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ビースト  作者: のの
10/21

No.9

「やっほー」

 急に声がしたと思ったら、天井近くに配置されている通気口から白い蛇が顔を覗かせていた。

「びっくりした、ミズキかぁ」

 アスはほっと胸を撫で下ろした。今アスとリラ、カイルは手分けをして各部屋にいる組織員の始末に回っている。不意打ちはもちろん警戒しているので、気配もなくミズキが近付いてきたときはさすがに驚いた。声をかけられなかったら攻撃に転じていただろう。

 口周りの血を袖で拭い、アスはミズキに訊ねた。

「一階のほうはどう? こっちは今のところ順調だけど」

「こっちも問題なさそうだよ。何せユーヤとイルがやる気満々だからね。ユーヤは元から喧嘩っ早いし、イルもあれでいて好戦的な性分だから。今回の任務は当たりだね。僕らと相性がいい」

 ミズキは床に下り、少年の姿になって室内を見回した。

 死体の数は三。いずれも所謂いわゆる惨殺死体といった様相である。特に、アスのすぐ近くに転がっているものは損傷が激しい。頸部を食いちぎられ、頭が体にほとんどくっついていない。

「うわー、相変わらず凄いねぇ」

「何が?」

「死体がずたぼろ。アスもどっちかっていうとユーヤに近い戦闘スタイルなんだよなぁ。こっそり行動するのは得意だけど、こっそり殺すのは苦手なタイプ。ちょっと不器用だから、急所を狙っても動かれたら外すことが多い」

「あ、あはは……仰る通りです」

 アスは困ったように笑った。

「戦うのはちょっと下手で……」

「下手じゃないよ。獲物は確実に仕留めるし、ステータスにも問題はない。カイルとか、あとは普段のイルとかかな。あの辺がスタイリッシュに戦ってるからいまいち雑に見えるだけで、アスだって戦闘員としての評価は高いんだよ」

「ううーん、だといいけど」

 複雑な顔をするアスに、ミズキは続けた。

「まあ、僕らのチームにはユーヤとイルっていうツートップが居るからね。あの二人を横においてあえてアスに戦わせるメリットは無いわけなんだけど」

「だよね……僕も思う」

 アスは苦笑して頷く。

 チームには貢献したいし、仲間を支えたいといつも思っている。だが、だからと言って他の優秀な面子を差し置いて活躍しようとまではしない。戦闘ならユーヤが圧倒的に強いし、情報収集などはミズキが一番上手い。自分がそれを越えられるとは思わないし、アスの性格からしてもサポートや穴埋め役のほうが向くのだ。

 手放しでほめられるのは得意じゃない。ちょっとけなされるくらいでいい。

 ミズキもそれは承知の上なので、内心はアスのポテンシャルを認めていても敢えて過小評価をするのだ。

「リラとカイルは別の部屋なんだよね?」

「そうだよ」

「じゃ、そっちに合流しよ。この分ならさっさと帰れそうってリラに伝えなきゃ」


 息絶えた組織員が床に崩れ落ちる。

「これで全部か」

 カイルはナイフの血をパッと払い、鞘に納めようとした。

 が、

「!」

 彼はそれをドアに投げつけた。鋭い音と共に刃が付きたてられる。

 同時にドアの向こう側から「うわっ」と聞き慣れた声がした。

「……アスとミズキか?」

「そうだよ! まったく、びっくりしたなぁもう」

 ドアが開き、不機嫌顔を作るミズキと苦笑いのアスが入ってきた。

 アスはドアに刺さったナイフを抜き、カイルに投げ渡した。

「気配は消してたんだけどな」

「なんとなくだ。というか、後はリラの部屋にいる奴らだけなんだから、わざわざ気配を消す必要はないだろう?」

「ちょっと脅かしてみたいなーって。えへへ」

 そう言うアスの肩にミズキが肘を乗せた。

「ちなみに、アスは僕が近付いてることに気付きませんでした」

「そうだろうな」

 カイルのあっさり頷かれ、アスは肩を落とした。

「やっぱりなんか、僕って把握されてる」

「アスは分かりやすいからな、普段は。それに気配を消したミズキに気付けるのなんて、リラかイルくらいじゃないか?」

「カイルは気付いたんでしょ?」

「いや。気付いたというよりは経験則的な勘というか」

 えー何それ、とミズキが笑った時、


 ドンッ!!


