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1 雪村ゆき バス停にて神に出会うのこと

挿絵(By みてみん)



 夏休みも終わりに近づいたある日の昼下がり、雪村ゆきは体育教官室から出て、誰もいない第一体育館を歩いていた。

 不意に、ゆきの横にバレーボールが落ちて床を鳴らした。ゆきは弾むボールを見て、その後天井を見上げた。いくつかのバレーボールやバスケットボールが鉄骨の梁に引っかかっていた。ゆきは床のボールを拾い、久しぶりに手にその感触を感じた。そして周りを見渡して誰もいないことを確かめると、上をめがけて手のひらでボールを打った。ボールは矢のように飛んで、遥か上の鉄骨に挟まっていたバスケットボールに当たった。オレンジ色の大き目の球とゆきの打った白い小さめの球が、短い間をおいてそれぞれ落ちてきた。ゆきはそのあと三回立て続けに天井にサーブし、二つのボールを打ち落とした。ひとつのボールはより強く鉄の梁に挟まったようで、落ちてこなかった。

 ゆきは物憂げに天井を見上げていたが、しばらくして体育館から出て行った。床には数個のボールが転がっていた。



挿絵(By みてみん)



 ゆきはバスと電車を乗り継いで一時間ほどの県立長岡大手高校に通っていた。

 昭和五八年初秋、ゆきが一年生のとき、塚山駅のバス停で奇妙な人物に出会った。その人物は、いつの時代か分からないほどの古い様式の女性用の着物に、長く薄い布が垂れた大きな笠を被っていた。彼女はベンチに腰かけていて、顔は良く見えなかったが、まだ若いようだった。塚山駅周辺はかなり田舎なので、着物姿の年配の女性は時々見かけることはあったが、彼女のような時代のずれた装いとそれとは、全く違うものだった。

 しかしその女性が本当に奇妙なのはそのことではなく、体が半透明なことだった。彼女の体の向こうの景色やベンチが、うっすら青白く見えていた。


「あの、すいません。」


ゆきは勇気を出して話しかけてみた。彼女はゆっくりゆきの方を向いて、無表情に、


「うむ、なんじか。」


と言った。それはよく響く声だった。実際にはそれは本当の声ではなかったのだが。

 ゆきはこの半透明さんが答えてくれたことに安心した。話は出来るのだ。次に彼女がおばけかどうかを聞こうと思ったが、その高貴な雰囲気に圧倒されてやめてしまった。

 しばらくゆきが無言なので、半透明さんは続けた。


「われはなんじに呼ばれてやってまいった。」


「私が?あなたを?」


「そうである。」


「・・・多分、人違いです。私、呼んでません。」


「呼んだ覚えがないといっても、なんじの力がその証。われが見えるであろう。話ができるであろう。われはなんじのその力に呼ばれてここに来た。この小国保おぐにほでわれを呼べるのはなんじだけである。」


ゆきは黙った。彼女の言っていることには少し心当たりがあった。それと小国保というのがゆきの住んでいる小国郷のことだということも、ちょっと考えてわかった。古めの呼び方なのだろう。

 半透明さんはベンチから立ち上がってゆきの方を向いた。背はゆきと同じくらいだった。女性にしては背が高い。薄い布越しに少し顔が見える。なんとなく自分に似ているとゆきは思った。

 彼女はさらに続けてこう言った。


「なんじは今、ある力に目覚めようとしている。[御魂みたまの力]である。そのなかでもなんじの力は大いなる[弦打つるうち]という常ならぬもの。」


半透明さんの発言が怪しさを増す。


「なんじのその力は正しく導かれなければならぬ。われはそのために、なんじを導くためにきたのである。」


 ゆきは確かに、自分の異常な能力の高さについて悩んでいた。それは半透明さんの言う[御魂の力]のせいなのか。この人に導かれる?正義のスーパーヒーローになれというのだろうか?少し話が急すぎませんか?[御魂の力]とか[弦打ち]という言葉も怪しい。必要な情報を順序立てて話してもらわないと頭の整理ができない。ただでさえこの人物は半透明で、大昔の着物を着た人なのだ。

