで、今の世の中に見合った働きができるのである。」
そうミヤさんが答えたので、ゆきはすぐに考えが伝わってしまう[以心伝心]の不便さを少しだけ感じつつ、神様も毎日勉強しているのかなと思った。映画鑑賞が勉強に入るとしてだけど。
しかしこの[以心伝心]はゆきには嬉しかった。生来ゆきには発音しにくい音があった。ごく小さいころに通院していたこともあったのだ。[以心伝心]は言いにくい音を避けながら話す必要がなく、会話がスムーズで快適だった。会話を楽しむということを、ゆきは初めて体験していた。
ゆきはまた、自身の力をどうすればいいのかミヤさんが教えてくれる、導いてくれるということに安心感を持った。最近のゆきは、不思議な力のようなものが湧いてくる感覚を持て余していた。自分が何か得体の知れないものに変わっていってしまう、というような不安さえ感じていた。そしてその不安は、誰にも相談できない類のものだ、ということも直感していたのだった。
そのため、自らを神と名乗る男とも女とも判別のつかないこの人物が、本当に神なのかあるいは全然違う存在なのか、そのような疑問は今のゆきにはあまり大事ではなかった。
翌日から、ミヤさんは絶えずゆきのそばにいるようになった。ゆきは時間さえあれば、[以心伝心]を使ってミヤさんと話をした。
この力は発声せずに会話ができるだけではなかった。意味や視覚的イメージが言葉によらず直接頭に入ってくるので、慣れると普通に会話するよりずっと早く話ができた。誤解も非常に少なかった。そして自分の部屋では、実際に[御魂の力]を操る訓練もした。
ミヤさんの指導は分かりやすかった。八〇〇年以上世の中を見てきた知識や経験、頭の良さもさることながら、なによりもゆきとの相性が良かった。ゆきは徐々に、それまでなんとなく持っているだけだった力をうまく操れるようになっていった。そして静かにその大いなる潜在能力を覚醒させていった。
学校でのゆきは以前にも増してもの静かになったが、先生や友人は、ゆきがもともと口数の少ない生徒という認識だったので、気にも留めなかったし、真面目で人当たりも良かったので、特に孤立することもなかった。
ゆきの高度能力成長期は数週間続いたが、その間ゆきの家族でさえゆきの変化に気付くものはいなかった。それに気付いたのは、ゆきのアルバイト先である隣家の紙漉き工房の社長と、その工房の守り神の猫だけだった。