 隣室に接している壁から大きな音がした。何か重いものがぶつかったような音。

「な、何?」

 目を丸くしたミズキとは対照的に、アスとカイルは表情を険しくした。

「音からして大型の動物かな」

「異種人か。道理で時間を食っているわけだ」

 二人の会話からミズキも状況を察した。謎の音がした部屋には、リラがいるのだ。

 リラの体質上「やられる」ことはないが、苦戦は必至だろう。負傷もあり得る。

 異種人は一般的に自己治癒能力が高く、よほど重傷でなければ二、三日から二週間ほどでだいたいは完治する。しかしリラはその例に当て嵌まらない。死者の異種人であるせいなのか怪我をするとなかなか治らず、少し深い程度の切り傷でも完治に一ヶ月近くかかるときもある。今まで骨折やそれ以上に酷い怪我を負ったことはないが、もしそうなれば数ヶ月は動けないかもしれない。

 不安を抱いてアスが部屋から飛び出す。ミズキとカイルは一拍遅れた。


「リラっ!」

 件の部屋のドアを蹴破るように開けたアスは、大型の虎と対峙するリラの姿を目にした。リラは床に座り込んでいて、左腕をかばうように抱えていた。

 彼女の腕から滴るのは、血。

 その量と色の鮮やかさが、アスの心臓を不自然に揺らした。

「ぁ……」

 ドアを開けてから今まで、一瞬のことだったはずだ。

 なのに時間はじれったいほど長いように思えて。

 半ば止まっていた『一瞬』が


 急速に動いた。


「ああああッ」



 凄まじい音がした。ドンとか、ダンとか、そんな擬音では足りないほどの衝撃音。

「うおっ! 何だっ?」

「爆発? ないか」

 ちょうど地下階に下りてきた半獣のユーヤとイルは顔を見合わせた。直前に悲鳴のようなものを聞いたが、距離があるせいで個人を特定できない。

「なーんか嫌な予感するなぁ……」

 ユーヤは顔を顰めた。充満しているのはただの血の匂いだが、何だか胸騒ぎがする。

 イルは何か考え込んだ後、急に走り始めた。

「あっ おい! イル?」

 彼の意図を図りかねつつも、ユーヤは首を傾げながらイルを追った。


 程無くして、カイルとミズキが一つのドアと格闘している現場についた。開かないらしい。

「二人とも、何をしているの?」

「あ、丁度いいところに」

 ミズキはイルと後から来たユーヤに目の前のドアを指し示した。

「見ての通り、変形しちゃって開かないんだ。僕とカイルじゃ力不足で」

「リラとアスはどこだよ」

「この中」

「閉じ込められたってことか!?」

「んー、ちょっと違う」

 ひらひらと手を振るミズキに続いて、カイルがドアを軽く叩いた。

「簡単に言うと、アスがキレた」

「ああ、成程な…………えええっ マジか!」

 納得しかけたユーヤは慌ててドアに駆け寄った。

「まずいじゃん、開けないと! なに悠長にやってんだよ!」

「だーかーら、僕らじゃ開けらんないんだってば!」

 ミズキはユーヤの頭を勢いよく引っ叩いた。

「ユーヤとイルなら開けられるでしょ。呼びに行こうかって思ってたとこだったから手間が省けた。早く開けて」

「お、おう!」

 ユーヤはこくこくと頷き、ドアに触れた。

「そんなに頑丈じゃねーな。開けるっつーか、ぶっ壊すことになりそうだけど」

「手伝おうか?」

 イルの申し出に、ユーヤは首を振った。

「や、いい。全員はけてろよ」

 仲間たちが左右に下がったのを見計らい、ユーヤはゆっくりと息を吐いた。

 瞳の色は、明るい茶色から鮮明で鋭い金色に変わる。

(油断するなよ、俺。すぐにやられる)

 三、

 二、

 一。


 ユーヤがドアを蹴りで粉砕するのと、彼の身体が後ろの壁に叩きつけられるのはほぼ同時だった。

「ぅぐっ」

 左手首は相手に掴まれたが、右手のほうは相手の利き手を掴んでいて、ナイフの動きは止める事が出来た。掴まれている方の手の骨がミシミシいっている気がする。

「ッ―――さすがだな。俺もガチだったのに。これはきっついぜ」

「……あれ、ユーヤ?」

 相手、もといアスは、自分が今まさに殺そうとしていた相手がユーヤだとようやく気付いたようで、驚いたように瞬きをした。

 案の定、というか、面倒臭いことに、というか。アスの瞳は普段の黒ではなく深海の濃紺に変わっている。

「どうしたの?」

「どうしたの、じゃねーよ。ナイフ下ろせ。あと手ぇ放せよ」

「あ、ごめん」

 アスは得物を収め、ユーヤの手首を放した。

「ったく、思いっきり掴みやがって……」

 ユーヤは掴まれていた手をさすった。アスの指の跡が痣として残っている。

「アス、今正気か?」

「大丈夫だよ。リラの手当てしてるうちに落ち着いた。まだちょっと、不安定な感じはするけど」

「さっさと戻れよ。危ないんだからさ」

 珍しく穏やかに言ったユーヤにアスは淡い笑顔を向けた。

「ありがとう」

 瞳の色は戻らないが、とりあえず危険はないらしい。

 「リラの手当てを」というあたりが少し引っかかったが、疑問はすぐ解消された。リラ自身が部屋から出てきたからだ。左腕に巻いた三角巾は、早くも血で赤くなっている。

「リラ! その怪我……」

「うっかりしてた」

「うっかりって……」

 カイルが追究する前に、アスがリラを抱きしめた。

「リラは何も悪くない」

「アス……」

 リラは困ったような切ないような表情で彼を見た。

「何も悪くない」

 アスは言い聞かせるように繰り返した後、カイルのほうを向いた。

「虎の異種人がいたんだ。そいつがリラに怪我を負わせた。深い傷だから縫う必要があるかも」

「……そうか」

 カイルはただ頷くだけにとどめた。リラが負傷することは珍しい。単純に相手が強かったと考えられるが、それだと「うっかりしてた」というリラの言葉が引っ掛かる。

 本当は今追究したいが、あまりあれこれ言うと今度はアスが暴れかねない。

(仕方ない、帰還してからだな)