 ゆきはゆっくり言った。


「あなたが私に会いに来られたのは分かりました。何の為かとか。」


そして一息ついて聞いた。


「でも私は、あなたが誰か知りません。あなたは誰か、教えていただけませんか?」


半透明さんは答えた。


「われは三条高倉さんじょうたかくらの宮と呼ばれている。」


「サンジョウ・・・。あの、まず名字を教えてくれますか?」


「われに名字はない。」


「ではサンジョウタカ・・・さん。」


「三条高倉の宮である。」


「サンジョウタカクラノミヤ・・・。少し長い名前ですね。」


「長いか。呼び名はほかにもいくつかあるが。ではいみな以仁もちひとではいかが。あるいは宮でも良い。以仁でも宮でも、好きに呼ぶと良い。」


「モチヒトか、ミヤ。じゃあ短い方でいいですか?」


「良い。」


「では、ミヤさんで。」


ゆきはこのやり取りで少し緊張がほぐれた。


「ミヤさん、いろいろ聞いてもいいですか?」


「良い。」


「ミヤさんは、偉い人ですか?」


「うむ、生身の頃はやんごとない身分であった。今は死して神となっているが、本来神々のあいだには偉い偉くないということはない。力の大小があるのみである。」


ミヤさんはいきなり核心を言い出した。


「死んだことがあるんですか?」


「ある。」


「死因・・・、いえ、ミヤさんは神様なんですか?」


「そうである。」


「体が透けてるのは神様だからですか?」


「そうである。神は消えたり現れたりするゆえ。今はその間のそうである。神出鬼没というであろう。」


「神出鬼没。・・・ということは、鬼もいるんですか?」


「鬼もいる。鬼と神は仲間である。」


「ほかに神様はいるんですか?」


「いる。八百万やおよろずの神々がいる。」


「猫の神様はいますか?」


「いる。」


「ミヤさんはいつ頃神様になったんですか?」


「八百年前である。その前は生身の人間として生きていた。」


「八百年前、というと・・・、室町時代?」


「そうでない。もっと昔の平安京の世である。知っているか。」


「平安京は平安時代・・・。『枕草子』とか、『源氏物語』とか、『藤原道長』とかですか?」


「そうである。よく知っている。」


その時路線バスが来た。


「あの、すいません。お話はまたの機会に。バスが来たので。ありがとうございました。」


ゆきはミヤさんに軽く会釈をして、その丸いフォルムが古めかしいバスに乗った。田舎のバスは一時間に一、二本もない貴重なものであるから、神様との会話より優先される場合もある。

 ゆきは乗車口で、自分が名前を名乗っていないことに気付いてあわてた。


「あ、私の名は・・・」


振り向いて言いかけたが、そこにミヤさんの姿はなかった。

 ゆきはバス停の周囲を見まわしながら、後ろの方の席に座った。その横にはミヤさんが座っていた。大きな笠が邪魔である。

 ミヤさんはゆきを見て、


「われは神出鬼没である。雪村ゆき殿。」


と言った。


「私の名前、知っていたんですね。」


ゆきは言葉を声に出さず、頭でイメージした。


「そうである、知っていた。」


ミヤさんは答えたのでどうやら伝わったようだ。ゆきは少し驚いた。


「ところで[以心伝心いしんでんしん]ができるようであるな。」


「思ったら勝手に伝わってました。ここ、バスの中なんで、うるさくするのもあれですから。」


ミヤさんは前を向いた。すぐにドアが閉まり、バスはブオンとエンジンを吹かして発車した。

 バスはしばらく小さな商店や文化住宅やお堀付きの庄屋屋敷の並ぶ道をくねくね走り、橋を二度渡り、そのうちよく実った黄色い稲穂の中に抜けた。


「ゆき殿。これからは[以心伝心]で話をしよう。その方が力を操る訓練にもなる。」


と言われて、ゆきは声には出さず、意味とイメージを思い浮かべた。


「・・・、ミヤさんの声は他の人には聞こえないみたいですね。」


「そうである。われははじめから[以心伝心]で話している。」


「それじゃあ、ミヤさんの姿も他の人には見えない?」


「[御魂の力]を使う者、[御魂使い]というが、彼の者らには見えることがあるが、そうでない者には見えない。」


バス停での私は、端から見るとかなり独り言の多い人に見えただろう、とゆきは思った。するとミヤさんは答えてきた。


「そうである。ひとがいれば奇妙に見えたであろう。」


「またまたそんなことを言って。奇妙な人はあなたでしょう。」


ゆきは反射的に思っただけだったが[以心伝心]で伝わってしまった。

 少しだけ間をおいてミヤさんは言った。


「たしかにわれも奇妙である。男が女の装束を着ているのであるから。だがこれは生身の頃の因縁のせいである。それが神としてのわれの一面に現れている。」


「!」


「ところで奇妙と言えばゆき殿の装束もなかなか奇妙でないか。ものごとの流れとはいえ、水兵服が女子の装束というのは・・・。」


「ちょっと待ってください。さっき男が女の服を着てるって言われました?まるでミヤさんが男のように聞こえましたけど。」


「無論である。われは男である。」


ゆきは横のミヤさんをじっと見たが、からむし越しのその横顔はやはり若い女性に見えた。

 ゆきはしばらくそのままミヤさんを見ていたが、そのうち酔いそうになってきたので前に向き直った。


「声は女の人のようですね。」


「そうでない。われは[以心伝心]で意味と形だけを伝えている。声はもともと出していない。われのこの姿から連想して女の声と思ったのであろう。」


ゆきは狐につままれたような気がして、少しのあいだ黙った。そして、まあそれはそれでいい、ひとつずつ順番にきいていけばいい、と思いなおした。

 またしばらくしてゆきは言った。


「ちょっとききたいことがたくさんあるんですけど、私ばかり質問してもどうかなと思いまして。なので、お互いに順番に質問していきませんか?」


「うむ。」


「あと、ゆき殿はやめてください。できれば、さん付けでお願いします。」


ミヤさんはうむ、と答えた。ゆきは話を続けた。


「じゃあまず私から。ミヤさんは今おいくつですか?」


「享年は数えで三〇。死んで神となってから八〇〇と三年。合わせると八三三歳である。」


「・・・すごい。八三三数えるだけでも大変そう・・・。次はミヤさん質問どうぞ。」


「われがなんじに何か聞くのであるな。では、われのような神を見たことはあるか?」


「はい、あります。大きな黒猫の神様です。半透明ではないですが。」


「そうであるか。その神はどこにいた?」


「あ、だめです。次の質問は私です。」


「うむ、そうであった。」


「では質問です。ご結婚はされていますか?」


ゆきとミヤさんの質問合戦は、バスが終点の小国車庫おぐにしゃこ前バス停に到着するまで二〇分ほど続いた。



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