 アスとカイルがやり取りを交わしている間に、イルはリラが居た部屋に踏み込んだ。

「う、わ……」

 死体はなかった。厳密に言うと、力任せに引きちぎられて原型が分からなくなっていた。壁や天井には血のみならず内臓と思しきものも飛び散っている。入口から向かって左側はあまり汚れていないので、そこにリラがいたと思われた。

 察するに、ドアが歪んで開かなくなったのはアスが虎の異種人をドアに叩きつけたからだろう。虎の異種人は獣の姿になると大型のものが多く、投げつけると相当な衝撃になる。

(俺たちが聞いた爆音みたいなあの音は、アスがこいつをドアにぶつけた音だったのかな)

 それでドアが壊れなかったのは偶然というよりも奇跡に近い。

 直前に聞いた悲鳴はアスの絶叫で、恐らくリラが怪我を負ったか襲われているのを見て一瞬だが正気を失ったのだろう。

 そういう危うさはアス特有のものではないというのが怖いところだ。


 何かしら軍事的訓練を受けている異種人の中には、突然一時的に正気を失う者がいる。

 俗に『暴走』と呼ばれるもので、普段は訓練によって操作されている闘争本能がコントロールを失うことで生じる。暴走するきっかけは様々だが、時には仲間をも傷つけかねない危険な状態だ。

 [S]では暴走の可能性がある候補生に、最近になって暴走しても自我が保てるように特別な訓練を行っているが、成果はあまり上がっていない。そもそも暴走する異種人自体数が多くはないので、単純なデータ不足なのだ。

 暴走した異種人は瞳の色が変化する。アスの場合は普段は黒色だが、暴走している間は深い紺色に変わるのだ。この仕組みも、科学的には解明されていないらしい。

 暴走は、言ってしまえばハンドルから手を放してアクセルを思いっきり踏むようなもの。自滅ももちろんあり得る。しかしその分発生するエネルギーは膨大で、それを目的に自ら暴走する異種人もいないことはない。

 ユーヤはそのタイプで、疑似的な暴走を稀に見る天才的なセンスで手に入れた。そのためユーヤは暴走しても正気を失うことはないが、その一方でリミッターを外しきることは出来ないのでパワーではアスにやや劣る。

 ミズキも同じように擬似的な暴走が可能だが、彼の場合は本当に暴走することがある。ミズキは一度暴走するとなかなか止まらないため、疑似的な暴走は本当の暴走を防ぐ側面が強い。

 アスは自我を失うタイプで頻度も比較的高いが、止まるのはかなり早いほうだ。またムラっ気があるようで、暴走しかけてもそのまま正気に戻るということも多い。

 イルは暴走の可能性があるらしいが、実際に自我を失った彼を誰も見たことが無いので真偽のほどは分からない。

 カイルは今までそういったことはないので、暴走はしない体質と思われる。

 『暴走』というのは獣の闘争本能に基づくものであるためか、幽霊のリラにはその傾向が全くない。むしろ暴走した仲間を宥めるのがリラの役目と言える。彼女の愛すべきペットたちは主人が害された瞬間怒りが爆発するので、彼らを諌められるのもリラだけというわけだ。もっとも、アス以外が暴走することはまずないと言っていいし、そのアスもすぐに止まるので、彼女が頑張らなければいけなくなる事態は今のところない。今後もあってほしくはないと誰もが思っている。


 まあ、一番頭にきてたのはアスだったってことで!

 ユーヤの言葉が思い出され、イルは苦笑を零した。

 シャチの異種人は本来獰猛な性格のものが多い。アスは普段の温厚さから「大丈夫」と誤解されがちだが、いつも穏やかなせいでシャチ由来の獰猛さが抑圧されていると見ることもできる。加えて今回彼は[S]本隊がリラを危険に晒したことに怒りを覚えていて、それが暴走を引き起こす要因の一つになった。

 アスが虎をドアに叩きつけた音を、イルは爆発かと思った。すぐに「それはない」と思い直したが、あながち間違ってはいなかったのかもしれない。

 敵に対する同情はない。むしろ「ざまあみろ」と思う。

(虎に襲われているリラ、か……それを見たのがアスじゃなくて俺だったら、俺が暴走してたのかな)

 実際にそうなったかは、考えても分かることではない。

 ただ、なんとなく、そんな気がした。

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